アリシア様はドレスが苦手!

みんと

第1話 男の子じゃありません!

「女の子はドレスを着なければだめですか?」


 それが伯爵令嬢アリシアの口癖だった。


 時は一八五八年。

欧州では華やかなクリノリンが流行し、女性たちは煌びやかなドレスの着用を当たり前のように享受きょうじゅしている。

そんな欧州の小国に生まれたアリシアは、子供のころからドレスが苦手だった。

ひらひら舞う大きな裾に、体を締め付けるコルセット。

そして、ここ数年急速に発達したスカートを広げるための器具・クリノリン。

かわいいのは認めるけれど、窮屈で動きにくくて……。


 女の子だってパンツスタイルや、もっとラフな格好ができたらいいのに。

どうしてこの世界は、自由に服装を選ぶことができないのだろう?



「ごきげんよう、アリシア。今日も格好良いわね、流石レディ・プリンス」

「ユリー。久しぶり…って、呼び方……!」

 身の内に溜まるような疑問を抱え、十年。

十七歳になったアリシアはこの日、とある夜会に参加していた。

美しいシャンデリアが幾つも煌めく会場には、ドレスをまとったご令嬢やテールコート姿の紳士が集い、思い思いに楽しんでいる。

そんな会場の中ほどで、アリシアは声を掛けてきた友人に気付くと、顔をしかめて言った。

七歳以降、当たり前を当たり前として享受できなかったアリシアは、周囲の反対を押し切ると、スーツを基にしたパンツスタイルの衣装を身に纏うようになっていた。

その姿は、さながら繊細な美少年のようで、女性陣の絶大な人気を得た彼女は、人々から「レディ・プリンス素敵な女貴公子」と呼ばれている。


「はぁ。あたしは男装なんてしているつもりないのに…なんでプリンスなのよ」

「いいじゃない。私は素敵だと思うわ」

「………」

 月明かりのような長い銀の髪をいじりながら、アイスブルーの瞳をかげらせるアリシアに、ユリーは悪気のない笑みを浮かべて言った。

確かに、このサンドベージュの髪を複雑に編み込み、フリルとレースをふんだんにあしらったオレンジ色のドレスが良く似合うキュートな幼馴染みに比べたら、アリシアの女子力は低いだろうし、素直に持てはやしてくれる彼女たちに悪意がないのも分かっている。

 でも、アリシアは男の子になりたいわけじゃない。

みんながスーツだっていう衣装も、首元に結んでいるのはタイではなくリボンだし、ジャケットだって、袖の肘から下はドレープやレースを施している。

ウエストコートは一般的なものと変わらないけれど、シャツはわざと裾を長くしたフィッシュテール調で、アクセサリーもかわいいものを選んでいるつもりだ。

それに、アリシアにはちゃんと好きな人だっているのに、みんな彼女を男の子のように扱ってきて……。


(あたしって、そんなに男っぽいのかなぁ……?)

「おっ」

 苦手なのはドレスだけなのに、なかなかそれを理解してもらえない現状に、内心落ち込みながら会話を続けていたアリシアは、不意に聞こえてきた青年の声に振り返った。

「……!」

 そこにいたのは、赤味の強いローズグレーの髪に同じ色の瞳をした背の高い青年、ノワイレット・スピアー。

伯爵家の嫡男で、アリシアたちの幼馴染みだ。

ついでに言えばアリシアの“好きな人”なのだが……。

「お前らも来てなんてたんだな。ある意味目立つヤローがいるからすぐ分かったよ」

「……会って早々喧嘩売ってる?」

 彼もまた、アリシアを男扱いする一人。

だが、頬を染めながら眉を吊り上げる彼女をよそに、ノワイレットは無邪気に笑って言った。

「あはは、怒んなよ。冗談だって」

「………」

「それより、久しぶりだなアリシア。先月の茶会以来。会えて嬉しいよ」

「ふぅ…そうね。ひと月半ぶり」

 少年みたいな笑みを浮かべる彼の言葉に、アリシアは肩をすくめると、諦め口調で呟いた。

こちらは傍にいて、声を聴くだけでどきどきしてしまうのに、彼の態度はいつもこうだ。

きっと、今さら何を言ったって、この関係は変わらない。

だからこそ、この気持ちは悟られないようにしておかないと……。


「ねぇ、ノワイレット。リベラを見なかった?」

 そう思って、懸命に心を隠すアリシアとノワイレットのやり取りを見ていたユリーは、不意に視線を向けると遠慮がちに切り出した。

リベラとは彼らの幼馴染みで、ユリーの恋人の名前だ。

今日も会う約束をしていたはずなのに、一向に姿を見せない彼を気にしていたようだ。

「ん? なんだまだ話してないのか。あいつなら一番奥の窓の傍で、半分カーテンに隠れているのを見たぞ」

 すると、ユリーの質問に首を傾げたノワイレットは、遠くを指差して言った。

目を凝らすと、そこにもじもじしている青年の姿が見える。

「あら、ほんと。脅かしに行っちゃお。二人も楽しんでて~」

「あ、ユリー!」

「………」



「……。あの二人、なんで恋人として成り立ってんだろうな」

 恋人を見つけた途端、悪戯を思いついた顔で颯爽と去って行く彼女を見送ったノワイレットは、少し間を開けた後で、誰にともなく呟いた。

「え?」

「だって、引っ込み思案で大人しいリベラと、行動力抜群のユリーじゃ性格真逆じゃん。よく合うなーって思わない?」

「あー…」

 一方、彼の疑問に気付いて顔を上げたアリシアは、心底不思議そうな彼に苦笑すると口を開いた。

確かにあの二人の性格は真逆だけど、一緒にいて互いを想い合っているのは伝わってくる。

それに、自分にない魅力だからこそ、惹かれる部分もあるはずだ。

少なくともアリシアはそうなのだが……。

(ノワは、似た雰囲気の子の方が好きなのかな?)

 初めて聞く彼の恋人に対する感想に、アリシアはノワイレットを見つめると、思わずひとりごちた。

扱いが幼馴染みの男友達とはいえ、彼と恋話なんてしたことないし、そもそも彼が女の子に見惚れる姿も見たことがない。

本当はどんな女の子が好きなのかとか、知りたいことはたくさんあるけれど、聞く勇気はなかった。

だって、そんなことを聞いたら、自分が彼の恋愛対象でないこと突きつけられてしまうような気がして……。

「……あたしは、だから合うんだと思うけどな。あ、子供には分かんないか」

「あ?」

「好きな人ひとりいないあんたには、理解できないこともあるのよ」

「……」

 なんて思いながら、わざとらしく声のトーンを上げるアリシアに、ノワイレットは身を乗り出すと、凄むような態度でこちらをのぞき込んできた。

実際は彼の方がひとつ年上なのだが、わざと子供扱いしたことを根に持ったのかもしれない。

だが、彼がアリシアを男扱いするように、少年のような無邪気さを持つノワイレットを子供扱いするなんて日常茶飯事だ。

きっと、アリシアのわざとに気付いて合わせてくれているのだろう。


「………」

 そんな解釈の元、不敵な笑みを保っていたアリシアだったが、何が目論見なのか、彼はしばらく視線を外してはくれなかった。

少し赤味がかった彼の瞳に、アリシアだけが映っている。

そう思うと、なんだか落ち着かなくて……。

「あたしが悪かった。謝るから離れ……」

「なあアリシア。今度二人で遠乗り行こうぜ」

 すると、耐えかねたように顔を逸らすアリシアに、ノワイレットは上体を起こしながら言った。

いつもそうだが、あまりにも脈絡のない提案に、彼女の釣り目がちの瞳が真ん丸になる。

「え?」

「遠乗り」

「……ってまた? リベラを誘いなよ。なんであたし……」

 だが、距離の近さと唐突な話題転換の衝撃が重なったせいで上手く相殺されたのか、すぐに気を取り直したアリシアは、今度は不満そうに唇を尖らせた。

彼の傍にいられるのは嬉しいけれど、彼の提案はいつだって遠乗りとか剣闘会の観戦とか、「あたしは男の子か!」と言いたくなるような場所ばかり。

どうせなら、もっとかわいいところに誘ってほしいんだけどな……。

「そんなの決まってんだろ」

 と、むくれるアリシアに、ノワイレットはふと真剣な表情を見せた。

そして、うっかりどきっとした様子の彼女に、大真面目な顔をして言う。

「俺が知る限り、お前が一番乗馬上手いからだ」

「………」

 いや、分かっていたつもりだった。

彼がアリシアを誘う理由に恋愛要素が微塵もないことくらい、分かっていたつもりだった。

けど。

(なに今の無駄なキメ顔! あたしのどきどき返せ……!)

「行くよな? 日時はまた伝えるからいつもの森でな」

 さっきから、いつも通りのようでなんかちょっと違う彼の態度に、振り回されていることなど知る由もなく、ノワイレットは決定事項だと言うように話を続けた。

アリシアとしては文句の一つも言ってやりたいところだが、傍にいたいのも事実で。

「はぁー、はいはい。分かったよ」

(……ったく、こいつ、あたしのことなんだと思ってるのよ……)

 結局、盛大なため息とともに首肯しゅこうしたアリシアは、嬉しそうな彼を見上げ、ひとりごつ。


 こんな風に思い悩むようになったのは、いつからだったろう。

昔は、傍にいられれば、それで十分幸せだったのに。

いつから彼に「愛されたい」なんて願うようになってしまったのだろう。


 自分たちが大人で貴族である以上、自由な恋なんて、できるはずもないのに。

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