三二話、お菓子と名刺と、すれちがい
夏休みになって、一週間弱が経った。明後日からは、一週間旅行が始まる。楽しみだ。楽しみすぎて、最近は寝つきが悪い。夜中にトイレにいくこともあった。
用意はだいたいできている。月兎の都に行く時に、何も持っていかなくていいとは言われたが、さすがに手ぶらは気が引ける。えるにーにゃのそこでの友達がいたり、知り合いがいたりしたら、挨拶とかもあるかもしれない。
鴉羽は棚に挟まれたファイルをみた。中には、名刺が二十数枚入っている。もちろん、あの高級レストランでの食事の日に貰ったものだ。そのあとも、「その日は大事な会議があって……」という人(もちろん社長などばかりだが)が何人か家にやってきたり、鴉羽と会釈を交わすのを母親がみて驚いたり感動したりと色々あった。
さすがに適当に放っておくのも違う気がしたので、専用の名刺入れのファイルを作ってみたのだ。欲を言えば、名刺入れのケースが欲しかったりする。
「……そうだ、名刺作ってみようかな」
親のところに行く。母親はベッドに倒れたまま足上げストレッチしていた。鴉羽が近づくと脚をおろして、「どうしたの?」と話しかけた。
「そ、その」
(い、言いにくい……)
「?」
「め、めいゴニョゴニョ……」
「めい?なになに?……もう、シャキッとしなさい。あなたそれでも黒鬼なの?」
母親がため息をつく。
「うっさい」と返す鴉羽。
「それで、なに?」母親が鴉羽に近づき、椅子を引っ張ってきて「よいしょ」と座った。最近、腰が良くないらしい。
母親が座ると、だいたい鴉羽と同じ高さになる。さ、本心を話して?という意味だ。目線を合わせてあげると、鴉羽はちゃんと話してくれる。経験則だ。
もうちょっと大人になって、素直に言いたいことがいえるようになればいいのにと思う一方、いきなり対応を求めてこなくなるのも、母親としては寂しい気もした。本当は何度か「ちゃんと言わないなら、聞きません」と突っ放したこともあったが、そうすると鴉羽はすぐにミズーリのところに行ってしまう。
そして次の日くらいに満足した顔で帰ってくるのだ。
母親としてこれでいいのか。
彼女は困っていた。
鴉羽には二つ下の弟がいる。彼の方が、しっかりしていて、話をちゃんと聞いてくれる。まだ鴉羽みたいに、思春期に入っていないからなのかもしれないが。
鴉羽は言うことを聞く。勉強もできる。そして黒鬼らしく、戦いにもつよい。長に、「この娘は大物になる」とすら言われた。
ただ、母親としては、もっと、なんというか、どこか見えない部分も成長をして欲しいという思いがあった。
───自分は、がうに求めすぎなのかしら。
母親と対面する鴉羽。口を紡いで、言いたいことを言おうとしない。
鴉羽としては直接言えばいい話だが、なんだか、言ってもわかって貰えないような気がした。やっぱり、ヘンなプライドが邪魔をする。
「……っ」
───が。
鴉羽としても、いつまでもこうやって、子供みたいに接されるのも困る。というか、恥ずかしい。
だから口をなんとか開いて、言葉数を少なくして、言えるだけ言ってみた。
「その、……め、名刺」
一度口から言葉が紡ぎ出されれば問題は解決する。あとは流れに沿って話すだけだ。
「名刺?名刺ほしいの?」
「……うん。名刺が欲しい。交換してみたい」
鴉羽は自分の計画を話した。
月兎の都に行く話はもう伝えてある。だから、そこで名刺交換でも出来たら、かっこいいかなって、という話もすんなり通った。
母親の方も納得してくれたようで、長考にふけっていた。
ええ、いいわ。
……と、言ってあげたい。
が、今じゃない気がする。
鴉羽の気持ちはすごいけど、子供から貰うとしたら、それよりもまずは気持ちの方を伝えるべきだと思う。お菓子とかの方が、子供はいいと思う。
しかしそのまま言い出すのも違う。
鴉羽が頑張って打ち明けてくれたのだ。それには応えたい。そうすればもっと、色々話してくれるかもしれない。
だからここは、穏便に────。
「あのね……」
「いいよ、無理しなくて。あっちが困るようなことはしたくないし」
「えっえっ」
突然の話題転換。母親は「ちょっと待って」と言いたくなった。
鴉羽は、母親の長考を読み取ったのだ。
どうせ、もっと別のものの方がいいけど、それをがうに伝えるのも可哀想、とか思っているんでしょ。
なら、そのまま言ってやる。
「マミーもそっちがいいんでしょ。お菓子なら一人で買えるから。じゃあ、行ってくる」
「ええっ……!?」
未だに、受け入れられていない母親。
勝手に心を読み取って、勝手に行動を始めて。
がうが。
あの、がうが。
────成長している。
さっさと着替えて、出ていこうと玄関に立つ鴉羽。
その後ろ姿をみて、母親は戸惑っていた。
自分は、昔の鴉羽ばかりを見てきた。鴉羽はもう、とっくに成長している。
特に、高校に入ってから、うんと成長した。
いつかは、突然、なんでも一人でできてしまうようになるのは、知っていた。
でも、それがいざやってくると、少し。
───寂しかった。
それも言えずに、吃って立ち上がる母親。鴉羽は振り返って、彼女をみて、はぁ、とため息をついた。
そして、あの口から、マミーは素直じゃないなぁ、と言い出すのであった。
「一緒にお買い物行きたいならそう言ってよ。……その、荷物くらいなら?……持てるるけど?」
なんだろう、この気持ち。
巣立ちってこういう感じなのかな。
まだ夏はこれからなのに、もう全盛期のような陽の光が、開いた玄関からいつまでも差し込んだ。
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