九話、いつもの日常と、ダンジョン①
ダンジョン。
いわゆる多くの勇者の物語の中に登場するダンジョンは、人を待ち伏せて、襲うことで中を守り、最後までたどり着いた者に宝をやる施設、という解釈のものが多い。
が、そんな甘い施設はなかろう。
と、校長先生は笑って言った。
「それじゃあ、宝取り放題じゃないかの?いやいや、違うんじゃ。わしが言うダンジョンは……」
懐から、小さな箱を取り出す。
開けると、中にすっぽりと水晶玉がはまっていた。
「水晶?」
「その通りじゃ。ダンジョンは、異次元のこと。すなわちダンジョンが生ずる地には、異次元の干渉がある、ということじゃ」
よく分からないと言うふうにする鴉羽を見て、校長先生はニマッと笑顔を向けた。
「実際に歩いてみるといい。結構、思っていたのと違うぞ」
「……あの、ダンジョンのことはいいのですが、これは学園祭と関係あるのですか」
「あるに決まってるじゃろ。そもそもな」
鴉羽の計画書をヒラヒラさせる校長先生。
「もしも普通の学校にこんなものを出したら、門前払い食らうじゃろう。予算も、規模も、足りんのじゃ」
「うっ」
「施設を借りればいいと思えばいいと思っているなら甘い。それはそう、まさに白樺くんの言う通り、展示会じゃ。でも君はやってみたいんじゃろ?」
鴉羽はコクリと頷いた。
最初は、そんな大事にするつもりはなかった。
提出して、却下されればそれでおしまいだ。旅行だって、クラスの中で催促を続ければ何とか案は出るんじゃないのか、という予備案もある。
が、こんなにも人が集まって、今更やりません、と言うのも気が引ける。し、鴉羽自身も、校長先生の言う「学園改革」に興味があった。
だから、肯定した。
「……はい、やってみたいです」今度ははっきりと言い切った。
それを微笑ましそうに見つめる白樺先生。感動でちょっと泣きそうになっているのは、ここだけの秘密だ。
「……そこで提案じゃ。学園祭だけの予算だと、もったいない。だが、もしそれをずっと、何代も使い続けていくものにしたらどうじゃ?夢があるじゃろ?」
「……つまり」
「うむ。これを新しい形式にしよう。そもそも、旅行を言い出したのは前の校長だ。それで批判を食らっていたりもする。わしも何とかしたかったんじゃよ。もちろん、すぐには持ち込めない。だから賭けじゃ───今回の学園祭──まだ先のことじゃが、ここにこの五人が裏で運営をする。あ、シルノイアくんとカルノくんは表も兼職じゃ。様子見をしてみようかと思っておる。どうじゃ?面白そうじゃろ」
みんな、校長先生の話を黙って聞いていた。「鴉羽くん───未来は、賭けるものじゃよ。力と知性を持って、な」
鴉羽はみんなを見た。
みんな、自分を見つめている。
胸の高鳴りを感じた。
力。
知性。
今まで考えたこともなかったことだ。
(少し……賭けてみようかな)
鴉羽は、ありがとうございます、と一礼した。心の中には、あったかもしれない過去と、あって欲しい未来が見えていた。
それは、重い煙がなくなり、暗い雰囲気が消え、炭鉱だけじゃなくなった山の楽園だった。
校長先生曰く、ダンジョンを設置し、教育課程にそれを盛り込むという。
その計画自体は、結構昔から考えてあったそうだが、それを動かすだけの勇気と、きっかけがなかった。
そのトリガーとなったのが、今回の鴉羽の提案だったのだ。
「例えばここをダンジョンにしよう」と言って、彼はほいと水晶玉を学園の森の中に投げた。
すると一筋の光が天を貫き、辺り一面の空気感が変わった。特に、森の近く。今まで感じたことの無い空気だ。
「入ろうか」
校長先生を筆頭に、白樺先生、鴉羽、シルノイア、カルノと続く。
完全に守られているような……。それに、校長先生、先頭で大丈夫なのかな。襲われない?危なくない?
ふと、校長先生の「君たちが知るものとは違うぞ」という言葉を思い出す。きっと、違うんだろう。
森の中に入ると、1箇所だけ、大きな竪穴が空いていた。明らかに、入れ、と言っている。
これが異次元との繋がりらしい。
「こうして鬼や精霊や、色んな種族が集まれるのも、この異次元とのつながりおかげじゃ。この世界はいく千もの層で作られておる。そのどこかふたつを繋ぐ───それがあの水晶玉などの役割じゃ。もちろん他のものでも代用は可能じゃよ」
不思議な穴だった。
まず、入り方は飛び込むという勇気のいる動作。
それから、すぐに中に落ちることはなく、まるで水の中にいるような重い圧力を下から受けながら、ゆっくりと降りていく。
そして、どこまで行っても、暗くならない。
(これが……異次元)
鬼という存在自体が、かつての人間にとってみれば異次元の存在だったのだが、鴉羽はそれを知らない。
「底」につき、普通の歩行に戻れた。さっきの圧力も感じない。跳んでも普通に落ちてくる。広い。広すぎる場所だ。ここが、学園のちょっとした森の中とは思えないほどに。
そしてまだまだ、常識をひっくり返す点がある。
「……モンスターがいませんね」
壁をいじりながらぼそっと文句を言う鴉羽。ちょっと、期待していたりもする。
「いる訳がないじゃないですか」と返す白樺先生。
「それなら宝物も……」
「ない。ただの穴じゃ」
「え、でも、今繋がりとかなんとか」
「それはこれから知ることじゃ」
感想、本当に何も無い竪穴だった。
ただ、通路と言われると、確かにそうとも言えなくもない。通路らしさはある。
ただ、一般の言うダンジョンらしさはない。
「さて。ちょっとお試しでやってみるかの……鴉羽くん。目を瞑ってごらん」
目を瞑る鴉羽。
「では、ふるさとを教えてくれるか」
「それは……」
「ほほほ。嫌かね。なら、そこでの記憶はあるかね」
「ちょっとだけなら」
幼少期。ほんの少しだけ、滞在した覚えがある。あの頃の生活は酷かった。
「目を瞑ったまま、思い出してみな。食べたものとか」
腐りかけのパン。泥でも混ざってそうなまずいジュース。
「見た景色とか」
煙の空。はげ山に工場。
「出会った人とか」
覚えていない。
「……」
静かだ。
静かすぎる。
「校長先生?」
「目を、開けてみな」
校長先生の声が耳元に聞こえた。目を開ける。彼は手を鴉羽の肩に当てて、遠くを見つめていた。
「……!!」
鴉羽は、目の前に広がっている景色に、目を丸くした。駆け出したくなる衝動があった。
そこは遠くまで限りなく広がる夕焼け。
黒い煙がたちのぼる空。工場が足元にポツポツと見える。
五人は、鴉羽のふるさとの山の頂上にいた。
「いい眺めですね」と見とれたような顔をするシルノイア。
「いい所じゃないですよ。……ここにいると、病気になりますよ」
「そうじゃな。普通はそうなるじゃろ。……本当に鴉羽くんはよくここまで元気に育ってきた」
「あ、その、一時期だけ住んでいたので」
「それでもじゃ。……して、どうだ?面白いと思わんか」
「校長先生、これはなんなのですか」
校長先生は一歩進んで、鴉羽を見た。
「ここは君が言っていたパラレルワールド───の、欠片じゃよ。ここには人は居ない。有害な毒もない。あるのは『存在』だけじゃ」
そう言って、彼は山から飛び降りた。
それに続くようにして、残りの四人も飛び降りた。
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