第5話 侍従と侍女がつきました。

(いや、よいな? と言われても……)


「申し訳ありません。わたしには何がなんだか……」

「そなたにはしばらくの間、王宮に滞在してもらう。……アルダ」


 呆けているわたしをよそに、殿下は後ろに目線を送った。するとそこから一人の男性が近づいてきて、恭しく頭を垂れた。


「この者がそなたの侍従となるアルダだ。この国のことも含め、すべてはこの男に聞くといい」

「はぁ……」


 臣下に丸投げとは、ずいぶん偉そうだわ。……って、偉いのか。


「ところでそなた、名はなんという?」

「わたし……ですか。リン・アリサカと申します」

「リン・アリサカ? ……家名があるということは、そなた、貴族か?」


 一応礼儀を考え、名乗りながら頭を下げると、殿下が眉根を寄せて尋ねてきた。

 あぁそうか。こういう世界って、庶民には名字がないのよね。

 江戸以前の日本みたいなものか。


「あー……いえ、貴族というわけではないのですが……わたしの住んでいる国では、すべての人が家名を持っているので」

「そうか。……ということだ、アルダ。よろしく頼む」


 そう言い放った殿下はきびすを返し、広間を出ていった。

 あまりに一方的すぎて、開いた口が塞がらないわたし。


「――リン様、お初にお目にかかります。わたしはあなたの侍従となるアルダと申します。なんなりとお申しつけください」


 アルダと名乗った男性は、三十代前半くらいだろうか。薄いブラウンの髪を背中まで伸ばしている。

 穏やかで品のある物腰は、見ていてホッとする。


「あ……はい、よろしくお願いいたします、アルダさん」

「どうか『アルダ』とお呼びください、リン様。……どうぞこちら――」


「――ぁああ……っ」


 アルダが手で指し示しながらその方向へ歩き始めた瞬間、広間の遠くから、ご婦人の泣き叫ぶ声が聞こえた。

 わたしたちからはかなり遠くなので、そんなに大きくは届いてこないけれど、泣いているのだけは分かった。


「――んてこと……ザ……、……ルザ……、な……、ああぁぁ……」


 嘆く声が痛々しい。悲壮感に満ちた声が、わたしの胸を突き刺す。

 一体どうしたのかと縋るようにアルダを見ると、彼は眉尻を下げてかぶりを振った。


「リン様には関係のないことですので、お気になさらず。……さ、こちらへどうぞ」


 仕切り直しとばかりに背中に手を当てて促された。

 なんだかんだと、殿下やアルダの言うことを聞かざるを得なくなってしまったようだ。

 本当にこのまま流されていいのだろうかとも思ったけれど、あの王子様が「客人として扱う」って言っていたし、でたらめな扱いはされないだろう……多分。

 おとなしくアルダの後をついて行く。

 すると、ルドルフが当然のようにわたしの左側にぴったりとついてきた。

 狼になってからもきちんと脚側行進するところがえらいわ、ルドちゃん。


「あぁ、神獣様はこちらへどうぞ」


 他の侍従さん? が、ルドルフの胴に手をやり、わたしとは別の方向へ誘導しようとした。

 でもルドルフは我関せず、といった態度で、わたしから離れない。


「あの、神獣様……」

「ごめんなさい、ルドルフはわたしの言うことしか聞かないですし、他の人には懐かないんです。だから、言っても無駄じゃないかと……」


 私は困っている侍従さんに頭を下げた。

 本当に申し訳ない。

 でも仕方がない。本当のことだしね。


「では当面の間、神獣様はリン様とご同室にいたしましょう。……それでよろしいですか? リン様」

「あ……はい、わたしはかまいません。ルドルフもそれでいいね?」

『わふっ』


 アルダの提案に、ルドルフは満足げ。

 そんなにわたしと離れたくないか、そうか。



「わぁ……すごく広い、ですね」


 通された部屋は、私が日本で住んでいた祖父母の家がすっぽりと入ってしまいそうな大きさだった。

 大広間の様相から想像していたけれど、それを軽く上回るほどのラグジュアリーな空間だった。

 使用人と思われる人たちが忙しなく歩き回っている。

 高そうな調度品を移動したり、運び入れたり。


「慌ただしくしまして申し訳ありません。神獣様とご同室ということで、予定していた居室よりも大きい部屋をと、急遽こちらにお入りいただくことになりましたものですから」

「大丈夫です。お待ちします」

「ではまず、寝室にご案内します。……テルマ、シェリー」


 アルダが視線を送ると、二人の女性が進み出て彼に並んだ。

 メイド服の上位互換みたいな制服を身につけた人たち。


「この二人はリン様専任の侍女になります。テルマとシェリーです。身の回りのことはなんでもこの二人に申しつけてください」

「テルマです。なんでもお申しつけください」

「シェリーです。誠心誠意お仕えいたします」

「リンです。よろしくお願いします」


 テルマは緩くパーマがかったブラウンのショートヘア。年は二十代後半くらいかしら。

 シェリーは金髪のロングヘアをハーフアップにしている。私と同い年くらい。

 どちらも優しそうでよかった。

 二人に案内されて、ドア一枚隔てた寝室へ向かう。


「わ……素敵な寝室ですね」


 これまた広々とした高級感あふれる室内の真ん中に、大きなベッドが置かれていた。

 しかも! 誰もが一度は夢見る天蓋つき!


(あぁ……飛び込みたい……飛び込んでみたいけど、我慢)


 夜寝る時は絶対に飛び込んでやる……ひっそりとそんな決意をする。


「リン様には今夜からこちらでおやすみいただきます。浴室はさらに向こうのお部屋になります」


 テルマが言うには、居室の隣が寝室、その隣が浴室となっている。


「本日は、国王陛下より晩餐へのご招待を賜っております。まだだいぶお時間がございますので、さしあたっては湯浴みとお着替えをしていただきます。その後、アルダさんからこの国についてのご説明があると思いますので」

「リン様、お顔まで埃まみれになっておられます。わたしたちが腕によりをかけて磨かせていただきます」


 メイドふたりがにっこりと笑って言い放った。


「あ、あり……、っ」


(ありがとう、じゃなくて!)


 ダメダメダメ! わたしは男ということになっているのだから、このふたりにお風呂の手伝いなんてしてもらっちゃいけない。

 危ない危ない。

 わたしはコホン、とわざとらしく咳払いをした。


「申し出はとてもありがたいのですが……私の住んでいた国では、たとえ男でも・・・・・・、未婚の者は他人に肌を晒してはならないのです。ですから、湯浴みの手伝いは……」


 本当に申し訳なさそうに装ってみる。

 もちろん嘘だ。これくらい言わないと押しの一手を決められそうで怖いから。


「まぁ、そうなんですか……承知いたしました。でしたら、お着替えの準備と、湯上がり後のおぐしのお手入れなどをお手伝いさせていただきますね」


 ふたりは疑うことなく笑って許してくれた。

 とりあえず娼館行きは回避できそう。よかった。

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