11-2

「頭領、信蔵は」


 河上栄達が何の説明もなく独断で江戸に連れていった特務隊は、まるで大戦に駆り出されたかのような、惨憺さんたんたる様になって帰ってきた。死者こそ出なかったが、結構な手負いになった者ばかりだったのだ。


 そして怪我の手当てを受けた何名かに問いただしたところ、頭領に命じられ信蔵を、と彼らは言いづらそうに、しかし一様に口を揃えた。


 このところ佐太郎が感じていた嫌な予感が、的中してしまったことになる。


「栄達師匠!信蔵はどうなったのです!?」


 そう詰め寄れば、アァ五月蝿うるさい、というように手を振りつつ、彼は口を開く。


「あれは崖から落ちたわ。まったく……天塩にかけた精鋭隊をぼろぼろにしてくれおって」


「ご説明を!夜叉一たちから聞きましたが、間引くとは一体どういうことです!?そのような話は、我々役持ちの誰も聞いておりません!」


 佐太郎と河上栄達の付き合いは長かった。とり立てて光るものを持ち合わせていなかった佐太郎を、一人前の忍に育て上げたのは彼であると言っても過言ではない。


 栄達自身は体術的な部分についてはあまり得意としなかったため、その点については他の者の手を借りていたが、事態を動かすことや何かを見抜くこと、その他の多くの重要なことを彼から教わった。


 そうして長く関わるうちに、ひとつ思っていたことがある。


「聞けば止めるであろう?己らが育てたという自負もあろうが、お前たちは少々情に厚すぎるのだ。うかうかしていると、すぐに裏切りの危険を抱え込みおる。ならば、頭領たる儂がやるしかないであろうが」


「……」


 彼は、他人をまるで信用しない。それこそ天落の仲間内であっても、だ。


 無論、どこぞの間者が紛れ込んだり、裏切り者が出ることもなくはないだろうし、用心するに越したことはないということは、佐太郎にもわかる。特に彼の頭領という立場上、里の誰よりも様々なことを疑ってかからねばならぬことも。


 ただそれにしても、佐太郎の感覚からすると少々度が過ぎているのでは、と思うほどに昔から栄達は疑うのだ。それが功を奏したことが幾度もあったため、良いか悪いかで問われたら答えにきゅうしてしまうところが、なんとも難しいところではあったが。


「どちらにせよ、あれははじめから間引かねばならぬ毒草だったのだ。お前は手間をかけておったがな。今後は見込み違いの者に時間を割かぬよう、よく見極めるのだぞ。いやこの際、信蔵などどうでもいいわ!問題はあの小野禍福といかいう化け物だ……!」


 引きった顔で、栄達は言い立てる。


「……小野禍福とやらが何だと言うのです」


 その名は佐太郎にとって、もはや鬼門であった。珍しく困り果てていた信蔵をなんとかしてやりたくて、栄達がふとした拍子に口にしたその名をよく吟味ぎんみせずに伝えてしまったがために、このような望んでもいない流れになってしまったのだから。


「爆雷で吹き飛ばした。正確には信蔵がそやつに気を取られていたところを狙ったのだが、庇いおってな。まぁどちらにせよ、の話だから構わんかと思うていたのだが……身は間違いなく千切れ飛び、血溜まりになっておったのに……それなのに、生きておったのだ。おまけにあのお方も、偉そうな口をきいていたわりに、少し雲行きが怪しくなっただけで簡単に諦めおって……まったく……とんだ根性なしよ……!」


 憤懣ふんまんやるかたない、という様子で息巻いた後、彼は大きくため息をついた。


「儂はしばしここにこもる。ひとまずは、お前が頭領代理として衆全体の指揮を取れ」


「なるほど。盾厚き里のただ中におれば、化け物は近づけぬだろうという算段だな。もっともと言えばもっともなやりようだが……儂相手では、まるで黒蜜の如き甘さよなァ」


 二人しかいないはずの空間を、ふいに栄達のものでも佐太郎のものでもない声が揺らした。


「嫌いではないぞ?あれはなかなかに旨いものよ」


 突然現れたその男に、場が一気に凍りつく。背は高く、目を惹く優美な顔立ちで、濃い紫の着流しに艶やかな打掛けのような衣をゆるりと羽織っている。


「おや、何をそんなに驚いている?」


 気配もなく、音もなく、またたきの間に突如現れたその姿を、二人は引きって見つめた。


「……小野、禍福」


 かすれた声で栄達が呟き、佐太郎はこの時初めて小野禍福を実際に目にした。爆雷筒を食らっても死ななかったという話から、恐らく幻術使いか何かの類ではないかと推測していたのだが。


 ——————なるほど……確かにそのような生やさしいものではなさそうだ……


 とにもかくにも、異様でしかない。


 ここは江戸からそこそこ離れた場所にある、天落衆の隠れ里のひとつだ。長距離を速く駆ける訓練を受けた忍でもない限り、一日や二日で至れるような距離ではなかった。そして里の中心たるこの館にも里の周辺にも、いかなる時も緩むことのない厳重な防御網が幾重にも敷かれている。何者かが入り込めば速やかに排斥され、その知らせはすぐに届けられた。


 しかしながら、侵入者の報はひとつも受けていない。


 数刻前に伝令鳥に届けられた報告では、小野禍福は確かに江戸にいたはずだ。にも関わらず、誰の誰何すいかも受ける事なく、彼は守られた部屋のど真ん中にこうして現れた。その気配も、何もかもが、異質でしかない。


「お主が佐太郎殿だな」


 ふいに右耳のあたりで囁かれ、びくりと身が固まった。小野禍福が立っている位置とは全く別の方向から、彼の声がしている。どうやらこの声が聞こえているのは、佐太郎だけであるらしい。栄達はなんの反応も見せていなかった。本当につくづく得体が知れない男だ。だが、


「信蔵は無事だ。いくらか怪我はしておるが、命に別状はない」


 予期せずもたらされたその知らせに、密やかに攻撃に転じようとしていた動きが思わず止まる。


「お主には、今はただ聞いていてもらいたいのだ。儂が用があるのは、あの男だけ。それも命まで取るつもりはないし……お主はもとよりこの里にも、害なす気は毛頭もないのでな」


「……」


 佐太郎は了承の合図として、繰り出そうとしていた暗器を出すことなく両手を下げる。何にせよ、栄達はいかな頭領とはいえ、あまりにも衆を私物化し過ぎた。これ以上は見過ごすことはできない、と言うのが隊長連や里長たちの総意である。


「誰ぞ!曲者くせものじゃ!」


 彼の呼びかけには、静寂が応えるばかりだった。近くには幾人もの腕利きの忍が控えているはずだが、反応する様子が全くない。


「……なぜ」


 それどころか、ふすまも隠し扉も動かなくなっているようだった。開けようと取りすがる栄達を眺めながら、小野禍福は酷薄な笑みを浮かべる。


「開かぬか?開かぬよなぁ……どうして開かぬか、教えてやろうか?……それは儂がな、この部屋を取り込んだからよ」


「……取り込んだ?」


 不可解な言いように佐太郎が思わず呟くと、彼は静かに頷いて続けた。


「この世の不思議が起こる時、当事者以外はなぜか気づかぬということが往々にして起こる。つい寸前まで共に遊んでいたはずの子が隠され……気をつけていたにも関わらず、守るべきものがいつの間にやら外に出ている……それはこの世とはいささかずれた、怪しきものの領分に入り込んでしまったからだな」


 小野禍福の薄い唇が、いよいよ不穏な言葉を吐き出してゆく。彼がさして大きくもない声で淡々と語るほどに、部屋の隅にこごった闇が濃くなり、肌が逆立つような寒気が強くなっていくのだ。


「そして儂が怪異としてここにいる以上、ここは儂の領域になる。よって、どんなに声を上げようが音を出そうが、控えの者たちには聞こえぬ。どんなに襖を開けようとしたところで、決して開くことはない。儂がそれを許すまではな。ここはお前たちの館かもしれんが、今この部屋、この場の主人は——————この儂なのよ」


「……怪異……?」


 眉根を寄せた栄達に、小野禍福は薄く、それは薄く笑った。


「己が一体何に牙剥いているのかもろくに見定めぬまま、刀を振り上げたのか?愚か者め」


 冷たく言い放った彼だったが、ふと思い直したように顎に手をやり小首を傾げる。


「とはいえ、儂は人が全力を尽くすのを見ているのが好きでな。……良いぞ?ここから出るために、思いつくことを全てやってみるがよい。もし見事逃れることができたなら、此度こたびだけは見逃してやろう。なんなら、儂自身に挑んでくれても構わんぞ?まぁ、この身を吹き飛ばしたところであまり意味がないのは、お主の方がよくわかっているかもしれんがな」


 あまりに圧倒的な力の差に唇を噛んでいた栄達だったが、ヤケになったのかなりふり構わず猛然と抵抗を試み始めた。しかし、襖はおろか壁にも床板にも天井にも、まるで歯が立たない。拳はもちろん、刀も、暗器の類も、なにひとつだ。しまいには強威力の火薬玉まで炸裂さくれつさせたが、もっとも薄い壁にすら穴ひとつ開かなかった。


「……」


 万策尽きたらしい栄達は、ごくりと喉を鳴らして、なんの構えもせずにゆるりとたたずんでいる禍福に目をやる。


「気はすんだか?儂を敵に回すとはそういうことよ。裏方にしておくには、あまりにももったいない度胸よなァ」


 言葉とは裏腹に、射殺しそうに鋭い眼光が彼を貫いていた。


「あ、貴方様のことを……不勉強にして存じ上げなかったので……」


「お主と手を取り合っていたお武家殿は、教えてくれなんだか?そうであろうなぁ、儂の真の実態を知るのは、ごく限られた者ゆえ……ちと厄介らしいゆえ消しておいた方がいい、くらいにしか思うてなかったのだろうな」


「……っ」


 少し離れた場所に立っていたはずの禍福がほんの一瞬で移動し、肩を掴まれ引き寄せられた栄達がヒッ、と微かに悲鳴を上げた。


「これ以後、命が惜しいのであればよくよく気をつけよ。儂はお主の知らぬほんの束の間に、そのすぐ隣の闇に潜むぞ?」


 耳元でねっとりと意地悪げに囁かれ、百戦錬磨の忍もさすがになす術なく震え上がっている。


「どうぞお許しを……なんでも致しますゆえ……何卒なにとぞ……」


 栄達はとうとう小野禍福の足元にぬかずき平伏した。


「……なんでも、とは?」


 気のない様子で、彼は冷たく尋ねる。


「なんでも、わたくしめにできることであれば、なんでもでございます!どうか不敬をお許しください……!」


 床に這いつくばった栄達をじっくりと見下ろしてから、禍福は言った。


「……そうだな……では、あれを自由にせよ」


「……あれ、とは?」


 異質な存在への恐怖で頭が回らなくなっているのか、恐る恐る聞き返した栄達に、禍福は静かに告げる。


「お主の命令に従わなかった部下がおっただろう。そのせいで事実上、抜け忍となってしまったのだろうが……追うな。殺すな。全てを不問にせよ。そうしたらその間だけ、お主の儂への不敬を大目に見てやる。ただし、お主やこの衆の息のかかった者のためにあやつに何かあったら、この約束は即座になかったことになると思え。よいな」


 これこそが彼の目的だったのだと、佐太郎にはすぐにわかった。この確約を得るために、栄達が里のど真ん中にいるところをわざわざ狙って現れ、力を見せつけて恐怖をあおったのだろうと。


「わ、わかりました。信蔵については全てにおいて不問と致します。全てはあなた様のお望みのままに」


「その言葉、ゆめゆめ忘れるなよ」


 這いつくばった天落衆頭領にそう言い置き、佐太郎にひとつ頷いてから、禍福は空中に溶け込むようにして消えた。つい寸前までそこにいた形跡を、何ひとつ残すことなく。

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