三四話、旅行の前々日と、突然の遭遇②

 大男が近づいてくる。

 その歩みは遅く、そして静かだ。

 彼はやえの前にやってきた。

 やえの身長の、三、四個分はある。

「……立ち去って」

「……」

「攻撃するわよ」

 やえは脅しをかけたが、彼がそれで怯むはずもなかった。


「……耄碌したな」

 とだけ言った。

「うるさいわね。女子に言うことじゃないわ」

「なら、俺に挑んでこいよ」

「……」

「……どうした。俺から、やってもいいが?」

 大男が腕を組む。

 やえは深呼吸して、声を絞り出した。

「……やめて。───ガーヌ、もう一度言うわ、やめてちょうだい」

「……そいつは、誰だ」

 ガーヌと呼ばれた男が、ギロリと鴉羽をみた。

「彼女は僕の相棒よ」と自信を持って言うやえ。「名前は教えないわ」と付け加えた。

「名前はいらん。そいつは、お前の相棒なのか。……弱そうだな」

「いえ、彼女は強いわ。あなたよりもずっとね」やえが返す。男が拳を握って、やえを殴る。だが、大きな拳は、ピンク色の桜の花に包まれて、勢いを落とした。

「……まだ、使えたのか。……やえ」

「なけなしの力ね」

「なら───」

 大男が再び拳を振るう。やえが体のきしみを堪えながら、再び桜を出した。しかし、男の拳は来なかった。そして桜の花が消えたのと同時に、やえは全身に痛みを覚えた。

 十数本の針が、彼女の体に刺さっている。

 そしてどれも、毒がついたものだ。

 倒れ込んで、震える手で針を抜くやえ。

「相変わらず……がたいの割に……やることがちまちましてるわね。針とか、奇襲とか」

「お前こそ……昔は俺を圧倒していたのにな」

「それはの話しよ……!僕は別に、そこまで戦いたいと思ってないわ」

「なら、お前が言う、相棒になんの意味がある」

「……」

「マスターの、代わりとでも言うのか」

「……っ!」

 違う!と言いかけるやえ。ガーヌの言葉が続く。

「マスターはいない。お前はもう解放だ。過去にすがりつくな。……俺の最後の良心だ」

「……どうでもいいわね。そこまで言うなら僕も……鴉羽を守る」

 やえが起き上がる。

「前みたいに、潰してあげるわ」

「……やれるならな」


 やえは両手を合わせた。

 祈る。

 祈る。

 願わくば、八重咲く桜の、九重が。

 重ね重ね、軋轢重ね。

「『祝福』」

 その声が降りた瞬間。曇り空が薄桃色に光った。大きなバツ印が、空に浮かぶ。今も何やら呪文のようなものを呟いているやえの瞳が見開いている。


「……俺を殺す気だな」

 苦笑いを浮かべるガーヌ。死を覚悟した顔だ。

 これに少しでもかすったら、生き残れる生物はいない。男はやえの本気を察した。

「鴉羽を悪くいう人は、死ねばいいのよ」

「お前も過激になったな」

「うるさい……関係は……過激なくらいがいいのよ」

 やえが鴉羽を見て微笑んだ。


 その瞬間。

 やえは大きなドームに包まれた。

 それは赤黒く、そして見覚えがある。

「鴉羽!?」

 だが、本人は眠っている。意識はない。もしかして……自動で発動している?

 ドームの邪魔によって、やえの「祝福」は途切れ、空の異変も消えた。ガーヌが殴りかかってくる。しかし、ドームに拳が当たると、ドームがバリンと音を立てて割れると同時に 、大男ガーヌの拳も爆散した。顔を顰める男。

「……なんだ、ただの弱者ではなかったのか」

「どこからどうみたら、弱者に見えたのよ」

「……自分から首を突っ込んでいくところだな」

「この子は……良心よ」

「甘いな」

 いつの間に、男の拳は完治していた。距離を縮めてくる。やえが目を瞑る。


「……!?」

 しかし、男の拳が届くことはなかった。

 男とやえの間に割り込んできた何か丸いものが、やえと鴉羽を引っ掛けて、上空に消えていった。

 男が拳を振り下ろしてから、一秒も経ったたない。割り込める隙はなかったはずだ。しかも、既に二人の姿がない。

 男は目を見張った。遠くの曇天に消えていく軌道。それを、睨みつけた。

「あれは……なんなんだ」

 そのあまりにも荒唐無稽でありながら、清々しく通りすがる姿。

 男は吹く風にどこか、懐かしい感じがした。



 答えは、簡単だ。

「大丈夫ですか、鴉羽、やえ!?」

 紫色の髪の、女の子。

 まぶたが重くて、頭がくらくらして、やえは答えることが出来なかった。

「がうがう……い……生きてるかな……」

 と灰色のおかっぱの少女。

「ぅと……えるにーにゃ……」

 やえは二人の存在を確認すると、安心して目を瞑った。

 隕石が、超高速で空を滑る。本当なら振り落とされてもおかしくない速さだが、召喚された隕石は特別である。

 クレーターの上で気絶している鴉羽とやえ。

 ぅとがまず、鴉羽の胸に手を当てた。鼓動はある。生きている。

「……よかった。しっかり生きていますよ」とぅと。

「でも、やえの状況がしんぱい……」とえるにーにゃ。全身に刺さったままの、針。それを一瞥して、ぅとはすぐに「植物性神経毒つきの針ね」と読み取った。植物分野は、エルフの十八番である。

「大丈夫ですよ。すぐに家に連れて行きましょう。二人とも早めに毒抜きをしましょうか」

「うん」

 ようやく、えるにーにゃが落ち着く。このままだと、操縦も不安定だ。

 えるにーにゃの操縦は下手だ。だが、こういう緊急時は役立つ。とてつもなく速いのだ。バランスは、ぅとが管理すれば十分。

「えるにーにゃ、帰りましたらすぐに鴉羽の家族に連絡を」

「なんて言えば……?」

「『急用があって、今夜は曉家が引き取らせていただきます。明日朝には、必ず』と言えばいいでしょう」

「うん。わかった……それで。……これ、何があったのかな」

 ボロボロな二人。ぅとも、えるにーにゃも、やえや鴉羽の強さはだいたい知っている。深くは聞いたことがないが、決して弱くない二人だ。

 なのに、ここまで……。

「やっぱり、あの男ですか」

「ぅと君もそう思う?……私も」

「ただ、お二人が起きても、聞かない方がいいでしょうね」

「……うん、わかった」

 やがて、四人を載せた隕石は、大きな屋敷───ぅととえるにーにゃの家に降りた。




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