3−1「経緯」

 ――夕の家は、元は六人家族であった。


 祖父と祖母、父と母。

 そして夕と兄の朝生という、どこにでもある家族構成。


 …そう、どこにでもある家族。

 夕自身、高校を卒業するまで、そうであると信じて疑いもしていなかった。


「――でも実際は、俺らの父親は祖父母の金で暮らす万年無職人間まんねんむしょくにんげんかたや母親は俺らの学費がくひを稼ぐために必死にパートを掛け持ちしていた苦労人くろうにん…思えば、だいぶん世話をしてもらった」


 部屋で問いつめた後、車を走らせながら朝生は語る。


 たがいにラフなシャツとズボン姿。

 車は海岸線に向かって走っていた。


「お前が高校一年の時に爺さんが死んで。婆さんもボケちまって…パートに行く母さんを手伝う形で家事や介護を手伝っていたのは、専門学校に通っていた俺もよく耳にしていたよ」


 ――そう、それは夕にとって当たり前の日常。風呂などのデリケートな部分は母親に任せていたが、それ以外は学業のかたわら母と二人三脚でこなしていた。


「辛かったよな…時間の大部分を婆ちゃんの世話に持っていかれて」


「…」


 ――思い出されるのは、兄が語る以上のひどい生活。


 祖母はボケ始めた頃には買い物の時に会計前にレジから歩き出そうとし、次第に汚した衣類を部屋のあちこちに隠していった。


 食事をこばみ、足腰が弱り、骨折し、祖父の保険金でバリアフリーの手すりなどをつけても体が良くなることは無かった。


「親父は在宅介護ざいたくかいごにこだわって、最後に母さんが限界だと地区の支援しえんセンターに連絡して。でも、認知症にんちしょう判定はんていが出る頃に婆さんはコロっとあの世に行っちまって…そんな大変な状況じょうきょうでも、お前は大学に行けて――本当に良かったよ」


 赤信号で止まる朝生に「…何が『良かった』、だ」と答える夕。


「ベルから聞いたよ。俺が美大にいた頃にはすでに料理屋を出ていたんだろ?」


 その言葉に朝生は何も答えない。


「入って半年で流感で店が経営難けいえいなんになって。従業員を減らすために退職させられたって…そう、聞いてるぞ?」


 それに「――まあ、俺も悪かったからな」と、ため息をつく朝生。


「最初こそ、家族の生活を少しでも楽にしたいと思って料理の専門学校に通っていたのに。いざ働き始めたら。どうにも違和感が出てきてさ」


 ハンドルを握り直し、首をふる朝生。


「自分がいる場所はここで良いのか。自分が本当にしたかったことは何なのか。そんな考えが不意に出てきたら、どうしようもなくなって。ミスも増えて…辞めることになって。でも、当時の家の状況を考えると誰にも相談できなくて」


「…で、その頃に親父と母さんが事故で死んだ――と」


 夕の言葉に「葬儀時そうぎじに仕事をしていたと嘘をついたことは謝るよ」と、朝生。


「結果的に両親の保険金でお前の学費が払えることになって、俺の生活に余裕もできて。それも後悔していて――でも、その時に変だとは思わなかったか?」


 朝生の指摘してきに「何が?」と夕は答えるも、同時に見えてきた海に「ああ、親父と母さんの事故のことか?」と顔を上げる。


 それに「そうだ」と、車を停車させる朝生。


 ――そこは遠くの防波堤ぼうはていが暗い影を落とす、海水浴場の駐車場。


 五年前、この場所の数メートル先の海中で夕の両親が乗った車が引き上げられたと聞いていた。


「まあ、婆ちゃんが死ぬまで両親の仲が悪かったのは確かだったし」と、夕。


「こっちも学生生活を始めた最中さなかに呼び出されて、担当者から事故のことを聞いた感じで…正直、あっという間に事が進んで何が起きたのか詳しいことは分からなくって」


「そう、俺もそう感じていた」と、朝生。


「それに生前せいぜんの両親は二人きりで海になんか行かなかった。親父は人混みのあるところが嫌いだったし、二人で外出するなんて親父のワガママに付き合わされて買い物に行く時ぐらいだったじゃないか」


 それを聞き「――まあ、確かにな」と、同意どういする夕。


「それに、葬儀が行われたのは事故の翌日。早すぎるとは思わなかったか?」


 朝生の言葉に「…でも、担当者たんとうしゃの人の話では。海に沈んだところをたまたま通行人つうこうにんの人が見ていて。海上保安庁かいじょうほあんちょうに連絡して、車が引き上げられて」と、当時の会話を思い出そうとする夕。


 それに「過程の話じゃあ、ないんだよ」と朝生は首を振る。


「葬儀の時に俺らが見たのは両親の棺桶かんおけだけ。警察の実況見分じっきょうけんぶんも無かった」


 その言葉に「まあ、確かに」と次第におかしいと思い始める夕。


「両親の骨も火葬の後にもらった記憶が無いし、仏壇には位牌いはいだけだけど…」


「中身も損傷そんしょうはげしいとか言って見せてもらえなかった」と朝生。


「だから、その日に何が起きたのか、俺は両親のカバンやネット記事をあさり情報を集めることにしたんだ――そしたら、遺品の財布の中に…」


 そう言って朝生が出してきたのは一枚のレシート。


 ――そこには、事故が起きた当日の日付が記入されていた。


「親父は運転が苦手で、休みのときにはよく母親に車を出させていた。これは、その時に唯一残っていたレシートでな…妙なことに、この日のSNSには大量の奇妙な書き込みが続出していた」


 ついで、ヒビの入ったスマホをタップする朝生。


 そこには、スクリーンショットで切り取られた速報記事。

 タイトルは『車消失、各地で同時多発か?』というもの。


「記事の大元は消されたが、映像が未だあちこちに散らばっている…これはそのうちの一つだ」


 ついで出したのは、夕もよく知るスーパーの駐車場の防犯カメラの映像。


 複数台ふくすうだいの車には夕の両親の車に似た車種しゃしゅもあったが――ほんのわずかに映像がブレたかと思うと車の何台かが、くしの歯のように消え失せていた。


「これが、そのうちの一台を拡大したものだ」


 ついで出された静止画には車内にいる夕の両親の生前の姿。


「あ…!」と声を上げる夕。


「記事によればその日に見つかっただけでも、突然の高所からの落下、山や海中での発見。地下街に埋まった映像など、各所で三十台もの被害があったそうだ」


「さ…三十?」と驚く夕に「…ちなみに。乗っていた人間は、誰ひとり助かっていない」と首を振る朝生。


「なんで、そんなに…いや、そもそも何が?」


 困惑こんわくする夕に「だからさ、聞いたんだよ」と、顔を上げる朝生。


「当時の俺たちを担当した人間に俺は電話をした…そうしたら」


「――相談員の話を耳にした私が、さらに詳しい説明をする必要があると感じてこうして、朝生くんの元を訪ねたというわけだ」


 その言葉と共に開く、後部座席こうぶざせきのドア。


「…前橋まえはし博士、いらっしゃっていたんですね」


 顔を上げる朝生に「ついでにいえば、彼に機関きかんへの就職しゅうしょくを勧めたのも私だよ」と、パンツスーツ姿の女性は後部座席に座る。


「なにしろ、無職むしょくきの良い若者。逃がす手はないさ」


 女性はそう言うと夕に向かって微笑ほほえんで見せる。


「初めまして、地球物理学者ちきゅうぶつりがくしゃで機関の室長をしている前橋だ。ベルから話は聞いている。今日はここでお疲れ様と言いたいところだが――ちょいと野暮用やぼようがあってね」


 ついで「車を出して。スマホを一台貸してくれ」と朝生に手を伸ばす前橋。


 それに朝生は「これなら」とエンジンをかけながらひび割れたスマホを渡す。


「――あの日、【島】が山から海へと移った時に磁場じばがおおいにみだれてね」と、ふところから自分のスマホを取り出してタップし出す前橋。


「空間に大規模だいきぼなひずみが生じ、各所に大きな被害をもたらした。そのため当時、国の危機管理対策室ききかんりたいさくしつ在籍ざいせきしていた私が対応たいおうして、調査のために発足はっそくされた特務機関の室長というポストに収まったというわけだ」


「空間の…ひずみ?」


 思わず聞き返す夕に「ちなみに、博士」とハンドルを切る朝生。


「ここまで、どうやって来たんですか?いつもは免許めんきょを持っていないから運転手を連れて車で来るのに――」


「いやあ、ぶっちゃけ。車はそこにある」

 

 ついで、後ろに停められた車を指さす前橋。


「だが、本日の運転手が諸外国しょがいこくのスパイと入れ替わっていてな。今回の【島】の件で私を拉致らちしたかったようだが、どうやら仲間が上陸時じょうりくじに【情報虫】に通信機器つうしんききを乗っ取られたらしくてね」

 

 その瞬間、背後の車の窓ガラスが吹っ飛び、大量の黒い液体えきたいが吹き出す。


「今や連中。スマホで連絡を取るだけで、ああ言うことになるのさ」


 車の中から噴出ふんしゅつした液体は、次第に節くれだった関節かんせつへと変化していく。


「中の人間は絶望的だな、なにぶん連中は情報を好む。人間の脳細胞のうさいぼうなんて情報じょうほうかたまり――【島】が移動した際にも空間内で発生が確認されている」


 その言葉に、思わず夕は前橋へと顔を向ける。


 ――ついで、後ろの車は巨大な関節のある虫へと変貌へんぼうげていた。

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