ユキとおじさん

鍵崎佐吉

わたしのおじさん

 生まれてからあと少しで十年、初めて見たそれは思ってたよりもずっと大きかった。本物を見るまではなんだかドキドキしていたけど、こうして見上げているとふしぎな気分になる。車の中からビルのてっぺんを見ようとしたら、せなかがぞわっとする感じに似ている。大きな車輪みたいな形をした何の役にも立たない乗り物。わたしがそうやって観覧車をながめていたらおじさんが言った。

「もしかして怖い?」

 声は優しかったけど、おじさんの口はちょっと笑ってる。もしかしたらわたしのことをばかにしているのかもしれない。わたしだけじゃなくて、おじさんはママにもよくこんな顔をする。わたしには兄弟はいないけど、多分おじさんとママは仲がいいんだろうなと思う。

「ちょっとだけ」

 おじさんにうそをついてもすぐにばれる気がしたから、わたしは正直に言った。

「じゃあ乗らない?」

「ううん、乗ってみたい」

「そっか」

 おじさんはまたちょっとちがう笑い方をした。観覧車はゆっくりと回っている。人の波をよけながら、おじさんと一緒に観覧車の下まで歩いて行く。そんなに並んでいなかったから五分くらいで入口まで来れた。今初めて知ったけど観覧車は人を乗せるときも止まらないらしい。お年寄りとかは転んじゃうんじゃないかな。いや、お年寄りはそもそも観覧車に乗らないのかな。そんなことを考えていたらおじさんが先に乗って、わたしに向かって手をのばした。はやく乗らないと置いて行かれちゃうのか。こんなに不親切な乗り物は初めてだったけど、逆に少しワクワクしてきた。わたしはおじさんの手をとって観覧車に乗った。


 ずっと前から約束してたのに、パパもママも今日はお仕事だ。本当は泣きたい気分だったけど、わたしがなにをしたってどうにもならないのはわかってる。大人はいつも自分勝手でうそつきだ。でもわたしが「どうしても今日がいい」って言ったら、ママがおじさんを代わりに呼んでくれた。おじさんはフリーターだからパパやママよりも自由に休めるらしい。だったらみんなフリーターになればいいのに、と思うけど、どうやらそういうわけにもいかないものらしい。

 おじさんは真司さんって名前で、ママの弟だ。うちの近くに住んでいて、パパやママがいそがしいときや帰りが遅くなるときは、おじさんが送り迎えをしたり一緒にご飯を食べてくれたりする。おじさんはパパより若くてかっこいいし、ママみたいにどうでもいいことでわたしを叱ったりしないから、わたしはおじさんと二人でいるときの方が楽しいと思うこともある。でもパパはおじさんのことがあんまり好きじゃないみたいだ。三十歳を過ぎても独身でフリーターっていうのは、大人からするとあまり良いことではないらしい。二人が会ったときもあいさつをするだけで、楽しく話しているところは見た事がない。逆にママはおじさんのことを頼りにしているみたいだった。もしかしたらパパはおじさんに焼きもちをしているのかもしれない。

 じゃあ、おじさんはママのことが好きなんだろうか? ふとそんな風に思った。


 観覧車はゆっくりと上に昇っていく。私の体はシートに座っているのに、地面との距離はどんどん離れていく。窓の外に見える景色はさっきまで自分がいた世界とはちがう場所のように思えた。

「何年ぶりかな、観覧車なんて乗ったの」

 わたしの向かいに座ったおじさんがそうつぶやいた。おじさんは頬杖をついて窓の外をぼんやり眺めているように見える。

「嫌いなの? 観覧車」

「いいや、そういうわけじゃない。こういうゆっくりした乗り物の方が好きだよ。ジェットコースターとかは苦手だから」

「じゃあジェットコースターは乗らない方がいい?」

「友紀が乗りたいならどっちでもいいよ」

 おじさんは他の大人とちがって子どものわたしにも本音で話してくれる。友達と家族のちょうど真ん中くらいにいる感じだ。だからパパやママよりもおじさんの言うことがの方が信頼できる。二人のことが嫌いなわけじゃないけど、おじさんが一番わたしに優しくしてくれてると思う。

「姉さんはさ、ジェットコースター好きだったんだよ」

 おじさんはママのことを姉さんって呼ぶ。パパみたいにママって呼んだりはしない。だっておじさんのママはわたしのばあちゃんなんだから、おじさんがママのことをママって呼ぶのはおかしい。おじさんにとってわたしのママは、誰かのママじゃなくて自分の姉さんなんだ。ママが誰と結婚したとか、子どもを産んだとか、きっとそんなことは関係なくて、おじさんにとってはずっと姉さんなんだろう。わたしはそれが、なんだかちょっとだけうらやましい。

「こういうとこ来るとさ、乗りたい姉さんと乗りたくない俺でいつももめるから、結局二手に分かれるんだよ。俺と母さん、姉さんと父さんで。で、それが面倒だからってことで遊園地には行かなくなった」

「行きたかった?」

「どうだろうな。でも、今日は友紀と来れてよかったよ」

 おじさんはわたしの方をちらっと見てちょっとだけ笑った。


 観覧車に乗りたいと思ったのはおじさんと一緒に行くことが決まってからだった。テレビで見て知ってる遊園地の乗り物の中で、観覧車だけが特別な気がしたからだ。だって普通に考えて、ただゆっくり回るだけの乗り物なんて地味すぎる。でも観覧車はだいたいどの遊園地にもあるものらしい。遊園地といえば観覧車とジェットコースターってくらいにはみんなに好かれているんだ。

 こうして観覧車に乗ってみて、わたしは自分の思っていたことが正解だったことを知った。ここは特別な場所なんだ。いつもとはちがう遊園地って場所の中で、さらに宙に浮いていて、時間の進み方がゆっくりになっているような感じがするのに、一周したら終わってしまう。一人で乗ったら独りぼっちに、二人で乗ったら二人きりになれる場所。

 ここでならわたしとおじさんは、家族でも友達でもないものになれる気がしたんだ。


「真司さんは、わたしのこと好き?」

 それが限界だった。実はおじさんを名前でちゃんと呼んだのは初めてだ。おじさんはもう一度こっちを見て、笑おうとしてやめた。初めて見る顔だった。よくわからないけど、でもいつもの優しいおじさんの顔じゃなかった。きっとわたしも今まで見た事がないような顔をしているんだろう。

 遠くからジェットコースターに乗っている人の叫び声が聞こえる。あとどれくらいで地上に戻ってしまうんだろう。観覧車はちょうど今ゆっくりと下がり始めたように感じる。ずっとこの時間が続いてほしい、と思えるほど素敵な雰囲気じゃない。でも終わってほしくなかった。このどうしようもない気持ちも、大人になったら忘れてしまうのだとしたら、わたしはずっと子どもでいたかった。

「ごめんな」

 おじさんがそう言った。なんだか少しだけ悲しそうな目をしていた。他の大人だったら怒ったりお説教をしたりするのかもしれない。でもおじさんはそうしなかった。それだけでわたしはうれしかった。

「ううん、いいの」

 わたしとおじさんはただの親戚で、でも本当はそれで充分なんだ。おじさんはママの弟で、わたしにとってもたった一人の特別な人だから。

「……やっぱり友紀は姉さんに似てるな」

 そう言っておじさんは笑った。


「ママはパパ以外の人とも付き合ったことあるの?」

 一度だけ、そうママに聞いたことがある。怒られるかな、と思ったけど、ママは少し考えてから真剣な顔で言った。

「そりゃあるわよ」

「何人?」

「秘密」

「じゃあ、どんな人だった?」

「そうねぇ」

 ママは少し首をかしげる。まるで立ち入り禁止の場所にこっそり入っていくみたいな感じがして、わたしはドキドキしながら返事を待った。

「不愛想で理屈っぽくて、でも本当はとっても優しい人」

「パパとどっちが好き?」

「パパが一番だったからパパと結婚したのよ。でも、この話はパパには内緒ね」

 言われた通りわたしはパパにはこの話はしなかったけど、何も言われなかったからおじさんには話した。おじさんはいつもみたいにちょっと笑って、でもそれ以上は何も言わなかった。

 おじさんにとってわたしは、姉さんの娘なんだ。それがどういうことなのか、いつかわたしにもわかる日が来るのだろうか。だとしたら少しだけ、大人になってやってもいいかな、という気持ちになれた。


 地上に流れるにぎやかな音楽が近づいてくる。せっかく観覧車に乗ったのにあんまり景色を楽しんでいなかったことに気づく。だけどもう手遅れだ。他の乗り物とちがって観覧車には二回乗ろうという気にならない。やっぱりそれはここが特別な場所だからなんだろうか。それとも単純に一回で飽きてしまうからなんだろうか。わたしにはわからない。

 当然観覧車は降りるときも止まってはくれない。おじさんに続いてわたしも観覧車をひょいと降りる。乗るときよりも少しスリルがあってちょっと楽しい。結局わたしとおじさんは観覧車に乗る前と何も変わっていない。でも多分それでいいんだと思う。わたしは何かを変えたかったわけじゃない。おじさんもきっとそうだろう。

「ジェットコースター、どうする?」

 おじさんがわたしに問いかける。いつもと同じ優しい声だ。本当はちょっと乗ってみたかったけど、せっかくおじさんと二人きりなんだから一緒に楽しめるものの方がよかった。

「乗らない。ぐるぐる回るカップのやつがいい」

「そっか」

 おじさんは少し笑って、わたしに向かって手をのばした。わたしは今日のことを、十年後も二十年後も忘れたくないなと思った。この気持ちが全部間違いだったとしても、わたしは今、最高に楽しかった。

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ユキとおじさん 鍵崎佐吉 @gizagiza

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