第8話【親ガチャ】

 ......久しぶりにやってしまった。

 風情があるといえば聞こえはいい、このオンボロアパートの階段並みに、今の私の心は傷ついていた。

 水曜日は太客の藤原さんの予約があるからと楽観視し、ロクに営業ツイートもせずにいたらまさかのドタキャン。

 慌てた頃には時既に遅く、平日のど真ん中いうこともあって客足自体がそもそも悪い。

 結果、新人の時以来の『お茶引き』――0人で終わってしまった。


 店長はフォローしてくれたけど、私自身のプライドがそれを許してくれない。

 JKリフレに限らず、メイド喫茶やコンカフェ等の亜風俗業は特に生き残るのが厳しい世界。

 少しの失敗で経営が傾きそのまま閉店、なんて話はよく耳にする。

 ましてや私はお店を支える太い柱の一人。

 なのに最近は調子がうなぎ上りだったこともあって、完全に油断してしまっていた。

 明日からはまた初心に帰ってバリバリ積極的に動いていこう!


 そう気持ちを奮い立たせ合い鍵で部屋のドアを開けた私に、気持ちが萎える声たちが届き、思わず顔をしかめる。

 圭一郎さんはこの時間夜勤バイトのはず。

 となれば――相手は誰か大体見当がついていた。


 私はそっと玄関のドアを閉めると、居間から着替えを用意し、二人が行為に及んでいる寝室の前を素通りしそのまま脱衣所に直行した。

 もう慣れている。

 服を脱ぎ、イライラした気持ちを落ち着かせるように、浴室で温度低めのシャワーを全身で浴びて雑音を消し去る。 


「あんた、帰り早いなら連絡よこしなさいよ」


 ドライヤーで髪を乾かし居間に戻ってきた私を、母がタバコを一服しながら怪訝な視線を向ける。 


「――お母さん、部屋の中では吸わないでって、あれほどいつも言ってるでしょ」

「うるさいわね。ベランダで吸うと、隣のジジイが大家にクレーム入れるから仕方ないじゃない」


 だったら禁煙したら? と条件反射的に口から出そうになるが、すっかりニコチン中毒に陥った人間には何を言っても無駄。

 諦めて私はミネラルウォーターを取り出そうと冷蔵庫の中を覗いた時、仕事前に作り置いていったお好み焼きがそのままになっていたのが目に留まった。


「ねぇ、夕飯どうしたの?」

「お寿司もらったから、それつまんじゃった」

「......え、何それ」


 悪びれる様子もなくまだタバコを吹かしている母に、低い声音で訊き返す。


「お母さんが食べたいって言ったから、仕事前にわざわざ作ってったんじゃん」

「気が変わったの。食べたかったらあんたが食べていいいわよ」

「そういう問題じゃなくない?」

「だったらお父さんの朝ご飯にでもしたら。多少痛んでいてもあの人なら平気よ」


 仮にも私たちの恩人に対する母の言い方が感に触り、勢いでお好み焼きの乗った皿を取り出しゴミ箱に流し捨てた。

『なに勝手にイラついてんの?』と言わんばかりのだるそうな視線が、余計に私の感情を逆なでする。


「ん」

「なに?」

「今月分の生活費、まだ貰ってないんだけど」


 タバコを持っていない方の手を私の前に突き出すのは、早くよこせという催促の合図。

 鼻息一つ大きく出し、ポケットから財布を取り出し今月の生活費・6万円を母に手渡す。


「......足りないわね」

「は? よく見てよ」


「あんた、今の世の中6万ぽっちで一ヶ月生活できると思ってんの? 電気もガスも値上げ続きで、少なくてもあと2万は必要なの」


「バカ言わないで。私だってこれが限界なの。そんなに生活苦しいならお母さんもいい加減働けば?」


 私はJKリフレの仕事、お父さん――圭一郎さんは交通整理のアルバイト等をしてなんとか我が家を支えている。

 ロクに家事もせず、他の男と遊んでばかりの名ばかり専業主婦の母さんに感謝はされても文句を言われる筋合いは欠片かけらもない。


「いいじゃない。どうせ男騙して手に入れた汚い金なんだから。たかがあと1万増えたって」

「......いま、何て言った?」


 グツグツと煮えたぎっていた私の胸中が大きな泡に膨らみ爆発した。


「JKリフレはその辺の風俗とは違うの。バカにしないで」


「若さを売りにして男に身体を触らせる......股は開いていなくても、根本は同じ。いくら綺麗事を並べても所詮は性を売りにした商売」


「お母さんと一緒にしないで!」


「私、今はもうお金なんてもらってないわよ。欲求不満な男の性欲を解消してあげてる、慈善事業主なの」


 私が圭一郎さんに告げ口しないのを分かっていて他の男と関係を結ぶ母。


 ......この人だけじゃない。


 前の父親を含め、この人たちの血が私にも流れていると思うと憎悪で吐き気が止まらない。


「払いたくないなら、この家から出て行ったら?」


 冷たく言い放たれた一言は、私の決意を固めるには充分過ぎた。

 ミネラルウォーターのペットボトルを床に叩きつけ、私はキャリーバッグの中に着替えと最低限の化粧品等を詰め込み準備をはじめた。

 あと少し貯金が貯まったらこの家を出て行く予定だったので、気持ちに何の迷いも生じなかった。


彼方かなた、本気なの?」

「......」


 無言を貫いて私の意思を強調しても、この人には絶対分かってくれないだろう。

 圭一郎さんには申し訳ない。

 でもこれ以上母と生活していたら気が狂いそうだ。

 もう私の人生をめちゃくちゃにしないでほしい......。


「どうでもいいけどあんた、出て行くなら今までの養育費、全て払ってから出て行きなさい」


 奥歯を噛み締めながら準備を終えた頃、ようやく口を開いたと思えばまた金――金――どこまで金の亡者なんだ!


「ッ!! そんなにお金が欲しいなら、お金と再婚すれば良かったじゃん!」


 過去。

 母に育ててもらった恩を感じたことは一度たりともない。

 それは未来永劫変わらないだろう。

 むしろこれまで家計を支えてきたのは私で、養育費を請求するとはどの口が言える。

 財布の中に入った小銭全てを、怒りと不満と共に母に投げつけ、私は振り向きもせず部屋をあとにした。

 キャリーバッグのキャスターが外階段の格子にぶつかり、鉄の鈍く甲高い音が夜の闇に響く。

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