第3話 企み

 リコの一日は、割合忙しい。

 午前中は、家の裏の畑で薬草の世話をする。週に一度ほどは、森に自生する薬草を取りに行く。

 午後になると、仕事で薬の調合をしながら、薬を買いに来る客を待つ。客の応対は、仕事場にある小窓越しに行われた。

 小窓には、申し訳程度に小さなカウンター代わりの板が付けられていて、薬屋のていを成していた。なるべく、人に触れないようにするためである。

 また彼女は癒やしの法術を使うこともできるため、治療を望むものには施すこともある。請われれば昨日のように、直接患者の家に出向くこともある。

 リコ自身、病や怪我に苦しむ者はなるべく治したい。だから、出向くのではあるが、それでも、あまり頻繁に街に行きたいわけではない。

 人から奇異や畏怖の目で見られるのは好きではない。だが、敢えて大通りを歩いたのは、『自分が街に来ていること』を周知して、人々を危険から遠避けるためだ。

 それでも、稀に昨夜のように恐ろしいことが起きこともある。

 そして一度ひとたびことが起きてしまえば、暫く店にも客は来なくなる。極一部を除いて。


 本日は早朝にその極一部であるマルティンが来店したため、その後の客はもうないだろう。薬研やげんで草をすり潰しながら、リコがそんなことを考えていた時だった。


――コンコンコン。


 不意に、入り口の戸を叩く音がする。窓ではなく、戸を叩くのは珍しい。

 訝しげにしながらも、戸ではなく、その横の壁にある小窓を開ける。


「はい?」

「?…ああ、こっちか。」


 声をかけると、一人の男が小窓の前に移動してきた。


「…どのような薬をご用意しましょうか?」

「ああ、いやすまん。客じゃあないんだ。」


 男は両手を振りながら、小窓から覗く女をまじまじと見つめた。

 息を飲むほどの美人。間違いない、昨夜の黒い外套の女だ。


「……実はな、俺は昨夜から帰ってきていないある旅人の連れなんだわ。」

「!」


 リコは、警戒したように後退あとずさる。


「いや、すまん。アンタを責めるつもりできたんじゃないんだ。朝から街で、いろいろアンタのことは聞いてきたんだ。」


 死んだ大男の相棒であるこの戦士の男は、街で竜の喚巫女について調べてきた。

 竜の喚巫女に触れると、離した瞬間、魔法の力で竜が喚び出されること。

 竜は触れた者にのみ、襲いかかってくること。

 触れた者が命を落とすと、竜もまた何処かへ消えること。

 そしてそれらの全ては、喚巫女本人の意思で行っているわけではないこと。


「……そして街の皆がアンタを恐れつつも、本気で追い出す気もなさそうだってこともな。」

「……」


 それはリコが、生きていくために必死に学んだ、父譲りの薬学と法術によって得た、『街に居ても良い理由』だった。

 ともすれば、自ら死を選ぶような過酷な境遇でありながら、それでもリコは、死ぬわけにはいかなかった。


「俺が知りたいのは、ホントにアンタは竜の呼巫女で、ホントに連れは死んじまったのかってことだ。」


 街の人々の話だけで信じるには、流石に眉唾ものだった。

 雇い主を納得させるためには、昨晩、相棒と最後に会った当人から聞かなくては。

 しかしながら、恐らくは予想通りの答えが返ってくるだろう。


「……本当です。」

「やっぱりかぁ…そうかぁ…」


 戦士は頭を抱えた。

 正直、相棒の大男はこの旅の始めに出会ったばかりで、八人いる今回の同僚の中では、まあ気が合うかな、というくらいで、さして思い入れもない。商人の用心棒など、そのような関係が大半だ。

 それよりも、伝説で聞いたような竜を喚ぶ魔法や、それを持つ巫女など、現実離れしたような出来事が驚愕だった。


「聖戦、の時代の頃、竜の国から喚び出された連中の子孫が、今の野生の竜だって、子供でも知ってる伝承だが…」


 二百数十年前、人間と魔人によって起こった種族間の大戦を、人は『聖戦』と呼んだ。

 圧倒的な魔力を持った魔人ではあったが、数の上で人間より遥かに少なかったため、その差を埋める戦力として、異なる国から竜を召喚したという。

 そう、伝え聞いた話では、竜を喚んだのは魔人で、人間の女ではなかった筈だ。

 目の前にいるは、確かに普通ではお目にかかれないような美女ではあったが、魔人には見えなかった。


「あの…」


 彼が思案にくれたところで、その美女―リコが声をかける。


「お仲間のことは、すみませんでした。」

「ああ、アンタのせいではないから…」


 ――それ以上、続けられなかった。

 謝るリコの左目から、一粒の涙。それは、この街で見聞きしたあらゆるものよりも哀しく、重く、美しい。

 今回の事で、誰が一番悲しんでいるだろう。誰が一番、相棒の冥福を祈っているのだろう。

 それだけで、もう相棒は昇天出来たに違いない。そう思えた。


「……邪魔したな。」

「いえ……」


 深々と頭を下げるリコを窓越しに見て、戦士の男はその小さな薬屋を後にした。



  ― ◆ ―


「なるほどよく分かった。ご苦労だったね、エッケイン君。」


 街のとある宿屋の一室で、エッケインと呼ばれた、先程竜の喚巫女に会ってきた男は、自らの雇い主の言葉に、少々呆けた顔をしてしまった。

 予想としては、そんなに素直に調査の内容――即ち、相棒は竜に殺されたということを信じて貰えるとは思わなかったのだ。

 返事の出ないエッケインに構わず、長椅子にゆったりと座った雇い主が続ける。


「北に竜の喚巫女がいるという噂は聞いていたが、まさかこんな街道沿いの街に堂々と住んでいるとは。」

「知ってらっしゃったんですか、竜の、喚巫女っていうのを。」


 驚くエッケインに向けて、ニヤリと笑ってみせる。それは、まだまだ商人としては若くありながら、それなりに財を成した者に相応しい、やり手の表情だった。


「我々商売人にとっては、情報とは金貨に等しい。辺境伯領で取引を始めてからは、こちらの地方の情報は掻き集めるようにしているのだよ。無論、カネの匂いのするものに限るがね。」

「……竜の喚巫女が、カネになると?」


 エッケインの言葉に、雇い主は大きく頷く。


「竜の素材としての価値は、誰もが知るところだ。その喚巫女が居れば、無限に手に入るわけだろう? 竜が現れると分かっているなら、首都に連れて行って、腕の立つ竜狩りに準備をさせておけばいいだけだ。 信心深いのかなんだか知らないが、この街の者達はどうして『金をの卵を生む鶏』を放っておくのか、理解に苦しむね。」

「ですがルデマ様、連れてくっても、巫女に触れるだけで竜が出てくるんじゃ、どうしようもねえんじゃねぇですかい?」


 ルデマと呼ばれたその商人の傍らにいた、凡そ護衛には似つかわしくない、柄の悪い男が言った。彼もエッケインの同僚ではあったが、今回の旅以前からルデマに仕えているようだということぐらいしか知らない。


「網でも刺叉でも使って捕らえて、檻に入れてしまえばいいだろう。」

「ま、待ってください、それじゃあ人攫いでは!?」


 流石に焦ったエッケインが、声を上げるが、ルデマは動じない。


「やりようはいくらでもあるよ。なにせ、こちらは護衛を一人殺されているんだ。その罪を問うために中央に連れて行くと言えば、止める者もおるまい。」

「しかし、殺したのは彼女ではありませんし、彼女は薬師で、いないと困る人達も…」


 ルデマは大きく首を横に振る。


「君の報告を聞く限り、巫女を疎んじている街人の方が多そうだがね。まあ少なくとも、ある日、突然街外れの小屋から女が一人消えても、手間をかけて追ってくるような情熱を持った奴らは居なさそうだ。」


 それは、そうであろう。エッケインも思う。

 いくらリコが腕の立つ薬師兼治癒術師であったとしても、自分の危険を顧みず助けようとするような者は、この街にはいない。せいぜい、いなくなると困る、ぐらいなものだ。

 だが、だからといって、彼女を囚えて金儲けの道具にすることの正当化にはならない。

 彼の相棒の大男も、リコ自身が殺したわけではない。二人のやり取りを想像するに、むしろ酔っぱらいに絡まれた被害者とも言える。

 なにより、エッケインは、リコの静かな暮らしを脅かしたくはない。彼女の涙を目に浮かべながら、そう思った。


「……俺の仕事は護衛です。それ以外の仕事はできません。」


 その答えに、ルデマは少し意外そうな顔をした。


「給金を上乗せすると言っても?」

「できません。」

「ここで契約を打ち切って、放り出すといっても?」

「…できません。」

「ふーん。まあいいや。元々、そのための人員は別に用意しているから。」


 ルデマは特に機嫌を悪くするでもなく言うと、傍らの男が口端に笑みを浮かべた。

 そうか、とエッケインは気がついた。いくら宝石商とはいえ、街道沿いの旅で一人を守るのに、護衛が八人は多いと思っていた。しかもその半分が、妙に柄の悪い連中だ。

 ルデマは思った以上に確実性の高い情報で、竜の喚巫女の存在を掴んでいたのだろう。端から、機会があれば、それを手に入れる心積もりだったのだ。


「まさか、昨夜のことも…」

「ハハ、さすがにそれはない。彼の死は本当に残念だよ。…残念だが、よりよいビジネスチャンスを生んでくれた。感謝だね。」


 仮に、街の人間に竜の喚巫女を連れて行くところを見られても、言い訳が出来る。先にルデマ自身が言っていたことだが、それが偶然に出来た言い訳なら、元々は本当に人攫いをするつもりだったということだ。


『……こいつ、ただの成金じゃなかったのか……』


 エッケインは、自分とそう歳の変わらないであろう雇い主の黒い部分を知り、背筋に冷たいものを感じた。

 と、同時に、儲けはなくなるがここらが潮時である、と思った。


「……申し訳ないですが、俺は、護衛も降りさせていただきます。」

「ああうん。分かったよ。」


 ルデマは気にするでもなく、座っていた長椅子に置いていた鞄を開けると、銀貨の入った袋を取り出し、エッケインに投げてよこした。


「ここまでの給金だ。よくやってくれた。」

「は、はい、ありがとうございます。」


 道中の護衛契約を自分から切ったかたちだ。それなのに、まさか支払いの交渉前に報酬を貰えるとは思っておらず、エッケインは驚いていた。


「…給金を受け取ったということは、少なくとも今の時間までは私の下で働いていたということだ。」

「はぁ。」

「労働中に聞いた話は商売上の機密だからね。誰にも漏らさないこと。いいね?」


 ルデマは念を押すように、一瞬だけ鋭い視線を飛ばしてきた。

 これで、エッケインは前もってリコに伝えて逃がすという選択肢を失った。

 いや、無視して伝えることも出来ないわけではないが、昨日今日会ったばかりの女のために、目の前の恐ろしい男とその部下のゴロツキに喧嘩を売ることは、エッケインには難しかった。


「我々は、もう暫くこの街に滞在する。馬車に乗るような『檻』入れ物を準備しなくてはならなくなったからね。キミはどうする?エッケイン君。」

「……明日、首都に帰ります。」

「そうか、それがいい。良き旅を。」


 意味深に笑うルデマに一礼して、エッケインは部屋を後にした。

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