第235話 世界思念体
Side:天霧 英人
「あの……タオさん? できればあっちに残って、みんなの事を頼みたかったんですけど」
鬼王の様子を確認しにきたんだが、タオさんは俺に抱きついたまま。
結局連れて来てしまった。
「もう離れないって言ったアルな〜 ぐふふ」
そんなタオさんは、俺の異変には気付いていなさそうだ。
ここにくる道中、ソウルボディを少し調整した。
触れられても大丈夫な様に、体温をソウルで再現した。
母さんの時の様に、要らぬ心労をかけてしまうかもしれないからね。
「ぐへへ〜 ダーリンッ♪ ダーリンッ♪」
タオさんの鼓動は少し速く、魂では喜びが爆発している。
反対に俺の体は、何も無かった。
女の子にこれだけの好意を向けられておきながら、俺は心臓が高鳴る事も無ければ、顔が熱くなるなんてことも無い。
魂で嬉しいとは感じるものの、体は眠ったまま。
タオさんの気持ちに、俺は応える事ができない。
イヴァ様の言っていた事を理解させられたところで、連れてきたシルフが声を上げた。
「いたのなの。あれが鬼王なの」
シルフが、地上を指差してそう言った。
指を差す方に目を向けると、鬼王はすぐに見つかった。
窪んだ平原の真ん中に黒い鬼が仰向けになっていて、その周りでは大勢の人間の死体が転がっている。
イヴァ様が見せてくれた映像と同じ光景だった。
「シルフ、イヴァ様は儀式と言っていたが……あれは何をしているんだ?」
確か魂を捧げて、伝承を降ろすと言っていた。
「あれは、世界の情報にアクセスできる類のソウルスキルなの。とても強力なの」
ソウルスキルと聞いて、俺は鬼王とその横にいる鬼を龍眼で覗いた。
仰向けに寝転がっている鬼王アルバゼオンが、「
______
「神捧の烙印」
:他者の魂に烙印を刻む。
烙印のある魂は、生贄として捧げる事ができる。
______
これが鬼王のソウルスキル。
そして鬼王の隣で、杖を振る白い鬼のソウルスキルは「思念降霊」。
______
「思念降霊」
:「世界思念体」へアクセスし、任意の情報を現界させる。
現界させる情報に応じたソウルが必要になる。
______
知らない単語が出てきたな。
「シルフ、『世界思念体』とはなんだ?」
「『世界思念体』っていうのは、世界のあらゆる情報が保存されている四次元空間の事なの」
ふむふむ……あらゆる情報が保存されている空間ね。
「その思念っていうのは?」
「生物の『思考』とか『感情』、頭で考える全てのものを『思念』っていうのなの」
思念か……つまり、今こうして俺が考えている事とか、タオさんの俺への好意とかも、総じて思念と呼ばれるとって事かな。
「『世界思念体』には、思念以外にも保存されているのなの。私と英人様の会話の内容、英人様の生まれた日時、呼吸した回数、今までどこで何をしてきたか。世界の始まりからこの世で起こった事の全てが、情報として保存されているのなの」
この世界がゲームの中だとしたら、『世界思念体』はプレイデータの保管場所ということかな。
その辺は父さんの方が詳しいかも、父さんの小さい頃にはまだゲームというものが流行っていたらしく、時々そんなことを話していた事がある。
まあそれはさておき――
「その情報の中から、鬼王は何を現界させようとしている?」
「それはおそらく『伝承』とか『神話』の類なの。この星はその辺りの思念がものすごく強いのなの――」
シルフが話す伝承や神話については、中々興味深いものだった。
地球は長らく、魔物や超常といったものとは無縁の世界だった。
だからこそ人々が考える逸話や伝説の類は、より強固な思念となって『世界思念体』に集まるらしい。
地球の人々が代々言い伝えてきた伝承は、他の世界のものよりも正確で具体的なものになっている。
日本神話とか北欧神話。
全能神ゼウス、主神オーディン、八百万の神々。
神を知らぬ人々の想像は、実在のものよりよっぽど神らしい。
精霊達に神と呼ばれる実際の俺は、それほど万能でもない。
できないことは多分にある。
そして鬼王は今、その地球の伝承を我が身に降ろさんとしている。
「鬼王が烙印を押した魂を捧げて、白い鬼が伝承を降霊させるのなの。何を降霊させるかまでは、儀式が完了するまではわからないのなの」
話をまとめると、鬼王が九州の人間達の魂に烙印を刻んだ。
その膨大な魂を使って、白い鬼が『世界思念体』へとアクセスする。
地球の何らかの伝承を、鬼王アルバゼオンの身に降ろす。
二体の鬼のソウルスキルは、片方だけでは意味を成さない。
二つのソウルスキルが揃って初めて、能力を行使できる特殊なものだ。
そしてその身に降ろすのは、おそらく神話の神々のどれかだろう。
シルフによれば、『偽神』という存在へと至るだろうとの事だ。
「シルフ。今更だけど、あの儀式を止められると思うか?」
聞いてはみたが、ソウルの流れを見る感じだとおそらくはもう止められない。
「無理なの。既に魂は四次元に捧げられている上に、鬼王の周辺一帯が神域の様になっていて手出しができないのなの」
捧げられた魂から抽出されたソウルの一部が、鬼王達を囲んで結界を構成している。
無理矢理破壊することもできなくは無いかもしれないが、その必要ももはや無いかもしれない。
「偽神となった鬼王の力は、俺に届くか? そもそもだが、俺はどうなったら死ぬ?」
俺自身に敗北する気は無いが、そもそも自分の敗北条件が分からなかった。
「英人様の魂が破壊されたら、もちろん元には戻らないのなの」
つまり、魂を直接攻撃されない限りは安全。
「他にはあるか?」
「うーん……死ぬわけでは無いけど、依代が破壊されたらダメなの。英人様だけは、魂だけでは現世に留まれないのなの。眷属は別だけどなの――」
今の俺は上半身の死体を依代として、現実の世界に留まっているらしい。
つまり俺の残りの肉体が完全に破壊された場合、俺は魂だけの存在となり、四次元空間でしか活動できなくなるらしい。
そしてこれは、イヴァ様が魂に刻んだ誓約との事だ。
この制約がなければ、魂とソウルボディだけでも三次元に留まれるんだとか。
なんでそんな誓約を科したのかは、いまとなっては分からないらしい。
「他にももしかしたら、私が知らないだけで英人様を殺す方法はあるかもしれないのなの。特殊なソウルスキルとかであれば、もしかすると可能かもしれないのなの――」
俺の権能は「魂」を司っているけど、できないことももちろんある。
完全に他者の魂を支配する事はできない。
さっき使った「ソウルハック」で言うなら、おそらく強者と呼ばれる者には通用しない。
ソウルを動かすのは人の意志の力、俺は人の意志を完全に支配する事はできない。
そんな魂から湧き出る強い意志、その意志から発生するソウルスキルというものであれば、俺の命に届く能力が生まれる可能性はあるという話だ。
「そうか。まあ油断はしない様にしよう。鬼王は俺が相手する事にするよ」
神の力を宿した存在との戦いは、俺にとっては意義のあるものだ。
いずれ起こるゼラとの戦いに向けて、ここで予行演習といこう。
自分の戦い方も、ちゃんと確認しておく必要がある。
さて……鬼王の儀式を待つ間、レイナ達の方へと行こうかな。
俺がレイナ達の方へ向かおうとした時、何処かから通信音がした。
――ピピピ
「シーカーリングか?」
そういえば、俺のシーカーリングはどこいった?
死体の左腕には装着されていない。
ネメアとの戦いで、どこかに行ってしまったか?
そうして着信音の出どころを探していると、どうやらタオさんのシーカーリングからだったようだ。
「タオさん。通信が入ってますよ?」
「うあ? ダーリンが出ていいネ。今はどうでもいいアルな〜」
俺は背中に回されたタオさんの腕を探り、シーカーリングの通信をとった。
『タオ様。こちら日本探索者協会会長の天道です。英人君と一緒だと聞いたのですが――』
通信は天道さんだった。
どうやら俺に用があるらしい。
「天道さん。俺です。英人です」
『おお! 情報は事実だったか』
「どうしました?」
『君が特別指定S級探索者に任命された件は聞いているかね?』
「特別指定S級探索者」、クランハウスで少し聞いていた。
「大まかな内容は聞いています」
『そうか、それなら話が早い。現時点をもって君に、全ての部隊の作戦指揮権を譲渡する。君が最善だと思う指示を――』
全ての部隊の指揮権が俺にあるらしい。
この権限は天道さんが半ば強引に決めたものらしいが、俺一人にこんな大きな権力を集約させたのは何故だろうか?
俺のこの疑問は、その後の言葉でなんとなく分かった。
「英人君……今から言う言葉は、私個人のものだ。探索者協会会長としてではない――」
そう前置きを挟んで、天道さんは俺に懇願した。
『レイナだけは……何があっても助けて欲しい。他の全員が死ぬ事に――』
俺は天道さんの言葉を止めた。
「それ以上は言わなくても良いです」
『うっ……すまない……忘れてくれ』
「もう誰も死にませんから、安心してください」
「あぁ……」
天道さんの涙ぐむ声を聞いて、俺は気付かされた。
母さんはどんな気持ちで、俺を見送ったんだろうか?
天道さんはどんな気持ちで、レイナを戦場に送り出したんだろうか?
心配しない筈がないよな……
母さんや天道さんには申し訳ない気持ちが溢れるが、俺は気持ちを切り替えた。
「天道さん、全部隊に前線基地まで撤退の命令を出して下さい。これから敵首領との戦闘に入ります」
『……了解だ。そのように通達を出す。武運を祈る』
そうして天道さんとの通信を終え、俺はレイナ達のいる阿蘇山西側の戦場へと向かった。
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