第12話 ば・れ・た!

 まったく知らないこの世界に来ても言葉が通じてしまうのと同じで、王宮で出される食事やデザートなどの食べ物、日用品、雑貨などなど、元の世界にもあるものはほとんどすべて、わたしの分かる言葉に変換されていることに気づいた。

 たとえばイチゴのケーキをショートケーキというのは、地球でも日本人だけなのに、何故かこの国ではショートケーキと呼ぶのだ。

 多分、本当はこの国ならではの名称があるはず。でもわたしにはショートケーキと聞こえる。

 これってもしかして、彩狼神様のわたしに対する気遣いなのではないかしら。

 今まで自分の中で蓄積してきたボキャブラリーが、ここでも通用してしまうことに初めは戸惑ったものの、数日も経ってしまえば、


「ご都合主義どーんと来いよ!」


 と、開き直ったりして。ここがわたしの図太いところよね。

 ともかく、昨日レオン殿下からいただいたマカロンがめちゃくちゃ美味しかったの。

 えぇ、マカロンもちゃんと『マカロン』よ。

 今日も殿下は相変わらず、公務の合間に顔を出しては話を聞いたり、美味しいお菓子をくれたりする。

 そしてここ数日、何故か途中で奇行に走る。

 さっきもわたしが「昨日いただいたマカロン、今まで食べた中で一番美味しかったです。あれ、好きです」と伝えると、そっけない口調が返ってきたのだけど。


『あぁ、あのマカロンは宮廷パティシエの自信作だと言っていたな。……気に入ったか?』

『えぇ、大好きです』


 わたしが満面の笑みでそう返すと、メモを取っていたレオン殿下の手がぴたりと止まった。

 油を差し忘れた機械のようにギギギ……と音が鳴りそうなぎこちない動きで立ち上がったかと思うと、部屋の端っこに向かって歩いていく。

 それから壁の直前で止まり……ゴツン、と自分の額を壁にぶつけたのだ。


『レ、レオン様……?』


 レオン殿下が壊れた!? と、慌てて立ち上がると、彼は手を上げてわたしを制した。


『大丈夫だから、来なくていい』


 いやいやいや、大丈夫じゃないですよ? はっきり言っておかしいですよ?

 そう言いたかったけれど、さすがに不敬なのでやめておいた。


『自分を現実に引き戻しているだけだから、気にしなくていい』


 少しして平静を取り戻したレオン殿下は、何事もなかったようにメモの続きを取り始めたのだった。

 そんな奇行が数回続いたある日。

 殿下と入れ替わるようにして、意外な方の訪問があった。


「リン様、ちょっとよろしいかしら?」


 なんと、ミレイユ王女殿下だった。


「ミレイユ殿下。お呼びいただければわたしから出向きましたのに」

「いいのよ。ルドルフ様にもお会いしたかったんだもの」


 殿下はソファの脇で静かに寝ているルドルフの毛並みを撫でた。ルドルフは気持ちよさそうだ。


「テルマ、殿下にお茶を淹れてください」

「承知いたしました」

「リン様、お茶を淹れていただいたら、二人きりでお話がしたいの。人払いをしてくださる?」

「あー……はい、分かりました」


 わたしが何も言わなくても、今のミレイユ殿下の言葉はみんなに聞こえたようだ。お茶を出した後、使用人が全員、退室した。

 ミレイユ殿下の近衛騎士だけは、扉の向こう側に立っているようだけれど。


「それでミレイユ殿下、わたしにお話とはなんですか?」


 殿下は紅茶を口に運んだ後、切り出した。


「――宮廷貴族の中には、リン様を三大公爵家の中のいずれかの養子にして、わたしと婚約させたがっている者がいるらしいの」

「えぇっ」


 驚いた。わたしが王女様と婚約って!

 三大公爵家とは、いずれも随伴士の家系だ。

 バウムガルト家、オーベリソン家、キースリング家――代々、この家のどこかから随伴士は輩出されている。

 わたしをこの家のどこかの養子に? しかもミレイユ殿下と結婚? あまりに非現実的すぎる。

 そもそもできるわけがないじゃない。


「驚くわよね? わたしも驚いたし笑ってしまったわ。……だって、この国の法律では同性同士の結婚は認められていないもの」

「そうなんですか? ……っ、て、え!?」


 わたしは目を剥いた。


(まさかまさかまさか……!)


 ミレイユ殿下……知ってる?

 見ると彼女は優雅に笑っている。わたしとは正反対。

 手の平に脂汗が浮いてきた。やばいなんてものじゃない。

 どうしようどうしよう……。

 目に見えて血の気が引いてきたわたしを見て、殿下はカラカラと笑った。


「そんなに怯えなくて大丈夫よ、リン様。わたしはあなたの味方。わたしからは誰にも言わないわ」

「え……そ……で、すか?」

「何か事情があるのでしょう? あなたが言いたくなったタイミングで言えばいいと思うわ。わたしは協力するつもりよ」

「あ……りがとう、ございます。でもどうして……?」


 何故分かったのだろう。わたし、そんなに芝居下手くそだったかしら。

 一応男性っぽい所作を心がけてはいたのだけれど。


「分かるわ、同じ女ですもの。多分、お母様もうっすら気づいてるんじゃないかしら」

「王妃殿下も!?」

「でも賭けてもいいけれど、お兄様はまったく気づいてないわ」


 ミレイユ殿下はクスクスと笑った。


「そうでしょうか」


 王族で一番接する機会が多いのがレオン殿下なので、一番気づかれやすいかな、と思ったのに。


「気づいてたらあんな行動しな……いえ、なんでもないわ。とにかく、一人で性別を偽って暮らすなんて無謀すぎるわ、リン様。味方を増やしておいて損はないわ」

「ミレイユ殿下……」


 王女様なのになんて優しいのだろう。

 まったく、この国の殿下方はみんな優しすぎる。


「『殿下』はやめましょうよ。ミレイユでかまわないわ。わたしもリンとお呼びするから。同じ女同士、お友達になりましょう」


 ミレイユ王女殿下はわたしの手を握った。

 きれいでやわらかい手だ。爪の先まで手入れが行き届いていて、どこかいい香りがする。


「あ、ありがとうございます……ミレイユ」


 なんだかどっと気が抜けてしまった。

 召喚されて一週間ほどが経つけれど、自分では上手く適応していると思っていた。

 でもやっぱり気を張っていたんだ。

 ミレイユが味方になると言ってくれて、安心してしまったのだろう。

 図らずも涙が出てしまった。

 ミレイユは「泣かないで」と言って、自分のハンカチでわたしの涙を拭ってくれた。

 本当に優しい王女様だわ。


「ともかく、もっと味方がいるわ。せめてリンの使用人だけには打ち明けるべきよ」


 そう言ってミレイユはアルダさんとテルマとシェリーを呼び戻し、わたしが女であることを話した。

 そして王女権限で箝口令を敷いてくれたのだ。


「たとえお父様にも、今はまだリンが女性であることは言わないこと。いい?」


 三人はしっかりとうなずいた。


「皆さん……ひょっとして、気づいてました?」


 アルダもテルマもシェリーも……まったく驚いていないんだもの。

 これはもう、気づいていたとしか。


「恐れながら、わたしは衣装部屋の端っこで異世界製の女性ものの下着が干されているのを見つけてしまったので……」


 シェリーが申し訳なさげに言った。

 シェリーがテルマに相談し、テルマがアルダに相談したそうだ。

 そして三人で、わたしが打ち明けるまでは知らない振りをしておこうと決めたらしい。


「黙っていてごめんなさい」

「いえ、リン様にもご事情がおありかと思いましたので、わたしたちもあえて尋ねませんでしたから」


 アルダが優しく笑った。

 これからは下着も女性ものを用意してくれるそうだし、男を装う協力もしてくれるという。


「ようやく、堂々とリン様の湯浴みのお手伝いができますね! 張り切って磨かせていただきますので!」


 シェリーがこぶしを握って力説した。


「ミレイユ……本当にありがとうございます」

「いいのよ。わたし、同じ年頃の友人がほしかったんだもの」


 ミレイユは、眩しいくらい美しい笑顔でそう言ってくれたのだった。

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