第2話【きっかけはある日突然に】
俺が”沼”にハマった事の発端は、今から3ヶ月前に遡る。
「でさー、
コンビニの駐車場に停まっている、弊社の看板商品でもあるペットボトル飲料の写真が大きくラッピングされた、嫌でも目立つ配送トラックの中。
窓全開の助手席でアルバイトの『
大手飲料メーカーに務める俺は、自動販売機の商品の補充が普段の主な業務内容で、そのため昼食休憩はほぼ毎日コンビニの駐車場でとることが多い。
「有......古賀さん、いつも言ってるけど、周りの人の迷惑になるからもうちょっと静かに話してもらえるかな」
「ごめんね、私ったらまたつい......それから有坂でいいよ。なんか旧姓で呼ばれる方がしっくりくるし」
新婚ホヤホヤの彼女は金色寄りの茶髪の横髪を掻き分け『てへ』と苦笑を浮かべ、小さく頭を下げた。
職業柄食べるのが早い俺と比べて、彼女の
「でね、ムカついたから私、今日の秀ちゃんのお弁当の中身はこんな風にしてやったの」
「......これはまたメッセージ性の強いことで」
有坂さんからスマホの画像を見せられ、思わず失笑がこぼれてしまう。
そこには一面白米が敷き詰められた上に『YESorNO?』という文字が
「そんなことないよー。少し前まで子供は3人くらい欲しいなーってあれだけ言ってたのに、いざ結婚してみたらこれだもん。ホント、男って口先だけだよねー」
「俺も一応男なんですけど」
「やだー。藤やんは別に決まってるでしょーよ」
食べかけのサンドイッチを持ったまま口元を抑え、有坂さんは空いてる方の手を軽く振ってみせた。
「支店内でも成績トップ3に入る、しごできイケメン営業マン。性格も優しくて穏やかな良いお父さんになること間違い無しの優良物件......なのに彼女いない歴8年はこれ
「はは......」
「その様子じゃ、聞くまでもないか」
俺は年に数回、取引先の方や支店の後輩に誘われて、飲み会という名の合コンに誘われることがある。
国民の誰もが知る、大手飲料メーカー務めというブランドは合コン受けが良く、高収入を期待した女性たちから渇望の眼差しで見られることが多い。
――が、実際は他の大手飲料メーカーと比べたら給料は
入社一年目の新人は営業職に就かない限り、一人暮らしすらまともにできないほど恐ろしく安月給。
「藤やんもいい加減婚活したら?」
「婚活ねぇ......」
「試しにマッチングアプリとかに登録してみるとかさ。このままだとあっという間に40代に突入して、益々人生のパートナー探しが大変になっちゃうよ?」
「......別にいいかな。今はまだ一人を楽しみたいというか」
同期は半分以上が結婚したと聞くし、いま所属している支店の同年代のメンバーも、俺以外は基本結婚はしていなくても恋人くらいはいたと記憶している。
――俺もそんなことは百も承知なんだけどね――。
有坂さんのいつものお節介に、俺はお茶を濁す意味の笑みを浮かべた。
車内に一瞬の静寂が生まれた瞬間、運転席のダッシュボードに置かれた、俺の社内用スマホの着信音が鳴り響いた。
『お疲れ様です。米倉です。すいません、いまお時間よろしいでしょうか?』
耳元から聴こえてくる淡々とした行儀の良い口調の主は、俺の所属する支店の事務社員『
俺とは七つ年下の24歳で、有坂さんの一個上。
社歴はまだ三年目だが、固そうなイメージとは裏腹に意外と笑顔を見せる女性で、支店内でも結構狙っている後輩は多いと聞く。
「お疲れ様です。丁度いまお昼休憩中なんで大丈夫だよ」
『お食事中に申し訳ございません。神田重工さんから早く自販機の補充にお伺いしてほしいとの催促がございまして』
「了解しました。休憩が終わり次第、すぐ神田重工さんに向かいます」
『よろしくお願いします。それから――』
丁寧な口調だった声音が少々厳しいものに変わり、
『隣にいる有坂さんに「休憩中も会社のイメージを背負っていること意識して下さい」とご伝言をお願いできますでしょうか? パートでも我が社の従業員ではあることに変わりはないのですから。藤原さんの口から直接ご指導していただけると助かります』
「ああ。そう伝えておくよ」
この感じ......さてはまた有坂さん宛にクレームでもくらったな。
用件を手短に済ませた彼女は、再び元の声音に戻ると電話を切った。
「なんだって?」
呑気な言葉をかける有坂さんは電話中食べることに集中できたためか、先ほどより食が進んであともう少しで完食できそうな量しか残っていない。
「米倉さんから。神田重工さんが早く自販機の補充に来てほしいって連絡があったみたい。あとついでに有坂さんに対して『もっと静かに昼休憩しろ』と」
「やっぱ絶対あの人私のこと嫌ってるよ! そう思うでしょ、藤やん!」
「はいはい。また声大きくなってるからボリューム下げようね」
唇を尖らせブーブー文句を垂れる有坂さんを
誰にもでも相性というのは存在するが、この二人は云わば水と油。
例えば学校での昼休み中。
有坂さんがクラスメイト数名と教室内で騒いで過ごす陽キャだとすれば、米倉さんは隅っこの自分の席で一人黙々と食事を手短に済ませ、余った時間で勉学に
価値観などが正反対な二人が仲良くできるなんてことは、余程ドラマチックな出来事でも発生しない限りは無理に等しい。
「そうだ。藤やんが電話中にいいこと思いついたんだけどさ」
「なんでしょう」
彼女とはコンビを組んでもう三年にもなるので、こういう不敵な笑みを浮かべている時の有坂さんがロクなことを考えていないのはよく知っている。
「私の知り合いと合コンしない? 私と藤やんと、その子の三人で」
「それ合コンじゃなくてただの飲み会じゃ」
「まぁ聞いてよ。その子、私の四つ下なんだけど、なかなか男運が無い可哀そうな子でね」
配送車のエンジンをかける俺に、有坂さんは尚も話を続ける。
「今は都内の風俗店に勤務してて、このままだとまた悪い男に引っかかりそうだからさ」
「だからそうなる前に俺とくっつけようと」
「さすが藤やん。話がわかる」
「残念だけど、丁重にお断りさせていただきます」
「そんなこと言っていいのかなー? この前取れた新規のお客さん、あれ私のおかげだよねー?」
それを言われてしまうとぐうの音も出ない。
有坂さんはその誰にでも明るく気さくに接する性格上、おじさんキラーな一面を持っている。
そのおかげで取れた新規の自販機契約も一つや二つではないので、ここで下手に断って俺の営業成績に影響が出る、なんてのはあまり好ましくない展開。
「......まぁ、結婚祝いもまだあげてなかったし。しょうがないな」
「ホント!?」
「但し、その子と俺が付き合うかどうかは別。あくまで飲み会っていう定ならいいよ」
「おっけおっけ! じゃあ私、さっそくその子に連絡するね! あ、もちろんお金は全部藤やん持ちで」
「わかってます」
サンドイッチを完食し弁当箱を片づけた有坂さんは、慣れた手つきでスマホを操作し、その風俗店勤務の知り合いとやらにMiNEを送った。
これが、俺が”沼”にハマるきっかけとなった、最初の一歩である......。
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