三七話、廿の流転の門と、旅行一日目①
月兎の都。
その一つである、廿の流転の門。
生命の流転を司るという大関所。
……というのは何千年前までの話であり、実際に行けばわかるが、現在ではただの観光名所になっている。
広々とした街。霧のかかった建物が、連なる赤い灯篭のようなものに照らされてすっかりお祭り気分である。
えるにーにゃ曰く、旅行だから楽しいのであって、長くいる場所ではないそうだ。月兎がそういうのだから、間違いないだろう。
遠くの賑わう景色を見ながら、鴉羽が地面のクレーターをつま先で軽く蹴った。
目の前に、いかにも「入口です」という風にそびえる大門がある。白い湾曲した門で、上からなにかの赤い果実がぶら下がっている。門番もおらず、横からでも入れそうな雰囲気をしている。やえが通ろうとすると、えるにーにゃに「だめ」と止められた。
「
そんなことは無さそうだが、逆らう必要もないのでその通りにした。門をくぐる。
「不思議な街ー」
ミズーリが周りを見渡す。
確かに、地球とは違う。
まず、全体を薄くおおっている、白い霧。煙。何となく、出会った頃のえるにーにゃが霧を纏っていた意味がわかってきた。宇宙空間でイメージされるような、ふわふわ浮いた感覚はない。
それから、まだ夜明け前なのに、明るい。灯篭の串刺しみたいなものがあちこちに浮遊しているからだろうか。
時々水路が道を半分に割っていて、古風な石橋が両側に伸びているのが見える。実際に渡ってみたら、えるにーにゃに「パン投げする?」と訊かれた。
公園によっては禁止しているであろう行為。水路を泳ぐ魚に餌やりをするのだ。
パンはどこでも売っているらしく、えるにーにゃが一人一枚買ってきてくれた。代金どうしよう、と鴉羽が財布を取り出すと、「いいの、いいの……とりあえず、やってみてよ」と言われた。
パンを小さめにちぎった。
橋の手すりに肘をかけて水路にパンくずを放り投げる。
ポチャッ。
するとパンが流れていき、水面が快い音を立てて跳ねたと思ったら、光を纏った小魚が身を空中に舞わせて水中に戻っていった。
「黄金の魚だ!」
あの光り具合は、黄金だった。
確かによくよく水路を覗くと、何やらやんわりと光を放って流線を描いているのが見えた。さっきの魚の群れだ。
鴉羽の真下の水域にやってきて、螺旋を作った。まるで裁定していない上質なタペストリーに渦巻く模様のようだ。傍に目をやると、ミズーリも楽しげに遊んでいる。
「お姉ちゃん、丁寧だね」
「ふふ。つい愛情込めたくなっちゃうの」
ミズーリはパンを少しちぎると、少し丸めて、ボールを作った。それからそっと、水に落とす。
波紋が広がり、それに反応した魚が飛び上がる。長い。ドジョウの類いだろうか。
そうこうしているうちに、気づけば三十分くらいがすぎていた。
「みんな楽しかった……?」
「楽しかった!」とやえが代表して言う。嬉しそうに手をはたいている。「またやりたいわ」とカリンが続く。ちなみにカリンはえるにーにゃにねだって、パンを二枚貰っている。
私も二枚貰っておけば良かったなぁ、と鴉羽が呟く。
「良かった……じゃあ、宿に行こうね。ここはもうすぐ無くなっちゃうから」
「どういうこと?」と鴉羽が訊いた。宿を探すのはわかる。だが、無くなるとは……?水路が消えるの?
えるにーにゃが追加で説明をした。
「月兎の都って、ある一定期間存在して、時間が経つと霧の中に消えちゃうの。……実体が消えるから……迷わないでね」
本当に、不思議な場所だ。
鴉羽がイメージするファンタジーとは、少し違う部分もあるが。
「はーい」とミズーリが元気よく返事して、鴉羽の手を握る。「ちゃんと手を繋いでおこうねー」と完全に子供扱いだ。
……まあ、ミズーリならいいけど。
橋を渡ってずっと真っ直ぐ進んでいくと、徐々に霧が濃くなっていき、通行人も減った。そろそろ実体を失くすそうだ。
確かに、迷ったら簡単には見つからなそうな感じはする。鴉羽が心配そうにミズーリの手を握り返す。
「大丈夫大丈夫ー、お姉ちゃんがいるからねー」
「違う。お姉ちゃんが方向を間違えないか心配なのっ」
これは本音だ。
歩いて、十分が経つか経たないかという時だ。
えるにーにゃが足をとめて、大きな館を見上げた。
石造り。門はない。窓は幾箇所かあって、中から淡い黄色い光が漏れている。全体的に煙に覆われていて、瓦の屋根には巨大な木がそびえ立っていた。
大木は高い葉の傘から、無数の枝のような糸を垂らし、点々と灯された光がその周りを浮遊して止まない。
「地球でいうと、ガジュマルの木の仲間みたいなもの」とえるにーにゃが説明する。
……そのガジュマルの木を知らないんだけど?と鴉羽が苦笑いを浮かべていると、ぅととミズーリが我先にと解説し始めた。
……どっちも聞くから、落ち着いてよ……。
六人とも、テンションがだいぶ高い。
「これからここの中に入る……よ。本当は月兎専用の宿だけど、今回は特別に入って……みよ?」
「いいよ、宿は普通で。追い出されても困るし」興味津々だが、これも本音だ。月兎という特異な種族。その不思議な習性に相応な暗黙の了解のルールがあっても不思議ではない。
例えば、土足で畳に上がってきた人がいたら、嫌な思いはする。それが言葉に出るか出ないかはその人次第だが、せめていい気分にはならない。
それと同じだ。
無理して入って、粗相をしでかすようなことはしたくない。鴉羽なりの気遣いであった。
が、えるにーにゃは優しく頭を横に振って、切りそろえた灰色の髪を揺らした。
「大丈夫……ちょっと女将さんが変な人だけど……やさしいよ?」
……。
まあ、いいか。
せめて礼儀正しくはしよう、と鴉羽は軽く身なりを正した。
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