第3話【人妻の謀】

「この軟骨のから揚げ、塩胡椒のバランスが絶妙でとても美味しいですね」


 居酒屋の四角いテーブルを挟んで目の前に座る女の子は、飲み物と一緒に運ばれてきた鳥軟骨の唐揚げを美味しそうに頬張り、ありきたりな感想を述べた。

 

「良かったら、俺の分なんか気にしないで全部食べちゃっていいから」

「本当ですか? ありがとうございます」


 俺の言葉を受け取るや彼女は自分の方へと皿を寄せ、そのほんのり桜色の唇を開けて、リスみたいに次々にモグモグと口の中に放り込む。


 いまこの場にいるのは、俺と初対面の彼女のみ。

 二人の共通の知り合いにして、この飲み会の企画者はというと......ドタキャンしやがりました。


「それにしても有坂先輩、残念でしたね」


「まぁ考えてみたら、いくら同じ職場の人間とはいえ、新婚の奥さんが男と一緒に飲みに行くのは、同じと男としてあまりいい気分はしないからね」


「そういうものなんですか」


 有坂さん曰く苦渋の決断だったらしいが。俺と目の前にいる彼女・真白彼方ましろかなたさんを無理矢理くっつけるために一芝居売ったと取れても過言ではない。


 ――にしても意外だった。

 俺はてっきり有坂さんの知り合いで風俗嬢なだけに、同じ陽キャ属性は確実だと思っていたんだが......まさかこんな見た目も中身も控えめで大人しい子がやってくるとは。


 肩よりちょっと下にかかるくらいの艶やかなミディアムボブの黒髪に、伊達だという眼鏡をかけても損なわれることのない、愛嬌のあるたぬき顔。

 ほんのり桜色の唇から時折覗かれる、特徴的な八重歯が、彼女の小動物感をよりいっそう引き立てている。

 全身ユ〇クロコーデで固めらていて一見地味そうに見えるが、話してみると思ったより受け答えもはっきりとし、男性との会話に慣れている感覚が窺えた。さすが夜の仕事方面の方だ。

 ――とはいえ、

  

「「.........」」


 見知らぬ男女が突然サシで飲むことになったこの現在進行形のいま、お互いどんな会話をしていいかわからないと言った様子が、もう何度も繰り返されている。

 仕事関係の相手であれば何とか会話のネタをひねり出すところだが、プライベートではそこまで身が入らない。

 沈黙が嫌でビールを飲むペースを少々速めてしまった影響か、まだ2杯目に入ったばかりの段階で既に酔いが回り始め、慌てて俺は意識を強く保とうと頭を横に振った。


「大丈夫ですか?」


 無言でチョレギサラダを食べていた真白さんが、心配そうな眼差しを俺に向ける。


「すいません、ちょっと軽く酔っぱらってしまったみたいで」


「そういう時はお水をいっぱい飲むか、あとは手の平の真ん中と、親指の付け根の辺りを指で押してみるといいみたいです」


「詳しいんだね」

「はい。いまの職場のオーナーがそう言ってました」

「職場っていうと、真白さんはその......風俗嬢なんだっけ?」


 少しふわふわしてきた頭でトークテーマを投下したんだが、どうやら俺は地雷を踏んでしまったらしい。


「え? まぁ、はい」


 表情を曇らせ、真白さんは視線を横に逸らして頬を軽く掻いた。


「有坂先輩からどこまで聞いてます?」

「どこまでも何も、風俗店で働いているとしか」

「......あの人、JKリフレは風俗店じゃないってあれほど説明したのに」


 真白さんはうめき、何やら有坂さんに対してぶつぶつ文句を言っているように聴こえる。


「JKリフレって、お客さんに性的なマッサージを施すっていう......あれ?」


「そんなことをするのは派遣型の不健全店くらいです! ウチは店舗型の健全店なんで絶対にやりません!」


 地雷から見事に足を離してしまったらしく、真白さんが眉を寄せて俺に抗議してきた。


「この際ですから、藤原さんにもJKリフレについて説明します」

「あ......はい」


 どうやら俺は無意識のうちに、彼女の仕事へのプライドを傷つけてしまったらしい。

 ため息一つ吐き出し、ずれた眼鏡の位置を直すようにブリッジをクイと持ち上げ、真面目な表情でJKリフレのことについて語り始めた。


「藤原さんにとって、風俗の定義とは何ですか?」

「えっと......やるかやらないかの違い?」

「正解です。その定義からすると、JKリフレは厳密に言うと一般的な風俗――いわゆる性風俗には当たらないんです」


 適当に言ったら正解してしまった。


「そもそもリフレとは”リフレクトロジー”の略称で、医療行為にあたらない簡単なマッサ

ージを目的とした行為をするのが目的です」


「そうだったんだ。でもそれって風俗店には変わりないんだよね」


「一般的に”性交類似行為”をサービスとして提供するのが性風俗。ウチはあくまで女の子

との会話やその......健全な身体の触れ合いを目的としたお店なので大きく違います」


 健全な身体の触れ合い、ねぇ。

 要するに小学生や中学生くらいの男の子たちが、好きな女子にするようなボディタッチくらいのことを示すのだろうか。

 今時の子供は昔に比べてかなり進んでいるというのに、その程度で満足できるのは賢者か、もしくは賢者見習いしかいない気がするが。


「だとしても俺みたいに風俗店=やれる場所と勘違いしてる人間がいるんだから、当然知らないでやって来る人間もいるでしょ」


「そうですね。そっち目的で来店するお客さんも多いので、オーナーは毎回あしらうの大変みたいです。秋葉原も最近またグレーゾーン......というか違法な店舗が増えてきたらしいので。いい迷惑です」


 唇を尖らせて語る彼女に俺は返事代わりに呻く。

 その辺りの話しは俺も小耳に挟んだことがある。

 数年前に当時世間を騒がせた流行り病の影響をモロに受け、秋葉原も業種やお店の大小関係無くかなりの店舗が閉店に追い込まれたらしい。

 そこへ新宿や池袋等で活動していた『反社や反グレと繋がりがある』運営会社が多数入り込んでしまい、一時は時勢柄もあって客引きが横行して治安が悪くなったとか。


「とにかく、JKリフレはメイド喫茶やガールズバーと同じ亜風俗に分類されるんです。その辺の性風俗と同列にしないで下さい」


「......失礼しました」

「あ、すいません。私ったら初対面の方にこんな熱く語ってしまって」


 八重歯を見せはにかむ彼女は恐縮したように頭をペコリと下げた。

 驚きはしたが、自分の仕事に誇りを持って語る姿に羨ましさを感じ、首を横に振った。


「いやいや。こちらこそ真白さんより全然年上の身なのに無知で申し訳ない。俺、秋葉原はよく行くんだけど、完全にそっち系のお店だと思ってた」


「そうなんですね。良かったら今度遊びに来て下さい。私、お店では妹キャラで売ってるんで」


「キャラとかあるんだ」

「はい。藤原さんのご希望があれば、どんなキャラでも演じてみせますよ」


 眼鏡のレンズ越しに見える彼女の瞳は爛々と輝き、俺は単純にそこまで誇りを持って働いているJKリフレがどういうものなのか興味が湧いてきた。

 彼女からしてみたらなんてことの無いセールストークかも知れないが、いま思えば、あの時から俺は既に彼女の術中にハマってしまっていたのかもな。

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