3−2「走行」

「――ふむ、時速六十キロ。悪くない数字だ」


 スピードメーターを見た前橋は二台のスマートフォンをタプタプいじる。


「後ろの【情報虫】もしっかりついて来ているし、五年かけて作った朝生くんの誘導ゆうどうアプリが効いているようだ」


「…だとしたら早めに対処たいしょしてください」と、ハンドルをにぎる朝生。


「この先アレを後ろにつけたままにすれば、後続車こうぞくしゃ迷惑めいわくがかかります」


真面目マジメだねえ」と言いつつ、前橋は最後に二つのスマホの画面を同時にタップし、後ろを向く。


「夕くん。自前のスマホで悪いが、この光景を撮影してくれないか?」


 言葉にいぶかしみつつ、夕は自分のスマホを取り出して前橋を撮影する。

 

 ――画面には、二つのスマホをリアウインドウへ近づける前橋の姿。


 後ろのガラスに反射したスマホの画面には水のような波紋はもんが浮かび、リアウインドウにも同じものが浮かぶ。


共鳴現象きょうめいげんしょう――捕食者ほしょくしゃを呼ぶためのものだ。バッテリーをだいぶん食うから最低二台は必要なのだけどね」


 その言葉が終わらぬうちに、波紋から外へと何かがズルリと飛び出す。


 ――それは巨大な魚。目のないクジラほどの大きさはある魚が口を開け、目の前の車ごと【情報虫】を飲み込んでいく。


「連中、【虫】を食べるために進化した生物だからね。連中の発する微弱びじゃくな電気信号を感じ取り、地中から顔をだす性質せいしつを持っている。普段は体力を温存おんぞんするために土の中にいるから、すぐにまたしずんでいくよ」


 その言葉の通り。

 魚は【情報虫】を丸ごと飲み込むと、アスファルトの中へともぐり込んだ。


「このアプリでは【虫】の出す電気信号をより地面に伝えやすくする機能があるんだが――その話は後にしよう。まだ、問題が残っているようだ」


 気がつけば、背後から雑音混じりの音楽が耳に届く。

 

 ――それは車のラジオから。

 いつしかスイッチが入り、スピーカーから流れる音が車内へと響く。


「…博士。一応聞いておきますが、国内に入り込んだ時のために、事前対策として【虫】が忌避きひする性質のワクチンソフトを政府に提供しましたよね?」


 朝生の質問に「ああ、確かに渡した」と、うなずく前橋。


「今までもそうだが、【島】の中で見つかっている【菌】や【虫】といった国内で被害を出すことを想定させるものに対しては先行して対策をしている。ただ、この場合はアレだろうなあ…」


「アレとは?」と朝生。


「ヒューマン・エラー」と前橋。


「以前から噂で耳にはしていたが、どうやら政府の一部の連中がワクチンソフトを諸外国しょがいこくに横流ししていたようなんだ。そうなると配布できないところが出るから、こうしてラジオ局を通じて電波を乗っ取った【虫】が侵入を――」


 そこから先の言葉は良く聞き取れない。


 ――ラジオのオーディオ部分から大量の細かい生物が飛び出したかと思うと、あっという間に車内へと広がっていく。


 それはゼロと一で構成こうせいされた、無数につながる数字。

 虫のようにまわるそれは夕の腕にまでたっし――


「夕、決して、スマホを…離すな…!」


 兄の朝生の声が消える最中さなか――夕の視界を大量の【情報虫】がおおった。



「…夕、夕じゃない!大丈夫?」


 ――気がつけば、夕は車の後部座席。


 助手席と運転席には男性と女性が乗っており、女性は夕の顔を見るなり今にも泣き出さんばかりに身を乗り出してくる。


「良かった、久しぶりに夕に会えた!」


「え、か…母さん?」


 驚く夕を抱きしめるのは、五年前に亡くなったはずの母親。

 隣に座る男性は、不機嫌ふきげんそうだったがまぎれようもない夕の父親だった。


「え、俺。その――」


『落ち着いて、隣を見て』


「ぎゃあ!」


 気がつけば、なぜかの席にはスペースを半分をめる形でポムりんがおり、夕よりいくぶん背の高い彼女は天井に手をやる形で無理むりやり体を中へと押し込めていた。


『驚かないで、これはあくまで私の電子化されたバックアップ。本物は今も就寝中しゅうしんちゅうよ――以前、スマホで入金した時に人格じんかくをコピーして仕込しこませてもらったの』


 グギギと、なんだか苦しそうな体制たいせいで話をするポムりん。


『――落ち着いて聞いてね。ここは【情報虫】が開けた空間の中。スマホで解析かいせきした限りだと、どうも【虫】とアナタが接触せっしょくした時に時空間がゆがんで、アナタにえんがあるこの二人のところに出ちゃったみたいなの』


「え、でも。本来なら俺は【虫】に食われているんじゃあ…」


「――夕、誰と話しているの?」


 見れば、母親はいぶかしげに夕を見ており、父親も怪訝けげんな顔をしている。


『私の姿も声も、アナタにしか感じ取れないわ』と、ポムりん。


『そも、最初はスマホを通してアナタに【虫】が接触できないように電気信号を流したの。今回はそれが【虫】を刺激しげきすることとなって、空間に穴を開けてしまったってワケ…ぶっちゃけ、こっちの落ち度だから。ゴメンね』


 そう語るポムりんの体から、パチっと電気がほとばしる。


「キャッ。いま、静電気が来なかった?」


 驚く母親に「大丈夫だよ」と夕。


「――というか、父さんも母さんも今までどうしていたの?」


 その質問に「実は、もう半日もこのままなの」と困った顔をする母親。


「外がこんなでしょ?父さんと出たものか、困っていて…」


「え?でも、ここはスーパーじゃ――」と言いかけ、外を見た夕は驚く。

 

 ――目の前に巨大な隕石いんせきが落ちていく。


 それは下にある山へと落下していき、それを上から見下ろす形をとっている夕は思わず「落ち――!」と声を上げる。


 しかし、車が落下することはなく、次に車窓から見えるのは病院の中。


 ――窓から街の景色が一望いちぼうできる病院には室内にいる三人の女性。

 彼女らのお腹は大きく、出産を間近にひかえているように見えた。


『…あの中に、私の母さんがいるのね』


 ぽつりと聞こえたのは、ポムりんの声。


「え?」


『これは【島】が出来るまでの記憶。【虫】は本来、記憶を溜め込む性質の植物を食べているから、その記憶がこちらにフィードバックされているのよ』


 その言葉と同時に先ほどの彗星と思しき巨大な影がせまってくる。


 あたりにひびく悲鳴。

 それは、室内にいる妊婦にんぷのものか、運転席の夕の母親の声か。


「…!」


 ――気がつけば、そこは海に囲まれた広大な島。


 まだ溶岩が冷え切らず、ところどころに赤黒い跡が残る大地の上には小さな影。

 三つの影は産声を上げ、周りにボートが集まってくる。


 しかし、夕が気になったのは島の端に存在する、先ほどの隕石と思しき物体。

 それは次第に形を変化させていき――


「これは…」


 ついで、再び景色が変わり見覚えのあるスーパーの駐車場に車は戻っていた。


「この…繰り返しなの」


 気がつけば、母親が顔を真っ青にしながら肩を震わせていた。


「外の景色が、いつの間にか隕石いんせいきの落ちてくる光景に変わって、そこから病室に、どこかの島に、次々と移り変わって――もう、どうすれば良いのか」


「…母さん、ここを出よう」


 口をついて出た言葉。

 しかし思った以上に、夕の言葉に力がこもる。


「こんなところにいちゃいけない。車の中にいるのが問題かもしれない」


 そう言って、ドアを開けようとする夕に「――何を言っている!車の中の方が安全だろう!」と怒声どせいが響く。


 見れば、声を上げるのは助手席に座る父親で、その実彼の目には夕の持っているカメラ付きスマートフォンへと注がれていた。


「それに、なんだそれは。そんなもの、俺が買っていいと許可したか?」


 助手席から身を乗り出し、スマホを手に取ろうとする父親。


「つい先日に大学に行ったと思ったら生意気な。俺たちも金がないのに、入学時には中古のパソコンと機材きざいで十分だと言ったのに…どこで手に入れた。今まで、何を撮ったんだ、見せてみろ!」


「ちょっと、やめてよ!」


 とっさに父親の手をさえぎる母親に夕は気がつく。


(――ああ、そうだ。俺はこんな親父の性格が大嫌いだったんだ)


「俺より才能がないくせに。美大の映像課えいぞうかもぐり込めたのは幸運だったよな」


 口角泡こうかくあわを飛ばし、声を上げる夕の父親。


「高校のコンクールの時も俺よりおと奨励賞しょうれいしょうで。撮り方の方法もまるでなっちゃあいないヒヨッコ以下のくせに。よこせ!お前なんかに良い映像は撮れっこない。こんな機材ものはもったいない――!」


「やめてよ!」と、そこに割り込む母親。


「夕ちゃんは勉強しているんだから。アナタだって映像の仕事をしていないクセに。こっちは学費を払うためにパートに行っているんだから」


「うるさい、俺よりもめぐまれた環境かんきょうにいるのが文句もんくならないんだ!」


 そのやりとりに呆然ぼうぜんとする夕。


(そうだ。俺は毎日のようにこの二人のやりとりを見ていたから、いつしか自分で映像を撮ることに消極的しょうきょくてきになっていたんだ)


 ――夕の父親は、いくつもの賞をるような有能なカメラマンだった。


 彼の撮った映像を見て、夕も自分は将来カメラマンになりたいと考えていたが、父親は昔から人を見下すきらいがあり、さらに選り好みをしていった結果、もはや仕事が干されているのが現状であった。


(そうだ、俺は映像を勉強しながらも、いつしかそんな親父みたいな境遇きょうぐうになってしまうことが恐ろしくて――)


 いつしか、スマホを持つ手が震える夕。

 

(だからこそ、別の就職先に入って。でもその反面、何か映像を撮りたいと考える自分もいて、それで仕事に集中できなくて――)


 争う両親の様子に汗が手ににじみ、スマホを持つ手がずれていく夕。


 そこに『カメラを離さないで!』というポムりんの言葉に我に返り、とっさにスマホを強く握りしめるとドアを開けて外へ出る。


「母さん、車から降りて!」


 運転席に回り込むと足元が思った以上にやわらかく、それでもかまわず夕はドアを開けると母親の手を引いた。


「こんなところにいちゃあいけない!父さんと母さんがいなくなってから、もう五年も時が経っているんだ――俺も大学を出て、就職もした。家に帰ろう」


「五年…え?」


 困惑こんわくしながらも車から降りる母親に、助手席から父親が身を乗りだす。


「何を勝手なことを言っているんだ。俺はここを動かないぞ!」


 父親の声が響き渡る、人気のないスーパーの駐車場。

 ――そのとき、夕たちの乗っていた車の横の空間が波紋のように波打つ。


「この車で出ていく。この車も、お前も、母親も。俺の所有物ものなんだから、今すぐ言うことを聞け――!」


 その言葉を言い終わらないうちに、車の横に巨大な口が出現すると、車ごと夕の父親を丸呑まるのみにする。


「うぐ…!」


 それは巨大な魚。


 母親はとっさに避けたものの、車の外観はボロボロと崩れ――それは、見覚えのあるゼロと一の数字へと分解ぶんかいされる。


「母さん、母さんだけでも外に――」


 再び土中へと潜り込む魚。

 しかし、引こうとしたその手を夕の母親はすばやく離す。


「母さん?」


「夕ちゃん…私もね、変だとは思っていたの」


 その体が肩からボロボロと崩れ、細かな数字として散っていく。


『――ずっと車の中にいるようで。でも、どこともいえない場所にいて。同じ景色がぐるぐる回って…でも、ここに夕ちゃんが来て、五年も経っているって聞いてわかったの』


「待って、母さん…」


 伸ばした夕の手を母親はそっと手に取り、スマホを撮影する形で握らせる。


『大丈夫、夕ちゃんは父さんとは違う。人の気持ちがわかる子だし、見えるものをちゃんと映像として形にできる才能は、母さんが誰よりも知っているわ』


 母親はそう言って、夕に微笑ほほえみ――


『夕、朝生。最後に、に会えて。本当に良かった』


 その言葉を最後に、夕の視界は再び暗闇くらやみへと閉ざされた。

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