第一章

第1話 私の警察犬は優秀すぎる 1

 東雲しののめ警察犬訓練所は、某県にある民間の警察犬訓練施設。嘱託警察犬を育て訓練し、県警察からの要請が来れば派遣している。


有坂ありさか、県警からルドルフの出動要請が来た」


 所長の島田しまださんが電話を切った時には、もう準備はできていて。

 わたしは出動用のジャケットを羽織りながら、事務所を駆け出した。


「了解しました!」


 犬舎に入れば、三頭の嘱託警察犬と訓練中の犬二頭がケージの中で寝ていた。

 その中の一頭――ジャーマン・シェパードのルドルフが、わたしの姿を見るや立ち上がり、尻尾をブンブンと振り始めた。


「ルドルフ、お仕事だよ」


 ケージからルドルフを出し、リードをつける。

 わたしの左側にぴったりとついて歩く姿は賢くて可愛い。


(今日も可愛くてかっこいいな~、ルドルフは)


 わたし、有坂りんは二十二歳の新米訓練士。

 訓練士になるための専門学校に通って資格を取り、東雲警察犬訓練所に入所した。

 担当している警察犬はルドルフ。

 今、わたしの隣でしっかりと脚側きゃくそく行進を守っている賢いオスの――推定二歳。

 推定、というのは、この犬の生まれた日を誰も知らないから。

 ルドルフは、わたしが訓練所に入所してすぐに施設の前に捨てられていた。

 明らかにシェパードである仔犬を手放すなんて、一体何事? と、所内がざわついたけれど、各種手続きや検診、予防接種を経て、訓練所で育てることになったのだ。


「ルドルフ、今日も頑張ってくれよ~」


 島田さんがルドルフの頭をよしよしと撫でるけれど、彼は微動だにしない。

 まさに『スン……』という表現が似合う、無機質な表情をしていた。

 島田さんは二十年以上の経験を持つ一等訓練士正。いわばベテラン中のベテランだ。その彼がこの扱いだなんて。

 苦笑いするしかない。


「相変わらず俺には素っ気ないなぁ、ルドルフは」

「なんか……すみません」


 わたしが申し訳なさげに言うと、島田さんはいやいや……と、手を振った。


「ともかく、今日も華麗に活躍してこい」


 今回、ルドルフに出動要請があった事件は、住宅街で女子高生をいきなり切りつけた通り魔事件。

 幸か不幸か、現場は訓練所からほど近い場所だったので、ルドルフに白羽の矢が立った。

 そして間抜けなことに、しかしわたしたちにとっては幸運なことに、犯人は革製のナイフの鞘を落としていった。

 それの臭いを辿ることになったのだ。


「ルドルフ、嗅いで」


 ビニール袋で包んだ鞘をルドルフの鼻に押し当て、十分に嗅がせる。


「ルドルフ、探せ!」


 わたしが促すと、彼はすぐさま歩き出す。

 地面の臭いを嗅ぎながら、迷いもない足取りでずんずん進んでいった。

 住宅街の角を何度か曲がり、数百メートルほど歩いただろうか。

 とある一軒家に辿り着くと、ルドルフは伏せをし、わたしを見上げて「わふっ」と一声上げる。

 県警の捜査員たちはすぐさまその家に目をつけた。

 人の出入りを見張っている最中に、被害者から聞き出した犯人の特徴を共有する。

 しばらくすると、耳と鼻をひくひくと動かしたルドルフが「ワンワン!」と一声上げた。

 見張っている家の裏手に向かってわたしを引っ張り、さらに吠えた。


「窓から男が逃げようとしています!」


 家の裏側の窓枠に男が足をかけて外に出ようとしていたので、わたしは叫んだ。

 捜査員は一斉に裏手に向かう。

 逃走者を挟むように裏道を塞ぐと、男は刃物を振り回したけれど、相手はプロ中のプロ。

 ものの数十秒で、あっけなく制圧された。

 通り魔は、その家に住んでいる二十代の無職の男だった。

 憂さ晴らしをしたくて女性を襲ったそうだ。

 そんなことで人を傷つけるなんて、ありえないわ、ほんと……。

 被害者の女性は腕にケガをしたものの、命に別状はなかった。

 それを聞いて、わたしは不幸中の幸いだったと安堵したのだった。

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