第2話 二人きりの遠乗り

 夜会から十日が経った。


 二人で遠乗りに行きたいというノワイレットの誘いを受けたアリシアは、彼と共にスピアー家の領地の森に来ていた。

 湖と広大な草原を囲むようにして広がる森は美しく、初夏のわずかに熱を帯びた風が、彼女の銀髪と草葉を優しくなびかせる。


「いやー、晴れてよかったな。絶好の遠乗り日和。昨日までの雨が嘘みたいだ」

 よく見知った森を馬と共に駆けていると、しばらくして、少し前を行くノワイレットが楽しそうに言った。

 柔らかな髪がふわりと舞う彼の横顔は素敵で、うっかり見惚れてしまう。

 それを誤魔化すように周囲に目を向けたアリシアは、一瞬間を置くと率直な感想を告げた。

「そうね。雨粒が陽光を浴びてキラキラしてる。綺麗」

「……って、なに女みたいなこと言ってんだ。似合わねぇぞ」

「ちょ、みたいってなに!? 朝から失礼な奴!」

「あはは」

 思ったことを告げただけなのに、ノワイレットの態度は相変わらずだった。片想いの相手だから許してしまうが、ただの幼馴染みだったらたぶん、張り倒すだろう。

(ほんとこいつ、あたしをなんだと……)


 せっかくの素敵な気持ちがちょっと萎んでいくのを感じながら、ノワイレットの後を追うアリシアは、やがて、森を抜けたところに広がる草原に出ると足を止めた。

 青く澄んだ空と短い草が生い茂るこの場所は、いつ見ても綺麗で。子供のころから何度も来ている草原の空気に髪を靡かせていると、こちらを向いたノワイレットは、遠くに見える一本の木を指差して言った。

「アリシア、久しぶりにあの木まで競争しようぜ」

「……あんた幾つよ」

 子供みたいな彼の提案に、口をついて言葉が出た。

 彼の歳くらいもちろん知っているが、精神年齢はマイナス十歳と言ったところだろうか。

 そういう無邪気なところが好きだったりはするのだが、思わず肩をすくめるアリシアに、ノワイレットは笑顔のまま続けた。

「いいだろ、別に。負けた方は勝った方の願いを一個聞くんだからな」

「まったく。いいわ。今回は負けないから!」


 結局、いつものごとく条件を言う彼との競争を受け入れたアリシアは、久々の感じをどこかおかしく思いながら、スタートを告げる彼の声に合わせ、馬を走らせた。

 彼と遠乗りに来るようになってから、こういう勝負はよくしたものだ。

 草原の中腹にぽつんと立つ背の高い大きな木。なぜかあの木だけ森から離れていて、よく目立つ。だからいつもあの木を目指して、競争するのだ。

 今のところ勝敗は五分と言ったところだが、今日は……。


「よし! 俺の勝ち!」

「あぁ~…」

 木の幹に触れ、今回勝利宣言したのはノワイレットだった。

 僅差で敗北したアリシアは少し不満気だが、馬を責めるわけにもいかない。

「さーて、どんなお願いしよっかなー♪」

 そう思って、いつもこんなお遊びに付き合ってくれている愛馬をでていると、嬉しそうに笑ったノワイレットはわざとらしい声音で言った。

 前にもこういう展開は経験があるが、果たして今回はどんな無茶ぶりが来るだろう。

「……言っておくけど、叶えられる範囲にしてよ」

「よし。考えるから、まずはランチにしようぜ」

「……」


 嫌などきどきを抱え、答えを待っていたのに。

 なぜか勿体ぶったように視線を外したノワイレットは、くらに取り付けていたバッグに目を付けると、手を伸ばしながら言った。中には、以前競争に負けたときのペナルティとして、アリシア手製のランチが入っている。


「あー、遠乗りの後のランチ最高! ほんと、料理だけは天才的に女子力高いよな」

「はいはい、は余計だけどありがとう」

 と、言うことで、木の根元に布を広げた二人は一旦ランチを楽しむことにした。

 持参したランチボックスにはサンドウィッチをはじめとしたメニューが、乗馬でもあまり型崩れしないように収められている。

「はぁ~、あとは熱い紅茶が飲めたらより最高なのに。この場で即お湯を沸かせるとか、長時間お湯の温度を保つ魔法とか、使えればな~」

「ふふ、なにそれ。二人で来てるんだから仕方ないでしょ。そう言うのは使用人を連れてのピクニックとかで言いなさい」

「あー」

 もぐもぐとサンドウィッチを食べながらぼやくノワイレットの突拍子のない発想に、アリシアは笑うと、彼とのランチを楽しんだ。そして、ランチボックスが空になったころ、片付けをしながら、さっき途中になってしまった話題を切り出す。


「……それで、お願いの内容は決まった?」

「ん。その前にアリシアに報告がある。俺、告白することにしたんだ」

「?」

 彼女の問いに、ノワイレットが答えたのはそんな言葉で。

 意味が分からず問い返すと、彼は真剣な顔をして、こう言う。


「好きな子に告白する覚悟を決めた」


「……っ!」

 報告それは、あまりにも唐突かつ予想外なものだった。

 思わずランチボックスを取り落としたアリシアは、アイスブルーの瞳を大きく見開くと、絶句したまま彼を見つめ返した。

 真面目な顔をしてそれを告げるノワイレットの表情は真剣で、冗談とは思えないし、そもそも今このタイミングで冗談を言う必要性はどこにもない。

 だから告白すると言うのは本当なんだろうけれど、自分でもびっくりするくらいショックで……。


「……随分、急な話だね。でも、そう。どんな女性なの?」

 泣きそうになるのを懸命に我慢しながら、落としたランチボックスを拾うため俯いたアリシアは、出来るだけいつも通りを装って言った。

 もちろん、心はいつも通りでなんていられなかったけれど、それを悟られたくはない。

 すると、アリシアの問いかけに、彼は、誰かを想うように囁いた。

「綺麗な人だよ。一緒にいると楽しくて、幸せな気持ちになれる」

「……」

「俺にはあいつしかいない。だから、次の伯爵家うちの夜会で告白するつもりなんだ。一応、先方のご両親には了承を貰っていて、後は彼女が頷いてくれるかどうかなんだけど、告白するって思うと、今からどきどきでさ。今日の遠乗りは、その前の気分転換と…ってわけ」

「……そう」


 照れくさそうに笑って“好きな人”のことを語るノワイレットは、とても幸せそうだった。

 自分が知らなかっただけで、彼にだってちゃんと想っている人がいたんだ。

 彼が見初めたのはどんな女性だろう。知っている人かな。

 もっと知りたい気もするけれど、言葉が出てこなかった。

 だって、この瞬間、アリシアの片想いは……。


「でさ。アリシアにお願い」

 震えそうになる語尾と、沈みそうになる声音を何とか保ったまま話を聞くアリシアに、ノワイレットはついにお願いの言葉を切り出した。そして、わずかに顔を上げる彼女に、真面目な顔をして願い出る。


「次の夜会、ドレスで来てほしい」


 それが彼のお願いだった。

 報告を受けた以上、ノワイレットの告白に関する何かだとは思っていたけれど、ドレスで、来て、ほしい?

「……なんで、あたしが……。関係ないでしょ?」

 流石に意味の分からないお願いに、アリシアは思わず言葉につかえながら問い返した。

 すると、そんな彼女を見つめ返したノワイレットは、

「あるさ」

 そう言って、じっと彼女の姿を見つめる。

「……?」

「お前は自覚していないだろうけど、女性陣を虜にするレディ・プリンスがいたんじゃ、俺らの立つ瀬がないんだぜ? 俺の一世一代の大勝負の日なんだ。頼むよ」

「……」


 真剣な顔をして、もう一度真面目に願い出るノワイレットの言葉に、アリシアはようやく彼の真意を理解すると、肩を落とした。

 つまり、目立つ存在は邪魔になるから、その日だけは大人しくしてろってことね。

 はいはい。


「……はぁ。仕方ないわね。ドレスなんて十年ぶりだけど、負けのお願いは絶対だものね。あんたの門出を邪魔したくないし、聞いてあげる」

「ありがとう。……よし、じゃあランチも終わったし、今度はさっきのスタート地点まで競争して帰ろうぜ。負けたらもう一個お願い追加で」

「……」


 ……分かっていたつもりだった。

 ノワイレットは自分のことを、女の子としてなんて見ていない。

 アリシアは男の子になりたいわけじゃないけれど、ドレスを嫌ってばかりいたから、一番傍にいた幼馴染みですら、自分を女の子と思ってくれなかった。

(あたしが、ドレスをちゃんと着れる女の子だったら、ノワはもう少し、あたしを見てくれたかな。どうせ叶わないって、分かってたはずなのに……)

 彼の想いを知って初めて、アリシアは自分がどれだけ彼が好きだったかに気付いた気がした。

 十年以上もの間、一番傍にいた大好きな幼馴染み。でも、彼が誰かを選んでしまったら、アリシアは一番ではなくなって、今以上に節度ある態度で接しなくてはいけなくなる。

 アリシアは小さいころから彼を知っているだけの、ただの幼馴染みになってしまう。

(そんなの、嫌……。でも、今さらどうにもできない。相手方の父上当主が了承しているなら、それは決まったも同然だし、彼女が受け入れてしまったら、もう……)


 そんな考えばかりが巡るアリシアが、競争に勝てるわけもなく。

 森の入り口で、勝ち誇った笑みを浮かべるノワイレットに精一杯のポーカーフェイスを返したアリシアは、屋敷に帰るその瞬間まで、泣かないよう、気丈に振舞い続けた。

 せめてもの救いは、彼がお願いの内容を後日まで保留にしておくと言ったことだろうか。

 これ以上何か言われたら心は持たなかったし、幸いと思うべきだろう。

 だから……。

「じゃあ、次の夜会でな。ちゃんとドレスで来いよ」

「はいはい、分かったから、ノワは自分の心配してなさい」

「おぅ」


(……ドレス、か)


 こうして二人の遠乗りは終わり、帰途につくノワイレットを見送ったアリシアは、一筋の涙を零すと、どこまでも続く夏空を仰いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る