六話、学園祭の下見と、新たな邂逅④
「あなた……だれですか。なんで私の名前を?」
「僕は精霊。名前を知ったのは、成り行きね」
それだけ言うと、精霊はどこかへ飛んでいこうとする。お姫様のような長いドレスがふわりと舞う。
「待って」
「ん?なんで?」
「あなた前も会いましたよね」
着地して、少し考える精霊。
「うん、挨拶はしたかも。僕本体じゃなくて、こっちの方、ね」
そこらじゅうに漂っている、桜の花びらに手を上品に伸ばし、そのうち一枚を指先にのせた。
「やっぱり。……昨日、駅にいたでしょう?……同じ花びらを見た気がする。」
「えき?ああ、あの人々のたまり場ね。いたわね。大正解よ」
「やっぱり……あの、名前教えてください。もし良かったら」
「なんで?」
教えるのが嫌なのか、と一瞬思ったが、頭を傾げて訳が分からないという顔をしているのを見て、単純な疑問形なんだなと認識できた。
「その、そのまま帰るのも気分良くないから」
と、なんとなく理由をつけてみる。
「やえ、よ」
「やえさんね。あなたは桜の精霊……ですか?」
「うーん、惜しいわね。粉雪と八重桜の精霊よ」
「だいぶ風流を詰め込んだような精霊ね」
粉雪。八重桜。
そういえば、と鴉羽は自分が昨日みたものを思い出した。雪蝶と、桜の花びら。
「ねえ、やえさん。やえさんって、仲間とかいるんですか?……答えたくなかったら、無理しないでいいんですが」
「いないわ」
「なんか、ごめんなさい」
やえに背中を向ける。気まずい。そろそろ帰ろうかな。
「いいわ、気にしないでちょうだい……それよりも、鴉羽さん。少し───お話しましょ?」
「なるほどね。それは辛いわね。僕はまだ、鴉羽の故郷に行ったことのないかな。そんな場所だったんだね」
「うん。だからおすすめできないよ。いくら精霊とはいえ。」
公園の女神像。上質のシルクを纏った半裸の女性の石像で、背後に右側だけ翼がついている。手には天秤を掲げていて、その天秤の片方ずつに鴉羽とやえが座っている。
話し方も出会ったばかりの時に比べてだいぶ砕けてきている。仲良くなれた証拠だ。
鴉羽としても、この目で精霊を見るのは初めてだったし、いい出会いができたと思っている。ただそのことは口にはせず、「なんか、いいな」と心の中で呟きながら、言葉を交わしていた。
(そういえばなんかを忘れているような。)
「わかってるわ。ただ、もし行くとなったら呼んでちょうだいね」
「……うん。約束する。───やえ、ひとつ聞いてもいい?」
「どしたの」
「やえは、苦手な人とか、いる?」
鴉羽は訊きにくそうにする。が、やえの返事は簡単だった。
「あったりまえよ。……というか、あまり好きになれた人はいないわ」
意外な返事だった。
「……意外。誰でも仲良くなれそうな性格しているのに」
「えっへへ。そうかな」
「そうだよ」
「───僕ね。この姿がキライなの」
突然始まった独白に、鴉羽は耳を傾けた。「キライ」と言った時のやえは、目を少し細めた。その本当の気持ちを、鴉羽はつかみ取れなかった。
「この格好ね、強制的なものなの。僕がこれを脱ごうとすると、精霊のエネルギーが霧散して、どこかへ消えていってしまう。だから脱げない。──でもこの格好って、目立つでしょう?」
「……」
コクリと頷く鴉羽。
「それに僕は家にずっと居とどまっていられる性格でもないから、ちょっとは足を動かしたくて、駅に行ったりするの」
「性格ね」
「うん。あと、僕はこの女神像からエネルギーの継ぎ足しを貰っているから、転移はできるけど、転移先は必ず女神像がある所になってしまう。でもほら、女神像があるところってたいてい……」
やえはその続きを求めるようにして、鴉羽の方を向いた。大人しく思ったことを返した。
「人が集まるとこね」
「そう」
「それにしてもやえってよく話すね。私だったら、こんなこと、外に話したりしないのに。……だって、もっと恥ずかしくなっちゃうというか、意識が向いちゃうじゃない?」
鴉羽の経験上、そうだった。
はなせばはなすほど、素直さが失われていくし、打ち明けられたはずのことも、いえなくなる。
同じく赤鬼のさあやさんには、ちゃんとお礼を言いたかった。白樺先生にだって、言いたいことを言えていない。
そういえば、大好きなミズーリにだって、故郷のことは伝えていない。
そう考えていると、心の中がチクッとした。少し心臓がしぼんだような感覚がして、鴉羽は胸に手を当てて制服を掴んだ。
やえの返事を待った。
「……僕ね、このスカート、着たくて着ている訳では無いの」
「……さっき聞いた」
「でも着たからと言って、何か起こるわけじゃない。これは半分諦めに近いけど……もしも着て、それで喜んでくれる人がいるなら、僕は着てもいいと思う。僕が着れば、あの方は喜ぶ。その喜びが見られるのなら、僕も嬉しい」
「……」
「だからさ、鴉羽」
立ち上がるやえ。その一挙一動を、鴉羽はなぞるように見つめた。その場で彼女は一周くるっと回って、蝶と花弁を散らす。
「言っても、言わなくても、鴉羽は何かが欠ける訳では無いでしょ。なら、大切な人には、打ち明けてみたら?───きっと、喜んで聞いてくれるわ」
鴉羽は気づいた。彼女は今、自分を後押ししてくれていることを。自分の足りなかった分の勇気を、継ぎ足してくれたことを。
「うん」とだけ返した。「ありがとう」
「いいのいいの。僕もお話相手が欲しかったから。気楽に話せる相手がね───じゃあ、僕はこれで」
背中を向けて、空へ飛んでいこうとするやえ。
「あっあの。……ちょっと待って」
「何?」
「やえって、学生?」
「……そうだけど。しかも、多分鴉羽と同い年だね」
短い会話。お互い、反対側の空を見上げながら、それは続いた。
「そしたら、その……!」
鴉羽の言葉が詰まる。
やえが頭を少し右に回す。
「そのっ!」
すうっと深呼吸をした。新鮮でちょっと冷たい空気が、脳内を循環する。
「私とっ……友達になりませんか?」
それだけ言って、鴉羽は再び俯いた。ああ。
ちょっと、失敗した気がする。
嫌われないかな。まあ、嫌われたって……
「……いいわ。友達ね」
「!!……ありがとう」
「友達……いい響きね」目を瞑るやえ。
「あと、ちょっと……くすぐったい」少し赤くなった頬を指で掻きながら、目を閉じる鴉羽。
沈黙が続いた。再び口を開いて、何かを言おうとして振り向いた鴉羽は、やえの姿がいつの間にかどこかに消えたことに気づいた。
やえ。
新しい友達。同年代では、初めての友達と呼べる友達。
これ以上に嬉しいことは無かった。ちょっとは、成長したかな。素直に言えたかな。
鴉羽は高鳴る気持ちを抑えるように、しばらく女神像の天秤の皿の上で、体育座りしたまま両手で頬の温度を感じていた。
このことを、お姉ちゃんに伝えてみよう。
───あっ。
「お姉ちゃん!」思い出す鴉羽。そういえばすっかり忘れていた。今日はミズーリの家でご飯を食べる予定だった。
ええと、今時間は……。
「びゃあああああああっ!?」
携帯の画面を確認した鴉羽の叫び声が、夜の公園に響き渡った。
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