2−2「対話」

「有史以前?」


「…そう、長い年月。大地は移動を繰り返し、動植物も共に移動をする。場所や共同体もそれに伴って変化をすると私は見ているわ」


 漏れ出る光の先。


 床から天井まで何千、何万本もの糸が壁のように連なる空間。

 カーテンのように無数の糸が揺れ動き、明るい光が天井から降り注ぐ。


「ちなみに【医療教会】が拠点とするこの建物も。今しがた渡された人形もこの糸を構成する植物によって作り出されているの」


 ベルはそう語りつつ、道の両側にある糸の一本に触れる。


「それらは【島】にも存在し、過去から現在までの記憶こえを、今も溜め込み続けている。その性質は糸や人形となっても変わらない」


「声――」


 ギィー…バッタンッ

 ギィー…バッタンッ


 耳に届く、均一な機織はたおりの音。

 

(誰かが、機を織っているのか?)


 音は壁の中からするようで、されども人の姿が見えないことに首を傾げる夕だったが、そこに『こーんにちわー』と遠い声が聞こえる。


「え、今の何?」


「――人は死んだらどこに行くと思う?」


「はあ?」


 唐突なベルの質問に思わず彼女を見る夕。

 しかし、ベルは神妙しんみょうな面持ちで手元の人形を見つめながら話を続ける。


「ラノベだとさ、トラックにねられた主人公が異世界に行ったりするでしょ。でも、実際に車に撥ねられたら…どうなると思う?」


 その質問に夕は即答で「大怪我おおけがだろ、そんなの」と答える。


「車に撥ねられた時点で怪我はまぬがれないだろうし、運が悪けりゃ一生植物人間しょくぶつにんげん。異世界に行くなんて、普通はありえない」


「そう、それが私たちの中の常識だよね…」


 そう言って、大きくため息をつくベル。


「私の家ってさ、母子家庭でね。母さんが五年前に死んだんだ」


 ギィー…バッタンッ

 ギィー…バッタンッ


 大きく聞こえる機織りの音。


「母さんはね、図書館で非正規の司書を勤めていたの」


 その音に重なるよう、カーテンのように下がった糸は揺れ動き、いつしか向こうにはボンヤリと動く人影が見えた。


「父親がいなくて、図書館に勤め始めた頃は周りの職員の人たちは母さんに優しかった――でも。七年前に財政難から市から民間の経営に変わって…それから、母さんの周りの環境は一変した」


 その背景は大量の並ぶ古い建物。

 ベルの語る場所と同じ、図書館のようにも見えた。


「給料が下がって、上となった会社の仕事もしなければならなくなって。同僚だった人は次々と別の職場に転職して。人がいない分の仕事も増えて、帰る時間も遅くなって…そのうち、残った母親に対して陰口かげぐちを叩く社員が出てきて――」


 カーテンのような糸の群れの中をさまよい歩くベル。


 ――そこには給湯室で何か噂を耳にする女性の姿が見えていた。


「そして、母は露骨に給湯室でいじめられるようになった」


『病院に行ったら?これは、アナタのために言っているのよ?』


『きっと何かの病気よ。必要な場所に行って、それ相応そうおうの生活を送った方が良いに決まっているわ』


 給湯室で数人に囲まれる女性。


「そのうちにだんだんと体調がすぐれなくなって。休みの日に勧められた医者に通うようになって…でも、具合は全くと言っていいほど良くならなかった」


「…」


「そんな会社、辞めれば良いって思うでしょ?」と、ベルは夕の方を見る。


「医者もね、環境の問題だと言っていた。それでも母さんは自分が我慢がまんすることを選んだ。母さんの経歴では他の場所では働くことはできない。でも、図書館あのばしょで本を扱うノウハウだけは自分が一番のはずだからって、信じていたから」


 ――気が付けば、目の前には一体の人形。


 その人形は天井からぶら下がる糸で繋がっており、ベルが手に持つ人形とも、赤い糸で繋がっていた。


「――でも結局、母は辞めさせられた。当時は流感りゅうかん流行はやっていて、母さんも、軽い風邪にかかって。病院を勧めてきた同僚どうりょうが上司に母の通院を話してね。印象が悪くなって、最後には病気を理由に退職するよう勧めてきた」


 ぶら下がる人形を目の前にし、うつむくベル。


「母はためらったけれど、押し通される形になった。しかも、退職金をもらうため必要な用紙には『司書を務める資格が無いため』と理由が書かれていたの」


 その言葉に夕の背筋に冷たいものが走る。


「母は『もう、どこにも行けない』って、呆然ぼうぜんとしていた」


 ベルはそう語ると長いため息を吐く。


「――それから数日後。当時の私は小学生で、何が起きたかわからなかったわ」


 ギィー…バッタンッ

 ギィー…バッタンッ


 大きく聞こえる、機織りの音。


 ベルの前にぶら下がる、女性の人形。

 糸の群れに映しだされる、ぶら下がる影。


 それは、人形のものか別の何かか。


『ごめんなさい…』


 ついで、目の前の人形から言葉が発せられたことに夕は気がつく。


『できない母さんで、ゴメンなさい。耐えられなくてゴメンなさい』


「――でも。死ぬことは無かった」


 ベルは自身の人形を握りしめ、ポツリともらす。


「そんなあつかいパワハラだし、辞めるよう言われた時に受け入れる必要もなかった。何より、母さんの話をこんな形でしか聞けないことは…私にとって、辛くて――!」


 そう顔を上げるベルの横で『――では、君はいつ声をかければ、彼女が亡くなるのを止められたかな?』と、声がする。


 見れば、糸のカーテンの向こう。

 車内と思しき室内に座るベルの影と、誰かもわからぬ女性の影。


 背の低いベルは、いま首にかけているものと同じ、黒と黄色のマフラーをしており、長髪の女性は隣に座るベルへと語りかける。


『そのタイミングをはかることは、おそらくその時の私達では難しかっただろう』と女性は答える。


『人は簡単に自分たちの住むところを区分くわけし、多くが集まれば、いとも容易たやすく周りと情報を遮断しゃだんする。君の家の経済状態けいざいじょうたい。周囲の環境と手をつけられることは山のようにあったのに――私が来るタイミングが遅れた理由も、そこにある』


 少女時代のベルは静かに聴いているようで相手の女性も話を続ける。


「――彼女は、私の上司であり育ての親でもある人」


 影を見て、そう補足するベル。


『また、当時どうしたら良かったか。君の母親に聞くことも難しい』と手にした人形を見せる女性。


『君が望むように母親の記憶を人形ここに写したが、その記憶も亡くなった時点で止まってしまっている。彼女との対話も今後はできないと思ってほしい』


 背後には、いま夕たちのいる教会が映り込んでいる。


『…それでも、良い』


 止まった車の中で、そう答える子供時代のベル。


『私は、母さんの記憶を見ることで何かがわかるのなら、それで良い。それからどうするかは私が決めていく』


 ついで、自身のマフラーを握りしめる子供のベル。


『――持っていくものは、そのマフラーで良いのかな?』


 女性の言葉にベルはうなずく。


『うん、母さんの形見だから。これで良い』


「――それから私は、学生生活を中心としながら機関で働くことにした」とベル。


「今も、母と同じような境遇の人間を出さないようにするためにはどうするべきか。解決する術がないかどうかを…私はずっと考え続けている」

 

 ぶら下がった母親の人形を見るベル。


「母さん――私、母さんがいなくなってから出来る限りのことをしたんだよ?」


 そう語り、ベルは人形へと手を伸ばす。


「母さんが勤めていた、今は経営難になった会社ところから図書館を買い取って、公共施設として開放された場所になるよう改修工事を済ませたわ」


 もろかったのか、体の紐がゆるんでいく人形。


「そこで仕事をする人たちも、生活に十分な給与や休みをもらえるようにして…母さんのように本を大切にできる人――次世代の司書を育てるための教育プログラムも、そこで始まっているの」


 それはベルの手に持つ人形も同じで、バラバラと手や足が崩れていく。


「…だからね、もう、謝らなくて良いから」とベル。


「母さんのような辛い経験をする人は、もう出ないようにするから」


 ベルの手の中で名残惜なごりおしそうに残った赤い紐。

 その紐も天井へと昇っていき――


「だから、もう安心して」


 そう語る、彼女の手には何も残っていない。


「安心して、眠って良いから」


 そんな折。再び聞こえた、か細い声。


『ありがとう…ちゃん』


 それを聞いた時、ほんの少しだけベルの目が大きくなったが…すぐにシャンと背筋を伸ばすと、糸のカーテンの先へと進み出した――

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