第6話 お風呂大好き……日本人だもの。

 浴室に入った途端、わたしは目を見張った。


「へぇ……意外に……うん」


 扉を開くとすぐにパウダールームがあり、洗面台が設置されている。

 壁に陶器のタンクが据えつけられていて、上の蓋を開いて水を補充するようになっていた。

 タンクの下面には蛇口が見える。下から押すと水が出る、日本でいう『衛生水栓』というやつだ。形状はもっとお洒落? だけれども。

 押してみると、一定時間水が流れて止まった。なるほど。


「そっか、きっと朝になると誰かがこのタンクに水を貯めておくんだ」


 それを部屋の主――ここで言えば、わたしが手洗いに使うのだ。

 陶器のタンクとは言っても、日本のトイレのような無機質なものではなく、細かい彫刻が施されている。まるで芸術品だ。

 王宮にあるものだもの、きっと高級品だ。

 使った水は洗面台のシンクの穴から流れて、床につながるパイプを通して捨てる仕組みになっている。


「――ということは、少なくとも下水道はある、ってことか」


 想像していたよりも、技術が発達している国なのかな。

 パウダールームと浴槽は防水カーテンで仕切られている。そっと覗き見たわたしはさらにびっくりした。


「シャワーがある……」


 そう、浴槽の脇にはシャワーがあったのだ。

 洗面台と同様、大きなタンクがあり、そこからシャワーホースが伸びている。タンクのコックを捻るとお湯が出てくる仕様になっているみたい。

 カーテンのそばにカゴがあり、そこにシェリーが着替えを置いてくれた。


「もし着用が難しいようでしたら、お呼びくださいね」

「シェリー、聞きたいんだけど、このシャワーのお湯はどうやって温かくするの?」


 沸かす装置などなさそうなので、聞いてみる。


「毎朝、各居室にお水を配りにくる給水係がおります。大きな水瓶を載せた手押し車で回ります。そこから手洗いとシャワーの水溜め、それから湯船に給水します。湯浴みのお時間になると、シャワーの水溜めと湯船に熱湯を入れて温度を調節するんです。湯浴み専用の給湯室が各階にありまして、そこで沸かして持ってまいります。燃料は主に、ガスを固めた固形燃料を使用しております」

「なるほど……そういうことか」


 ガスを固めた固形燃焼……メタンハイドレートみたいなものかしら。


「ではリン様、もしどうしてもご不自由なことがあれば、こちらのベルを鳴らしていただければ、わたしかテルマさんがまいりますので」


 シェリーが浴槽のそばの棚にベルを置いた。隣には石けんやタオルが置かれている。


「ありがとう」


 シェリーは軽く頭を下げ、浴室を出ていった。

 わたしはもう一度扉を確認した後、服を脱ぐ。


「あ……これ、持ってきちゃったんだ」


 ジャケットのポケットに、透明テープが入っていた。壊れた掃除用具入れに応急処置をした後、ポケットに入れておいたのだった。

 服とテープをカゴに置き、それから下着を脱いだ。


「ブラとパンツ……これ見られたらさすがに女ってバレちゃうよねぇ……」


 どうしようかと考えて考えて。


「とりあえず、ブラはもう一日着けよう。さすがにパンツは洗って……部屋のどこかに隠して干しておこう」


 念のためブラを服の下に突っ込んで、それから、胸に下がっているペンダントのチャームをぎゅっと握った。


「お母さん……わたし、こんなところに来ちゃった。でも、不思議と落ち着いてる。神経図太いよね」


 クスリと笑って、ペンダントを外す。

 これはお母さんの形見だ。お母さんが日本に来る時にドイツから持ってきたもので、向こうではお守りとして身につけるものらしい。

 真鍮でできたチャームの表面には、きれいな模様が彫られている。

 実はロケットになっていて、ふたを開けば、左には結婚当時の父と母が並んだ写真が、そして右には赤ちゃんを抱く母――もちろん、その赤ちゃんはわたし。

 このロケットは開けるのにコツが要る。お母さんとわたしは簡単に開けられるのに、お父さんは開けられた試しがない。

 わたしは「お父さん、下手くそだなぁ」と笑っては、お母さんに「笑っちゃダメよ、倫」と注意されていたっけ。

 しんみりしながらペンダントを服の上に置き、シャワーのコックを捻った。

 浴槽周りは床がタイル敷きになっているのだけど、一部くり抜かれて石畳になっている。その真ん中には小さな排水溝がある。

 そこに立ってシャワーを浴び、身体を洗うのだとシェリーが言っていた。

 お湯はちょうどいい温度になっていて、わたしは埃まみれの頭や顔や身体を洗う。


「気持ちいぃ……」


 石けんはいい香りがした。嗅いだことのない匂いだけど。

 自分自身の後はショーツを洗って絞り、カゴに置いた。

 湯船にはお湯が張ってあり、何やら花びらが浮かんでいた。入浴剤の代わりかしら。

 手で温度を確かめて――


「うん、いいお湯」


 つま先からそっと入る。身体を寝かせれば肩まで浸かれそう。


「ふ~、極楽極楽ぅ」


 こんな風に湯船に入れるなんて。

 ひょっとしてここは日本人に優しい国?


「そういえば……国王陛下との晩餐って言ってたよねぇ……」


 いきなりこの国のラスボスとご対面だなんて。

 思い出したら緊張してきた。

 あまりに考えすぎて、うっかりのぼせそうになってしまった。

 慌てて出て、タオルで身体を拭いた。

 さて、服を着なければ。

 カゴから出してみると、それは男女兼用のようだった。

 まずブラジャーをつけて、その上に白い長袖の肌着を着る。

 下着は……当然ながら女性ものではない。

 綿でできた、少し長めのボクサーパンツのようなもの。伸縮性があって、身体にフィットして穿きやすい。

 レギンスのような、こちらも伸縮性のある細身のスラックスは、濃紺。

 伸び縮みする布地があるということは、ゴムが流通しているということかな。

 半袖膝丈のチュニックは薄いオレンジ色で、幾何学模様が織られた生地になっている。

 コバルトブルーの地に、青や黄色、白の糸でアンティークなデザインの刺繍が施された前開きの上衣を羽織り、最後は編まれた革紐を腰で結ぶ。

 胸のふくらみをごまかすよう、少し上半身側に布を引き上げ、だぼっとさせた。

 靴は平べったいパンプスのようだけど、布地が柔らかくて履きやすい。これにもまた植物の刺繍がしてある。サイズも運よくぴったり合った。

 よし、自分で着られた!


「あ……っと、忘れてた」


 ペンダントをしていなかったわ。

 両親から、お守りだから肌身離さずつけておけと言われているので、毎日首から下げている。

『必ず、どんな時も身につけておくのよ。きっと倫を守ってくれるから――』

 お母さんの言葉を思い出しながら、チェーンに首を通し、チャームを服の中に隠した。

 洗ったショーツを丸めて胸元に隠し、脱いだ服を抱えて浴室から出れば、テルマたちが待ち構えていた。


「まぁ……とてもお似合いですよ、リン様」

「さすがレオンハルト殿下のお見立てです」


(ん? レオンハルト殿下……?)


 テルマとシェリーの褒め言葉に初耳の名前が出てきたので、すかさず聞き返す。

 どうやらさっきわたしに顎クイをしたのが、この国の王太子殿下、レオンハルト様なんだとか。

 ひぇ~、王太子ってことは、次期国王ってことよね。


(……怒らせないようにしなきゃ)


 心の中で自分に言い聞かせた。


「レオンハルト殿下が、リン様のために急ぎ手配してくださったものなんですよ」

「そうなんですね……」


 あの無愛想な王子様が選んでくれたのか。

 確かにすごく質のいい生地だし、刺繍も手が込んでいる。

 きっと高いんだろうな。


(……破かないようにしなきゃ)


 心の中でもう一つ言い聞かせた。

 ともかく、脱いだ服はランドリーメイドが洗ってくれると言うので、透明テープと一緒にチェストに保管しておいてほしいと頼んだ。

 それから寝室のベッドのそばに置かれた鏡台の前に座らされ、髪を丁寧に乾かされた後、香油を擦り込んでもらった。

 頭皮マッサージまでされ、あまりの気持ちよさによだれが出そうになったのは秘密だ。

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