第3話 私の警察犬が銀狼になっていた件

   ***


 娼館? 召喚じゃなくて? ……って、そんなこと言ってる場合じゃなくて。


(勝手に連れてきておいて、娼館に売るとか勘弁してよ……っ。わたしまだ、清い身体なのに……!)


 異世界人なら娼館で高値がつく――聞き捨てならない発言に、思わず抗議しそうになるのをなんとか堪え、心の中で叫んだ。

 わたしは日本人の父とドイツ人の母から生まれたハーフだ。きょうだいはいない。

 父は物腰柔らかく母は美人で、とても仲がよく理想的な夫婦だと思っていた。わたしのことを愛情深く育ててくれた。

 父母もわたしも動物が好きだったので、親子でしょっちゅう動物園に行ったのをよく覚えている。

 わたしが中学生の頃、両親は交通事故で亡くなり、わたしは父方の祖父母と暮らすようになった。

 親がいない淋しさを感じさせないようにと、彼らもまたわたしを可愛がってくれて。

 幸せに暮らしていたけれど、彼らもわたしが十八歳の時に相次いで亡くなった。

 天涯孤独となってしまったわたしを奮い立たせてくれたのが、警察犬の訓練士になるという夢だった。

 小さい頃から漠然と描いていたビジョンが、祖父母の死によってはっきりと輪郭を浮き上がらせた。

 それから専門学校に進学し、頑張って夢を叶えた。

 彼氏なんて作る暇もないくらい資格の勉強を頑張ったのに。

 どうして今、娼館に売られる心配をしなくてはならないのか。


(好きな人としたこともないのに、娼婦になんてなってたまるもんか……!)


 わたしはこぶしをぎゅっと握って決意する。意思表明をしたくて、バッと勢いよく立ち上がった。

 途端、周囲にいた兵士が槍を手にわたしを取り囲んだ。


「え……っ」


 いきなり囲まれて驚いて。動けないままでいると、身体がふわりと何かに包まれる。

 同時に、兵士たちの身体がふっ飛んだ。


「うわぁあああああ!」


(な、何……?)


『グルルルルル……!』


 一体何が起こったのかと首を傾げると、頭上から動物の唸り声が聞こえた。

 見上げると、あの狼が鋭く尖った牙を剥いていた。わたしではなく、兵士たちにだ。

 大きくフサフサした尻尾をビュンッとしならせて、残りの兵士を跳ね飛ばしているのが見えた。

 狼は長い身体でわたしを後ろから包むようにして立っている。


(わたしのこと……守ってくれてるの?)


 尻尾がわたしの顔の下に巻きつく形になった。その時――


「え……これ……」


 ふわりと、覚えのある匂いがした。ほんのり香ばしいような体臭。

 毎日嗅いでいたこれは……


「……ルドルフ?」


 この狼から、確かにルドルフの匂いがしたのだ。


『わふっ』


 いつもの返事が聞こえた瞬間、心臓の鼓動が逸った。

 わたしは狼から少し距離を取り……彼の全身に視線を往復させる。


「嘘でしょ……どう考えても狼……。でも、ルドルフなの?」


 どこをどう見ても、ジャーマン・シェパードの見た目ではないのだけれど……。

 訝しく思う気持ちを拭いきれないでいると、狼はわたしの鼻をぺろりと舐めた。

 いや、ぺろりなんて可愛いものじゃない。

 大きな舌でべろんと顔を舐めてきて、そして、太い前足を持ち上げ……わたしの肩にべしっと置いた。

 ずしりと重みを感じる脚だ。


「っ!!」


(これ、ルドルフの……っ)


 いつも褒めてほしい時にしてくる仕草だ。

 昨日これをされたばかりなのに、やけに懐かしく感じて涙が出そうになる。


「ほんとにルドちゃんだぁ……」


 シェパードからずいぶんと姿形が変わってしまったけれど、間違いなく我が愛しの警察犬だと、ようやく分かった。

 当の本人はわたしの左側にぴたりとついておすわりをし、尻尾を振ってこちらを見つめている。

 いつもは見上げてくるのに、今はルドルフの方が目線が高いなんて。

 数分ぶりの再会? を噛みしめていたものの……ゆっくり感動に浸っている間もなく、周囲から声が聞こえた。


「何してるんだ、とにかくその少年を拘束しろ」

「神獣様から引き離せ」


 などと命令され、先ほどふっ飛ばされた兵士が体勢を立て直し、わたしに槍を向けてきた。

 刹那、ルドルフは兵士たちに再び牙を剥き、身体を後ろに引いた。今にも襲いかかろうとしている。

 完全なる臨戦態勢だ。


(ルドルフ……わたしを守ろうとしてくれるのはありがたいけども!)


 彼が後ろ脚で地面を蹴り、兵士に向かおうとしたその時――


「ルドルフ! 待て!」


 わたしは大声で叫んだ。

 ルドルフは耳をピクリと動かしたかと思うと、攻撃姿勢を解き、わたしの左側に戻ってきてちょこん、と座った。

 立ち上る怒気が収まり、長い尻尾がフッサフッサと揺れてわたしの背中をくすぐった。

 やっぱりこの美しい狼はルドルフなのだと実感した。


「ルドルフ、伏せ!」


 もう一度大きな声で言えば、彼はスッと音もなく身体を落として伏せをした。

 静かに佇んでいるのに、やっぱり尻尾だけを振って喜びを表しているのがなんとも可愛らしいと、わたしは口元を緩ませた。

 わざわざ命令の声を大きくしたのは、周りに聞かせるためだ。ルドルフには危害を加える意思はないと、思わせたかったから。

 でも彼らの反応は、わたしが思っていたものとは違っていた。

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