第4話 元カレ

 朝、最高にラグジュアリーなモフモフに包まれて、目を覚ます。

 程よく温かく、毛足の長い毛布……モドキだ。

 はっと我に返ってスマホの時計を確認すれば、あと十分でいつもの出発の時間。

 やばい。

 慌てて顔を洗って簡単に化粧して、服を着替えて準備する。


「なんじゃ騒々しい」


 モドキがのんびり起きてくる。

 羨ましい。来世は猫に産まれたい。


「あんた、いいからここで留守番してて。帰りにちゃんとチュール買ってきてあげるから」


 慌てて家を出る。

 今日は、絶対に休めない。半休も嫌だ。あんな事があった次の日に休むだなんて、正樹と別れてショックを受けているみたいで、負けた感じで腹立つ。


 猛然とダッシュして、なんとか遅刻は免れたが、急いでのせただけの化粧はボロボロだったので、少し抜けて女子トイレで化粧直しをする。


 よし。


 モドキのお陰で、泣きはらした顔にはなっていない。

 ラグジュアリーなモドキの添い寝で、睡眠もばっちりだ。化粧ノリも悪くない。

 平然とした顔で仕事をする。


「薫。ちょっと、いい?」


 廊下を歩いていた時に、正樹に声をかけられる。


「なんでしょう? 伊川さんに御用は有りませんが」


 にこやかに、涼やかに。そう心に言って聞かせて返答する。


「いいから」


 そう言って、強引に正樹に連れていかれたのは、資料室。

 今さら、何の話があるというのだろう? 少しは、謝ってくれるとか?


「なんで、俺の番号、着拒否なの? 早過ぎだろ?」


 正樹が文句を言ってくる。


「もう、別れたんだから当然です。さっさと幸恵ちゃんと付き合ったら?」

私は、精一杯の強がりを吐く。


「幸恵ちゃんにはフラれたよ。」

「は?」

「お前のせいだ。二股かけていたんだって、幸恵ちゃんにバレて、怒られた」

「私のせい……」


 何をいっているのだろう、この男は。そもそも、二股かけるのが悪いし、七年付き合っていた私が浮気相手みたいな扱い? おかしいだろ。幸恵が入社してきたのは、二年前だ。


「なんであんな派手な怒り方したんだよ。もっと、可愛げのある怒り方をすれば、まあ、俺も七年のよしみがあるから、そんなに怒らないのに。ちょっと、常識がおかしいんじゃないの?」


 うまく正樹の言葉が頭に入ってこない。

 私が黙り込んでしまったのをいいことに、正樹が勝手なことを次々と言い出す。

 そうか。七年の間に、私は正樹の中で、すっかりキープの都合のいい女に成り下がっていたんだ。私は、結婚なんてことをおぼろげに視野に入れている間に、正樹の心は既に次の女に向いていて、私とは、別れる理由が無いから適当に継続させていただけ。

 あいつ俺に惚れているし、多少の融通が利くから便利なんだ。なんて考えだったのかもしれない。


「ちゃんと責任をとってくれよ。これ、傷害罪だよ? まあ、七年のよしみで訴えはしないから。その代わりに、うまく幸恵ちゃんに説明してくれれば、それでいいからさ」


 責任? 傷害罪? 代わりに? 幸恵に説明?


 は?


 七年もの時間、こんな下らない男に時間を費やしてきたのかと思えば、頭がおかしくなりそうだ……。こんな奴との別れに、昨日涙など流さずに済んでよかった。

 だんだんと怒りがこみあげてくる。


 脳内でゴングが鳴る。

 顎を狙え!

 ……脳内のセコンドが、リングの外で叫んでいる。


 アッパーカットだ。脇を閉めて、相手から目を反らすな!

 ……やたらモドキに似た脳内セコンドが、肩からタオルをかけて、ピンクの肉球でポフポフとマットを叩きながら指示を出す。


 拳に捻りを加えて、威力を増すんだ!! 腰を入れてうちこめ!!!


 コークスクリュー!!!!!


 ギュルギュルと音を立てそうな勢いの渾身の一撃を、正樹の顎にお見舞いする。


「訴える? ちゃんちゃら可笑しいわ。勝手にすればいいわ」


 フンッと鼻で笑って、私は資料室を後にした。

 ちょっと、資料室の床に突っ伏していたけれども、所詮女の力の拳。大した怪我もしていないだろう。もう、無視だ。無視。


 すっきりとした気分で、通常通り以上にサクサク業務に従事して、心も軽く定時で帰社した。帰りにチュールを買って帰らねば。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る