第一刃亜種の舟盛りのような情報量②
緋走は刃については短剣は小凶、長ドスは中凶、そして倭刀を大凶と思っていた。
しかし、古林の好きな歌手は吉川晃司。
お客様には不吉よりも、吉兆を与えるのが旨いコーヒーを入れるコツであるらしい。
不味いコーヒーは味への私利私欲、とことんコーヒー豆を粗挽きすれば良いという話ではない、手作業で愛を込めてれば良いと思うのもまた傲慢、自動でやればいい、インスタントの平均値より下回るならば苦い粕だ。
緋走が表社会でいる時、全身にあらゆる凶器を所持する事は彼の本来の周りの人間、本来の仲間達、恋人は誰も許してはいない。
しかし、一人だけ裏村黒夜は違った。
グラプスヴィズの参加者、ランキング外、それでもなお、彼はその頂点を目指す。
やがて緋走と再戦できると信じている、それこそまるでゲーム感覚でも良いだろう。
共和政ローマやローマ帝国の多くの都市には
記録上最も古い剣闘士試合は紀元前264年にローマのマルクス・ユニウス・ブルトゥスとデキムス・ユニウス・ペラの兄弟が父の葬儀に際してボアリウム広場で行ったものである、歴史家リウィウスは紀元前3世紀から前2世紀の闘技会に幾つか言及しており、この中でも紀元前174年のティトス・フラミニヌスが主催した74人の剣闘士による闘技会は注目すべきものであったと述べている。
以降、故人の哀悼のための形式での
紀元前2世紀には円形闘技場が建設されるようになり、都市ローマでの闘技会は主にフォルム・ローマーヌムで行われるようになった。
追悼闘技会は、その規模がより大規模なものになってゆき、やがて故人の死を悼むものから世俗化した見世物となり、政治家のプロパガンダの場と化していった。
闘技会は長らくローマで最も人気のある娯楽だったが、キリスト教会はこれに批判的だった。380年にキリスト教がローマ帝国の国教になると教会は剣闘士や訓練士をはじめ闘技会にかかわる全ての者は洗礼を受ける資格がないと定めた。
剣闘士興行の衰退と消滅はキリスト教の影響とするのが通説だが、これとは別に3世紀以降に剣闘士試合の敗者が全員殺害されるようになったことやモザイク画から審判の姿が消えて、多彩だった剣闘士のスタイルも人気のあった追撃闘士と網闘士ばかりになった現象に着目し、刹那的な流血の興奮を追求するあまりに試合が過激化・単純化した結果として観客に剣闘士の技を魅せる娯楽としての余裕がなくなり、単なる死ぬか生きるかの殺し合いになってしまったことが人気を失い消滅に至った原因ではないかとする説も提起されている。
それでもなお、諦めを踏破する者はいるだろう、それは再会のための強い念に近い。
裏村黒夜は更なるリングに上がる。
武者震いがとことんまで全身を満たす。
失禁や失神は脳裏に浮かぶが、それは杞憂で終わるまで、彼は鍛え上げられていた。
相手は言わずもがな、大噛正矢だ。
「本物の
彼こそグラプスヴィズ、ランキングの現
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