10-3

 物取りが入り込んでいたが、たまたま宿坊に泊まっていた信蔵が応戦し、賊は逃げ出して事なきを得た、ということにしてその場はなんとかおさまった。


 寺には円心がうまく話をつけて口裏を合わせてくれたようで、役人たちからそれ以上突っ込まれることもなく、信蔵はほっと胸を撫でおろす。


 そして取り調べを終え、円心たちと共に朝餉とも昼餉ともつかぬものを食べてから、信蔵はようやく帰途についた。











 ——————あれだけ立て続けだと、さすがに疲れたな……早く部屋で休みたい……


「……ん?」


 狸長屋に戻って来た信蔵は、目に入ってきた光景に眉根を寄せる。長屋の住人たちが井戸端に溜まっているのはよくあることだが、今は皆一様に暗い顔で深刻そうに話し込んでいるのだ。信蔵と比べると陽気な人々ばかりなので、なんとも珍しいことだった。


 やれやれこの人生ときたら、一難去ってまた一難なのだろうか、などと思いながら声をかける。


「あの、何かあったんですか?」


「……何かってそりゃあ」


 一斉にこちらを見た住人たちは、唖然とした顔で信蔵を見つめている。


 そして次の瞬間、


「「「「「信蔵!!」」」」」


 と、耳がどうにかなりそうな大音声だいおんじょうで叫ばれたのだった。


「おい!なんだよ!生きてるじゃねぇかよ!心配かけやがってこいつゥ!!」


「あんたちゃんと足ついてんだろうな!?ええ!?」


「ちょっと、生きてるけど怪我だらけじゃないの!」


「俺ぁ大家さんと藤一郎さんに言ってくるわ!あと、権三さんとこも!」


 それぞれが思い思いに大声をあげて、まるで天地をひっくり返したような騒ぎになってしまった。


 なんでも、五角家の離れから出火した噂が届き、しかし待てど暮らせど信蔵が長屋に戻ってこないものだから、焼け死んでしまったのではと思われていたらしい。


 聞けば離れは全焼したが、幸い延焼はしなかったという。極力類焼を防ぐよう気をつけて事を起こしてはいたが、うまくいったかはわからなかったので信蔵はほっと胸を撫で下ろす。


 これで五角家の母家やら、関係のない人々の家まで焼いてしまったとなると、あまりにも胸が痛むところだった。



 *  *  *  *  *  *



 姿を消していた禍福が狸長屋にやってきたのは、翌日の夜更け頃だ。


 いつかのように部屋前に現れた気配に気づき、彼が戸の前に立った瞬間に、信蔵は戸を開けた。


「……ちゃんと戻ってきたな」


「当たり前だ。儂は約束は破らぬ」


 涼しい顔で言ったあと、


「おや、今日は怒らぬのか?木戸が閉まっておる時間に、うっかり来てしまったが」


 そう笑ったことからして、禍福もいつだかのようだと思っているらしい。


「問題ない。焼け出された友人を泊めるかも、と大家さんには既に伝えてあるからな」


「……そうか」


 頷いた彼は、この上なく優しい目をしていた。


「丸一日、一体どこに行っていたんだ?」


「なに、本願が果たせなかったのでな。この行き所のない気持ちをぶつけても支障のないところにおもむいて、盛大に八つ当たりしてきたのよ」


 禍福はにや、と不穏に笑う。


「……八つ当たりしても支障のない場所ってどこだ?」


「どこだろうな?それはそうとお主、もう五角の家には事の仔細しさいを伝えてしまったか?」


 信蔵は首を振る。


「いや、お前が生きていることを早く伝えた方がいいかもとは思ったのだが、話を合わせてからの方がいいかもしれんと思って、まだ何も言っておらん。俺もあの後取り調べやら、長屋に戻って来たら来たで、俺が死んだとか死なないとかで騒ぎになってしまっていて、ばたばたしていたのだ」


「ならばよかった。儂が妙な力をもっていることはご存知だが、彼らは維人ではないゆえ伝えない方が良いことも色々とあってな」


 二人はどういう形で伝えるのかを声を潜めて相談し、夜が明けて屋敷が動き出した頃合いを見計らって、顔を出しに行くことに決めた。


「……それにしても悪かったな。相談もせずに、お前の家を焼いてしまって」


 信蔵が詫びると、禍福は軽く笑う。


「構わんさ。お前が焼かずとも、どうせ自分で焼くつもりだったのだ。隆守殿には申し訳ないことだが……そうしなければ、死体が儂ではないとばれるであろうが」


 言いながら、禍福はにや、と何か含むところのある笑みを浮かべた。


「だが今回は結局、お主が事を起こしたからな。儂はあったことをそのまま説明することにする。たまたま伝手つてで儂の命の危機を察知した信蔵に、なんの相談もなく気絶させられて連れ出されたと。だからお主、覚悟しておけよ。当主殿たちは儂を守るためであったならと恐らく納得してくれるだろうが、それではおさまらぬ者もいる。あれで存外、紫織は怒ると怖いぞ」


「そりゃ大事な客人に何してくれる、となるだろう。当然だ。伝家の宝刀を振りかざされる覚悟はしておく」


 普段にこにこしている穏やかな人間ほど、怒ると恐ろしい事になるというのは世の習いである。普段穏やかな師が一度だけ怒り狂ったのを見たことがあったが、次はできればあってほしくないと心底から思ったものだ。


「いや、そうではない。死体が二人分出たからな。たぶん儂とお主が焼けたと思って、さぞや心を痛めただろう。痛めた分だけ、怒りは長引く。そういう事情があったのなら、なぜ自分にも知らせておいてくれなかったのかと、多分ずっと言い続けるぞ。先に言っておくが、知らせたら紫織の身に危険が及ぶかもしれなかったから、ではあれは納得しないからな。前もそうだったのだ」


「……前?」


 信蔵は思わず聞き返す。


「あれがまだ娘だった時分に、ちょっとな」


 禍福は小さく笑って続けた。


「いや二度目ゆえ、さすがにどう機嫌を取ったものかと頭を抱えていたのだが、お主のお陰で助かったわ。では、紫織の件は任せたからな、信蔵」


 さすがに疲れたからちょっと休む、と言ってごろりと横になって眠り始めた禍福を横目に、頭の痛い件が増えた信蔵は苦笑するしかなかった。

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