三三話、旅行の前々日と、突然の遭遇①

 お菓子や、母親が買った野菜などを持ち帰った鴉羽は、すぐにまた外に出た。

 少し天気が怪しい。曇り空だ。

 母親が、疲れたでしょ?もうちょっと休んだら?と言うので、旅行の相談しに行くと言って、鴉羽は家のドアをしめた。

 一つに、気まずさを紛らわすためだ。

 そしてもう一つ、やりたいことがあるからだ。母親には言えないことだ。

 図書館に行って、もう一度あの本を見ることである。転生者の本。返した後に、後悔した。関わりたくないのは本音ではあるが、今回の件を自分だけが何も知らずに終わってしまうのは嫌だった。

 だから、せめてもう少し真面目に読むことにした。ちなみに事象を調べる宿題は、エルフの歴史という話題にした。別に歴史はダメとは言っていない。ぅとやミズーリに聞いてみたら、すぐに教えてくれたので、宿題としては完成だ。

 そうしてやってきた図書館。しかし。

「……ない!」

 係員に尋ねてみたが、貸出中です、と言われた。誰が借りたんだろう。

 あんな、誰も興味を持たなさそうな本。

 まあ、別にいい。気にする事ではない。とりあえず、ミズーリの所に行こう。もう、あっちの用事は終わっているだろうし。


 駅を抜けて、緑の方へ向かう。

 街にはほとんど通行人がいなかった。公園に入ると、女神像が見えた。鴉羽はそれを見上げた。天秤を持つ女神。

 やえと、気持ちを交わした場所だ。

 言えないけど、大事な思い出の場所である。

 やえも今は片付けで忙しいんだろうなー、と鴉羽が思っていると、突然風が吹いてきた。

「……ん?」

 手のひらに乗る、花びら。

 これは。

「……桜?─────くっ!?」

 夏なのに桜の花びら?やえかな?と思い巡らす暇もなく、遠くから何かがものすごいスピードで螺旋を描いて飛んできた。鴉羽の頬を掠めて、血で跡を残す。避けてよかった。軽い傷で済んだ。


「……だれ?」

 見渡した。誰かが自分を狙っている。また、前回みたいな感じか。

 脳裏に、あの家族を思い浮かべる。やっぱり、狙われるのは気持ちが良くない。


「……」

 人影が現れた。

 その正体に、鴉羽が立ち竦んだ。

 桜の花びら。雪の蝶。プリンセスみたいな服。見覚えのある顔───。


「……やえ?」




 やえだった。

「……なにしにきたの」

「これ、鴉羽、探したわよね」

 やえが取り出したのは、一冊の本。二人は今、相棒とは呼べない、否、友達とも呼べないような遠い距離を画しているから、細かい表情は分からない。

 だが、その本はわかる。

「転生者、ここに記す」。

 鴉羽が探していた本だ。

 それを、やえは借りていたのだ。違う、目的は、借りて読むためではない。目的は……。

「その本……」

「知ってるんでしょう?読んだんでしょう?中身」

「……知らないわ」と誤魔化す鴉羽。するとやえは少し震えた声で、本を閉じたまま、何かを言い出した。

「……私は死なない。死にたくても、死ねないのだ。なにせ、私は転生者なのだから。老いても、仲間が居なくなっても、ただ私だけがここにいる。今は、立派に仕事をしている。最近は、楽しいと思えるようになった」

「……!!」

 そこまで言って、やえが訊き直す。

「どう。聞いた事、あるでしょう?」

「……嘘ついてごめん」素直に言った。

「やっぱり。……どうして知ったの」

「宿題で、本が必要で」

「違うッ!!」

 あまりの必死な叫びに、鴉羽は口をつぐんだ。

 本をばたりと落とし、両手を小刻みに震わせ、顔を隠す。その両目は恐怖、戦慄そのものだった。だが鴉羽からは、それが見えない。

「どうして……こんなものを……読んじゃったの」

「よ、読んでないってば」鴉羽が頭を激しく横に振る。

 突然現れて、突然キレだす(あるいは泣きだす)やえ。

 鴉羽は今、頭が真っ白だった。


「嘘よ。最近開いた跡があるし、昨日みたらなかったわ」

「ほんとに読んでない。読もうとして、難しくてよくわかんなかったから、諦めて返したの」

「ほ、ほんとに……?」最後の希望を掴むような声。

「ほんとうよ」

 そう言うしか無かった。


「じゃあなんで、また探そうとしてるの」

「……」

「やっぱり、嘘なのね」

「そ、それは違うってば」

「はい、気になってしまいました」とは絶対に言えない雰囲気になってしまった。いつもあんなにも優しい雰囲気のやえ。何があったんだろう。あるいは、転生者と、どんな関係があるんだろう。

 言い訳を考えていると、やえが手を伸ばしてきた。

「『包み』」

 瞬時に、鴉羽は背後から現れた大きな桜の花に包まれた。咄嗟に、「鬼灯」を使って身を守る。相殺して、鱗粉のような光が辺りに舞った。

 鱗粉は次々と花を咲かせていき、鴉羽を飲みこもうとする。

「もうっなんなのよ!」

 さすがに一言言いたくなった。

 鴉羽が少し強い口調で言った。

「なに?私を殺す気なの?相棒とか、そういう話、全部嘘なの?なんなの?」

 言えば言うほど怒りに燃えてきて、額から角が現れた。抑えたい。話は聞きたい。やえは、「転生者」と関係がある。一連の流れで、鴉羽は確信した。

 だが、少しヒステリーを起こしている二人は、どちらも気持ちのコントロールが出来なかった。


 小一時間が過ぎる。

 花びらの効果もサイズも弱まり、鴉羽のドームも割れやすくなった。次第に光は薄まり、弱りきった二人は倒れ込んだ。


 意識はまだある。

 少しは落ち着いてきた。鴉羽は上半身をあげて、ぜえはあ言いながらやえを見た。やえが倒れたまま、ビクともしない。

「やえ!」

 返事は無い。

 なんとか重い体を引きずりながら、やえのそばにやってきた。初めて、こんなにも連続して「鬼灯」を使った。全身が痺れる。

「やえ?」

 やえの顔を覗き込む。目は開いている。意識はあるようだ。だが、光がない。精霊らしい表情はない。絶望をそのまま映したような表情をしていた。

「……はぁはぁ……ほんっと、ゲホッ……なんなのよ」

「……どうして」

「?」

 やえの唇が震える。


「どうして……包まれようとしないの」

「……包まれたら終わりだと思ったから……はぁ……よ」

「やっぱり、そう思ってたのね」

 え。

 どういうこと?

「……そのまま、眠りにつくだけよ。そして昨日と、今日の記憶はなくなる。……明日には元気よ」

「なんでそんなことするの」

 鴉羽が顔の傷をさすった。痛い。ヒリヒリする。

 あれは、殺意のある攻撃。記憶を無くしたいとか、そんなものじゃない。

 その後も何度か飛んできたために、鴉羽の服はボロボロになっていた。


「……鴉羽に知って欲しくなかったの」

「何を」

「言わない……痛っ」

 鴉羽がやえにデコピンを食らわせる。

「言わないなら実力行使」……と言ったものの、何かするつもりは無い。一応言ってみるだけだ。

「……」

 どうやら言うつもりは無いらしい。

「なら聞くけど。やえは転生者?」

「……鴉羽、怒ってる?」

「答えて」

「……違うわ」

「じゃあ、転生者とは関係はあるのね」

「……ない」

「嘘」

「ほんとうよッ!」


 突然力のこもった返事をするやえ。鴉羽を張り倒して、上に乗った。「え?へ?」と訳が分からない、という顔をする鴉羽。

 鴉羽を見つめるやえの顔は真剣そのものだった。眉を寄せている。

「どうして」

「なにがよ」

「どうして……僕こんなに頑張って……頑張って鴉羽をこのことから引き離そうとしてるのに……っ、鴉羽は……っ!鴉羽はっ……!」


 目を潤わせるやえ。

 鴉羽は黙ったまま、それを聞いていた。

 やえは苦しそうだった。何か言いたいが、言いきれないという感じだった。次々と、蕾を咲かせるように、やえが言葉を紡いだ。

「傷ついてほしくないの……っ!鴉羽には関係ないの……関わっちゃいけない。知っちゃだめ、だめ、だめ゙ッ……!」

「……」

「なのになんで……なんでっ……僕、そんなに頼りないかしら?頼りないの?僕、……っ死んだ方がいいの?……今すぐ……死のっか?」

「そ、それは」

「……だめなのかしら?関わらないでいちゃ……」

「関わるなって言われたら……関わるつもりはないけど……」

「じゃあっどうしでっ……っ。どうして見たのっ?なんで!?……」


 頭を振るやえ。大粒の涙が鴉羽の顔に滴る。唇に触れて、しょっぱいのが口全体に広がった。

 鴉羽まで泣きたくなった。

「ごめんってば。……もう、見ないから」

「僕は……僕は鴉羽に傷ついてほしくないの……っ。傷つくの、いやっ……。どうして。どうしてっわかっでくれないの……」

 後半はセリフも聞き取れなかった。

 この様子をみると、鴉羽が変なことに巻き込まれるのが、嫌だと言うのは本音のようだ。

 でもそれって、やえを放っておくことになる。

 これからの付き合いは長い。

 もうすぐ、旅行もある。

 言い出したら、泣き出してしまうほど苦しいことを、やえは今抱え込んでいる。なのに、それを無視して。無視して楽しく過ごそうだなんて────。


「無理よ」

 やっと、言えた。

 言うか迷っていたが、お互い今は疲れている。技を繰り出せるほどの力は残っていない。だから、今言うことにした。

「……」

「無理。やえだけに苦しませるのはむ───」


 ────パンッ。パンッ。


 軽い破裂音。正確には、破裂ではないのだが。鴉羽は自分の両頬が熱くなるのを感じた。やえに、平手打ちされたのだ。しかも、左右に一発ずつ。

 やえを見る。やえは少し怒った顔をしていた。

 視界がぼやける。

 歯を食いしばって我慢していた涙が、ついに堰き止められなくなって溢れ出た。

「……私じゃだめなの?私じゃ……頼りない?」

「違うのっ……なんでわかってくれないの!……巻き込みたく──むぐっ!?」

 鴉羽はやえの両頬をつねった。つねった手をやえが掴んで払おうとするが、鴉羽はやめない。

「やえが一人で……一人で苦しんでるのに。旅行を楽しめと?」

「……」

「私……できない……できないよっ……。嫌わないから。やえは優しいし、面白いし、ずっと一緒にいて……一緒にいてっ、幸せだって思ってるから」

 確かに妙なことに巻き込まれたくは無い。

 最近は変なことが多すぎだ。

 少しは休みたい。

 でも、鴉羽はそれと同時に、自分もやらなきゃ、と思うようになっていた。

 自分が、動かないと、いつまでたっても巻き込まれる。

 それに、やえがいま、苦しんでいる。

 放っておけない。

 放っておきたくない。

 だって。

 だって。

 やえは大事な────。


「……っ」

 やえの枯れかけた涙が再び溢れて、鴉羽の両手を濡らす。

「だめ……?相棒なんでしょ……これくらい……これくらいは……一緒に乗り越えてもいいじゃないの……」

 語尾が萎んで、鴉羽が嗚咽をあげながら「私じゃあ……だめ?」と繰り返し問いかけた。


 やえもついに我慢できなくなって、完全に鴉羽の上に体をのせた。小さな鴉羽の体を包むようにして、二人の身体が密着する。

「……ごめんなさい……ごめんなさい」とやえは何度も謝った。

 攻撃を仕掛けてごめんなさい、ではない。

「守ってあげられなくてごめんなさい」だ。

 鴉羽は押し倒されたまま、やえの背中をさすってあげた。

「大丈夫、気にしていないよ」という意味だ。

 それくらいのことは、言わなくても伝わるようになっていた。


「守るのはお互いさま……それが相棒なんじゃないの」

「そうだけど……せっかく……僕が守ってあげられるチャンスだったのに」

「少しは頼ってよ」

「うん、頼るわ。……鴉羽も、僕を頼って」

「……ん。約束する」

 涙も収まり、笑えるようになってきた二人。お互いを抱きしめたまま、公園の芝に転がっていた。


「やえ、重い」

 気持ちも落ち着いて、鴉羽がやえの背中を軽く叩く。

「失礼ね。これでもダイエットしてるわ」

「ダイエットしてても重いものは重い」

「そういうとこは素直じゃなくていいのに!」

 やえが頬を染めて、起き上がる。実際、今二人の頬と目の周りは真っ赤である。

「それにしても、これはない。攻撃にしても、もうちょっと考えてからにしてよ。避けなかったら、死んでたわ」

 鴉羽が頬についた、傷口をなぞった。未だに痺れている。何か毒でも着いているのかな。

 だが、やえの返事は違かった。

「え?」

「……いや、その、服もさ、こんなんにしちゃって」さっきも言った通り、ボロボロである。出歩けるような服では無い。

「……僕、そんなのやってないわ」


「え?じゃあ、誰?もしかして別の人───やえ!危ない!」

 鴉羽がやえの体を掴んで、横に倒し、自分を盾にした。先程と同じような攻撃が、今度は鴉羽のこめかみら辺を掠った。

 血が滲み出るよりも早く、鴉羽は目眩がした。なんとか体を支えようとしたが、言うことを聞いてくれない。

 力が完全になくなり、鴉羽はやえの上にばたりと倒れた。

「ちょっと!?……鴉羽!?」

 やえは上半身を起こし、ぐったりしている鴉羽を支えた。次の瞬間に飛んでくる何かが、やえの防御した右腕に刺さった。針である。

 この感触。

 この武器。

 その使い手を、やえは知っている。

 冷めた声で、やえは言った。

「出てきてちょうだい」

 のろりと、木陰から姿を現す。そこには一人の、大男が立っていた。肌は恐ろしく白い。鴉羽たちを見下ろしたまま、黙っている。

「……」


 やえは、ゆらりと立ち上がった。

 奥歯を噛み合わせた。頭に血が上るのを感じる。

 意識を失った鴉羽の前で構え、一歩、また一歩と近づいてくる大男を睨んだ。



 巻き込まれても、それでも相棒と言ってくれた鴉羽を。

 自分を嫌わなかった鴉羽を。

 ────僕は、守る。

 やえは拳を握った。











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