『こんにちは』

1−1「対面」

(――この先の継続は無しで。次の仕事先が見つかると良いですね)


 上司にそう言われ、ゆうは、ボンヤリしながら車で帰宅する。


 美術館での受付。

 会計年度任用職員としての任期満了にんきまんりょうに伴う退職たいしょく


(次の就職先だってまだ決まっていないのに)


 空の助手席には仕事に使っていたカバンと書類の入った封筒。


 これらの書類を職業安定所しょくぎょうあんていじょに持って行けば当面の生活費は何とかなるはずだが、継続なしの退職は解雇されたことと同じで、先のことを考えるたびに夕は胃のあたりがキリリと痛む。


(夕飯、何も食べたくないな)


 もとより、貯金もあまりなく財布の中は小銭ばかり。

 雨の当たるフロントガラスを見つめつつ、自宅の一軒家へと車をとめる。


「…は?」


 巨大な穴の空いた玄関ドア。

 夕は家の鍵を手にして、呆然とする。


 穴は中心部から外側へ、ひと一人が容易に入れそうな大きさで、何かの工具で溶かしたかのように大きくえぐれていた。


(泥棒?そんな、金目のものなんてないのに)


 慌ててドアを開け(――鍵はちゃんと閉まっている)室内に踏み込む、夕。


 中は荒らされたような形跡はないが、雨のためか濡れた足跡が玄関から続き、台所へと向かっていく。


(なんだ?…普通、泥棒ってこんな丸い足跡なんて残すものなのか?)


 夕がいぶかしがるのも無理はなく、濡れた足跡は片手鍋ほどのキレイな真円で、ついで台所のあたりから声がする。


「ねー、ポムりん。何かないのお?」


「急かさないでよ、チョロ助。というか、キャベツぐらいしか無いじゃない」


「俺は、別にいいがよ。もうお腹ペコペコがー」


(…なんだ?誰か、台所にテレビでも持ち込んだのか)


 泥棒にしては話し方が能天気…というか、まるで幼い子供の会話に近い。

 夕は念のためスマートフォンの緊急通報ボタンに手をかけつつ、台所に進む。


「ちょっと、もぐん太!生のままでかじらない。お腹壊しても知らないわよ」


「あー、シャックシャクするがー…ん?」


 目の前の光景に、思わず動けなくなる夕。


「あんれまあ。どちらのお兄さん?」


 ――台所にいたのは、大人の身長よりもやや大きめな、三体の着ぐるみ。


 ひとりは全身が青色で水玉の形をした頭部。

 ひとりは耳の尖った犬のような顔。

 ひとりはモフモフの耳を持ち、それぞれズボンやスカートを履いてはいるが…


「キャベツ…食べているのか?」


 思わず、尖り耳に指を指してしまう夕。

 そう、耳の尖った着ぐるみはキャベツを生でかじっていた。


 かじりかけのキャベツには歯形。

 そんなことができるのは生物以外にありえない。


「嘘だろ?」


 思わず、後退あとじさる夕。


 そこに「あーあ」と言いながら、モフモフ耳がやってくると「ま、そうよね。私たちを見たら、まずそう思うわよね?」と足音も立てずに近づくなり夕の持つスマートフォンへと手を伸ばす。


「…あ!」


「ちょいと失礼」


 ついでモフ耳は身につけているエプロンから一台のスマートフォンを取り出すなり、夕のスマホに近づける。


「待て、何を!」


 割れたスマホと夕のスマホ。そのあいだでパチリと音がすると「ほい、返すわ」とモフ耳は夕へと、スマートフォンを放り投げる。


「これ、私たちの宿代やどだいと生活費と…あとドアの修理代しゅうりだい


 みれば、画面には約十億円近くの電子マネーの表示。


「…は?」


 思わず顔をあげる夕に「一宿一飯の恩義おんぎというヤツ」と、モフ耳。


「あと、私の名前はモフ耳じゃなくてポムりん。アッチの尖り頭はチョロ助で、キャベツをかじっていたのはもぐん太ね」


 ポムりんがそう言うと「じゃ、買い出しよろしくー」だの「おやつはケーキが良いがー」と、それぞれチョロ助ともぐん太が声をあげる。


「仕事帰りで疲れているでしょう。買い出しに行ってきたらこっちでご飯を作っておくから、あ!今日の夕飯は生姜焼きが良いな」


 そんな着ぐるみ三体の声に送り出され、夕は半ば疲れた顔で近くのスーパーへと車を転がす。


(…そういえば連中。あの雨の中でも、まるで濡れていなかったな)


 買い物カートを押しながら、夕はスーパーの通路を歩いていたが、そこに声がかけられる。


「おい、夕じゃねえか。どうしたんだよ、パーティでもするのか?」


 そこにいたのは大学時代の友人である智也ともや


 仕事帰りと思しき彼のカゴには弁当とビールが入っており、対してカゴに生姜焼き用大パックと、ジュースやお菓子など満載となっているカートを見た夕は「ああ、これは」と半ばボンヤリと声をあげる。


「ん、なんだよ。彼女でもできたのか?」


 それに、どう説明したものか夕は口を開くも、出てきたのは意外な言葉。


「…あ、そうだ智也。お前、今はリフォーム業者だったよな?」


 それに智也は「ん?そうだけど」と首をかしげる。


 夕は、それを聞くなりスマホを取り出し「悪いんだけど。うちのドアが壊れちゃったんだよ。今晩中に直せない?」と画像をみせる。


 それは家から出るときに撮影した大穴の空いたドアであり、見るなり智也は「うわ、派手にやったなあ」とスマホを手に取る。


「あー…まあ、この型はウチにあるけど」と無精髭ぶしょうひげをさする智也。


「一応、まだ会社も終業時間にはなっていないから。ワンチャン。時間がある人間がいたら今日中に行けるか聞いてみるわ」


 話しながらもスマホのデータを会社のスマホに移す智也に「ありがとう、金は出せるから」と頭を下げる、夕。


「せっかくの帰りだったのに残業させて。後で礼を持ってくよ」


 それに「良いよ、金さえもらえば別に」と智也。


「それよか、空いたときにでも昔話でもしようや。最近、めっきり互いの話をしていなかったじゃないか。どうだ、美術館の勤務は。面白い展示でもあるか?」


「ああ、それなんだけど…」



「お疲れ様ー、お友達との話は楽しかった?」とポムりん。


 ついで、やってきたのはチョロ助ともぐん太。


「わーい、チョコスナックだー!」


「すごいがー、島でもめったに食えない珍しい菓子だがー!」


 そんな光景を眺めつつ、玄関先で買い物袋を廊下に置いてボウゼンとする夕。

 

 背後ではすでにドアの修理が始まっており、ガタガタと外されたドアが瞬く間に付け直されていく音がした。


「じゃ、決済も確認したし、俺たちは引き上げるよ。じゃあな」


 そう言って、智也と後輩の施工業者は乗ってきたトラックでさっと帰る。


「あ…じゃあ」と、それに玄関先で片手を上げる夕。


 そんな折、背後の方で肉と野菜の香ばしいかおりが漂ってくると「三人とも、ごはんだよー」とポムりんの声がした。


「いっただきまーす!」


 ダイニングで食事をはじめる三体とひとり。

 卓上に並ぶのは、出来立ての生姜焼きとご飯とワカメの味噌汁。


「うまーがー」


「付け合わせのブロッコリーも美味しい!」


「こら、チョロ助!ちゃんとゆっくり噛んで食べるの」


 ニュースのながれるテレビ。皿と箸の動く音。

 そこにあるのはどこにでもあるような家庭の風景で…


「あの、さあ…」


 思わず、夕はそう言ってチョロ助たちを見渡す。


「俺、なんでこうして当たり前のようにお前らに買い物をして、普段みたいに飯を食ってるの?それにドアを修理するにも業者が来て、色々…あったのに…」


 次第に混乱していっく夕に「あー、早くも気づいちゃった?」と自分の両手を近づけるポムりん。


 瞬間、パチリと音がして彼女の手の隙間を電気が走る。


「ちょいと説明するとややこしいけど。割れたスマホを中継地点にして、アナタや他のスマホを持った人たちの脳波を操作させてもらったの。あんまり私たちのことを表沙汰おもてざたにしたくなかったから、許してね」


「…は、え?」


 同時に、ぐにゃりと回る夕の視界。


「ああ、脳みそがオーバーヒートしちゃった」


 体の自由が効かず、そのまま夕は椅子から転げ落ちる。


「タンカ、タンカ!」という、チョロ助の声と共に夕の視界は真っ暗となった。



「…っていうか、俺たちなんでこんな残業してまでドア直しに行ったんすか?」


 社用車のトラックを運転しつつ、文句を言う智也の後輩。


 それに、スマートフォンの決済画面とメールフォルダを確認していた智也は「んん?まあ、俺の大学時代からのダチの頼みだからな」と答えてみせる。


 後輩はそれに「ってか。あのドアをどうしたら、あんな大穴開くんすか?」と、信じられない様子で背後にチラチラと目をやる。


「溶かしでもしないと、あそこまでデカい穴は開かないでしょう」


 そう言って、背後のドアを見そうになる後輩を「あ、待て」と止める智也。


「安全運転。それに、どうもさっきからメールでウチの引き取ったドアを買い取りたいと言う企業があってな」


「へえ、あのドアを?誰すか?」


「いや、外資系の大手企業だ」


「はあ?なんで」


 雨の中、人気のない夜間の橋を移動するトラック。


「それ、何かの間違いじゃあ…げ、ちょっと待ってください!」


 言うなり後輩は車のブレーキをかけ、橋の真ん中で車は止まる。


「なんだよ、何かあったか?」


「まえ、前見てくださいよ先輩!」


 みれば、目の前に重なるように大量の赤布が落ちており…

 どうもそれは、何かがいるのかうごめいている。


「人か?あの大きさからすると」


 智也は首を傾げつつも車から降りようとするが、同時にドチャリッと目の前に何かが落ちてくる。


「え、あ、また布」


 べちゃっ、どちゃっ


「あ、増え…どんどん増え…!」


 だんだんと後輩の声が上ずっていく。


「なんだ、なんだよ…これ!」


 その声は、次第に叫び声へと変わっていき…

 いつしか智也のトラックは、赤い布をまとう人間によって埋め尽くされていた。

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