第6話 アイドルと深夜
「ねえ、おじさん」
「……」
その日の夜、彼女は寝巻き姿で俺が布団を敷くリビング──正確にはダイニング──にやってきた。ピンクのパジャマ、メルヘンチックなデザインに白のフリフリが愛らしい。
「一緒、寝てもいい?」
「……わかった」
流石に生理中でグロッキーな彼女に強く言うことは気が引けた。布団を敷き終わって俺が先に入ると、あとから彼女を招き入れる。
「ちょっとえっちだね」
「叩き出すぞ」
「うそうそ、冗談」
「そういう冗談、今度から叩き出すぞ」と声が出かかって、これ以上はしょぼくれそうだからやめた。ここにきたということは少し寂しくなったということだと思うから。
「ねえ、おじさん」
布団に入って彼女が聞いてきた。電気はまだ薄暗くついている。
「おじさんって彼女いるの?」
「いないが」
「……」
「……どうした?」
「ううん、別」
「……心配しないでも、おいていったりしないぞ」
「……バレた?」
「いや、そういうかんじかな、と」
「……ごめん」
「そういうときはありがとうだ」
「うん、ありがと」
しばらくの静寂が続く。雨の夜に窓の外から風の吹きすさぶ音がした。
「私ね、こういう夜好きなの」
「……」
「まるで大災害が訪れて、世界に私一人きりみたいにかんじられて」
そこで彼女と目が合う。普段しているナチュラルなメイクも落とした、素の彼女。それでも彫刻のように美しいのだからアイドルというのはすごいと今更ながら感じた。
「今はふたりきりだね」
「いつもそうだろ」
「いつもそうだけど、今日は特別」
「なんだそれ」
「おじさんが布団に入れてくれた」
「……」
今までも、実は一緒に寝てくれとせがまれたことがあった。そういうときは大抵寝るまでそばにいてやるからと言って彼女の部屋で寝かしつけていたが──
「おじさん」
「ん?」
「正直に答えて」
「なんだ?」
「……わたしって重荷?」
「どうした急に」
「……」
そこから十香は少し黙ってしまった。
「私さ、この家住んでるじゃん」
「そうだな」
「おじさんさ、他に家ないじゃん」
「そりゃあな」
「……彼女いないの、私のせいかもって思って」
「……ぶふっ!」
「なんで笑うの!?」
「なに、あれか?自分がいないせいで女連れ込めなくて彼女できてないんじゃないかって!?」
「それは……そうだけど」
「あはは!こりゃ傑作だ!最近の高校生はずいぶんと想像力豊かなんだな……くくくっ」
「私、真剣に言ってるんだけど……」
「真剣に言ってるから面白いんだよ。あはははっ、彼女できない原因がお前って……くくっ……」
「……違うの?」
「はーあ……んなわけないだろ。彼女できないのは俺がモテナイからだ」
「嘘!だって……」
「……」
「そんなわけ、そんなわけ……」
「はあ……」
きっと彼女にとって俺は文字通り自分を救ってくれた大恩人なんだろう。そんな彼女からしたらバイアスがかかるのも当然なんだろうが、俺は至って普通の二十代半ばの独身男性。とりわけ女性陣が血眼になって求めるような男でもない。
「ま、世の中そんなもんだ」
「嘘、そんなわけない」
「そんなわけないと言われても、実際そうだから仕方ないだろ」
「それは……そうだけど」
「そう言ってくれるのはありがたいけどな?誰かの重荷になるなんて当たり前のことなんだ。だって十香はまだ子供だろ?」
「……」
「納得できてないみたいな顔をしている」
「正解……」
「まあ、今は納得出来ないかもだけどな、俺だってガキの頃はいっぱいおふくろに迷惑かけたぞ」
「どんな?」
「高校中退した」
「……ごめん」
「謝るなよ。こっちが悪いことしたみたいだ」
「ごめん」
「謝るなって」
「……ごめん」
「……」
あるのだ、誰にでもとにかく謝らないと気がすまないときというのが。彼女が今そうなのだろう。
「……ごめん、今日は寝る」
「おう、おやすみ」
それからしばらく静寂は続き、十分程立つと寝息が聞こえるようになった。
「……」
たとえ彼女ができなくとも、彼女だけは立派に育てる。それが死んだクソ兄貴に対するせめても手向けというやつだ。
「おはよう」
「……」
朝だ。時計を見る。午前の6時を指していた。
カーテンから薄明かりが漏れている。早起きだと青持っていたが、もしかしてこれまでは俺に遠慮して自室で時間を潰していたんだろうか。
「こっちも元気だね」
いたずらっぽく彼女は俺の下半身をみやってつぶやく。
「男の人はな、朝になると自動的にそうなるんだ」
「へ~」
俺は身を捩って、さも自然な形で横になりそれを隠す。
「十香も彼氏ができたら覚えておくといいぞ」
眠気を殺しながら、それでも布団の中であくびして俺は再びまどろみに落ちる準備をした。
「……ん、覚えておく」
そう言うと彼女は布団から出てキッチンに立つ。
「今日は私が作るから寝てていいよ。何がいい?」
「それは困る。キッチンが爆発したんじゃ掃除が大変だからな」
「む。今とても失礼なことを言われた気がします」
「体は大丈夫なのか?」
「うん、昨日よりは軽いよ」
「それはなにより」
「朝食どうする?」
「フレンチトーストは?」
「じゃあそれで」
「卵といておくから」
「あいよ」
卵を溶く音に冷蔵庫を開ける音。こうして今日も一日が始まる。村雨十香は今日も学生とアイドル、二足のわらじを履くために朝の栄養補給を欠かさないのであった。
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