二話、出会いと記憶と、特別な一日
「お、迎えに来てくれたの〜?」
ある日。早朝。ミズーリが素早く着替えて、髪も整えて、嬉しそうにスキップしながら一階の庭に降りてくると、鴉羽の姿が見えた。
柵に手を当て、ぼんやりと庭の花を眺めている。辺り一面に、白い花が揺れる。
「……うん。どうせミズ……お姉ちゃんは道に迷うでしょ」
「ソンナコトナイヨー」
「ふぅん……じゃあ現地集合な」
ミズーリがにへらと笑って誤魔化すと、それをみて鴉羽は背を向けて手をヒラヒラさせた。
「えー、せっかくここまで来たんだから〜一緒に行こうよ」
「……お姉ちゃんがヘンなこと言うからだよ」
「ごめんごめん。ちょっとまっててねー」
「ん」
再び家に入っていくミズーリ。それを肩越しに見届ける鴉羽。その顔は少し赤かった。鴉羽は心の中でちょっと興奮していた。
今日は、お出かけの日。
ミズーリは、毎日家にいる訳では無い。し、携帯も持っていない。手紙と言っても、住所が決まっている訳でも無く、そもそもここを目指して歩いて来れるのは知人くらいだろうから、簡単に連絡もできない。
何せ、山の中だ。
だから、長い付き合いでも、こうしてお出かけができる日はほとんど限られている。
「……どこ行こっかな。駅前でも回ろっかな……ん?」
ミズーリが家の中で準備をしている間に、のんびり行く場所を決めていると、頭の上に何かが乗った感触がした。手を伸ばして触ってみる。
「……雪蝶だ」
指を添えると、頭の上に乗っていた正体──雪蝶と呼ばれる、雪の結晶のような翼を持った蝶々が指に乗り換えた。
触覚を伸ばして、ちゅんちゅんと鴉羽の指先を舐める。
「もうすぐ、雪が降るんだね」
この里付近では、雪蝶が現れると雪が降るとのことで知られている。……一部のハーフエルフの間でしられている話だ。
「……ねえ雪蝶、どこにお出かけすればいいかな」
するとその言葉に反応したように、雪の蝶々の翼はぴくっと動いて、模様を変えた。
「ふむふむ……これはなんだろ。串?あげもの?……んー……繁華街かな?──よし、決めた」
ふんすと鼻を鳴らして意気込むようにして拳を握る鴉羽。
その瞬間、ぱらりと雪蝶は消えて水になってしまった。「あーっ」と残念そうにする鴉羽。
そう、雪蝶のもうひとつの特性。
音に反応して、模様替えをする。とはいえ言葉がわかるわけではないらしいのだが、ある意味占いっぽいものだ。
だから毎回、ミズーリと冬の時期のお出かけをする時は、雪蝶を探して、「占い」をして決めるのだった。
「繁華街。繁華街かー……よし」
「おまたせー。お、決めたの?」
突然後ろから声がして振り返ると、そこにはミズーリの姿があった。肩に斜めがけのトートバッグがかかっている。何が入っているのだろうか。
「!……びっくりした……用意終わったの?」
「終わったよ。鴉羽ちゃんスマホはー?」
「お姉ちゃんと出かける時は持たないって決めた……どうせ繋がらないし」
「おっけー。じゃあとりあえずぱぱっと駅に行こー!」
そう言って、ミズーリはバッグをポンポンとはたいて、鴉羽の手を取った。
「……おー」と返す鴉羽。
……山の中なので、実際に人里、しかも駅まで行くのにだいぶ時間がかかるのは、ここだけの話である。
「着いたー」
「着いたね」
駅前。人でいっぱいだ。
「そういえば鬼をあまりみないね」
横断歩道を渡りながら、キョロキョロ周りを見るミズーリ。
「……人里を好まないやつも多いからな」
ポケットに手を入れて、下を向いて歩く鴉羽。ちらっとミズーリをみる。
「エルフだって同じじゃないの」
「んーん、ほら、そこのおじさんはエルフよ。あ、あそこにも一人ハーフエルフの女の子が。おーい」
嬉しそうに、道を一本挟んだ向こう側にいる知らない人に手を振るミズーリ。するとあっち側もそれに気づいて、大きく手を振った。周りはと言うと、それを気にすることも無く通行していく。
……知ってはいたけど。長い付き合いで知っていたけど。
「……これがカルチャーショック……」
「ん?何か言った?」
「な、なんもない!」
「それじゃあとりあえず行く場所なんだけど……」
「あ、ちょっと待って。動かないでねー」
ミズーリが鴉羽に体を寄せる。そして鴉羽のツヤツヤした黒髪から、何かをつまみあげる。
「……なにこれ」
「花びらね。……サクラかな」
確かに、立派なサクラの花びらだった。
「サクラ?……まだ冬だよ?そろそろ終わるけど」
「そうよね……どこから飛んできたのかな。南の方から、とか」
「さすがに早すぎるでしょ……あ、そうそう、行く場所なんだけどさ」
突然出かけ先の予定を思い出した鴉羽。どこどこー?とミズーリがそこにのり、二人は駅の近くの、繁華街に向かった。
同じく駅前。冬用に飾りが変わっている花壇。……の、真ん中に置かれた、水瓶を掲げた等身大の女神像。その上に一人の少女がちょこんと座っていた。全身豪華なパーティドレスを着ていて、遠くから見るとまるで、王子様を待っているお姫様のようだった。
彼女は視線が結構集まってきたのを見て、白い歯を見せて笑い、軽く会釈して、女神像から下りた。そして、土に寝っ転がった。ざわつく観衆。
「うそっ、寝た!?」「やばくねあれ」「警察呼ぶか?」「呼ぶなよお前、可愛いから許してやれよ」「ねえあの子可愛くない!?」「後で投稿しとこ!」「ドレス汚くならないのかな?」「どこかのお嬢様かな?」「王子様が迎えに来たりして?きゃー!」
様々なこえが上がる中、彼女は突然、パッと消えた。それから無数の花びら───そう、季節外れな桜の花びらを、雪の結晶のような蝶々とともに周辺に散らしていった。
驚愕の声を上げる野次馬たち。
その日、このことはあらゆる日刊新聞の冒頭に「十五年ぶりの桜雪」としてタイトルが載った。
繁華街。
「ここ」
「へぇ、『ひゃっき……繁華街』?鴉羽ちゃんの仲間が沢山いるのかな……生命探知でも見つからないけど」
百鬼夜行のことを思い浮かべるミズーリ。目をピカァンと光らせる。
「違う違う。あとそんなとこで魔法を無駄使いしないでよ」
「えへへ、つい」
「……ここは『ひゃっきん繁華街』。ひゃっきんよ、ひゃっきん。鬼はいないわ」
「でもここに」
そう言って頭上に見える万国旗のようなものを指さすミズーリ。
古そうな字体で、ひ・ゃ・っ・き ・ 繁・華・街とある。
「……『ん』の文字がこの前の大風で取れたの。それで管理が杜撰だから、直すのも面倒くさくなったらしく」
鴉羽の話によると、ここは「
そして今ではここでなにかいい商品があると、都市圏の新聞にそれが大大と載るくらいに繁盛しているものの、宣伝も宣伝でイイカゲンなもので、「百均繁華街」と打ち込まれることが多いという。
だから通称、例の百均。
「……それでなんやかんやあって放置、ねー」
「そう。なんやかんや。気にしたら負け。さ、入ろ。中身はいいとこよ。中身は」
そう言って、二人は百均繁華街に入っていった。……間違えた、百金繁華街だ。
「おいしーい♪ねぇねぇこれ一口食べてみて!はいあーん」
「ちょまっへ、いまくひににくはいっへるっへ……ごくん……はぁ。」
ベンチに座る二人。鴉羽はミズーリのクレープ握る右手を抑えながら口に入っているものを呑み込み、緑茶を三割ほど飲んで口の中を整えた。
「はい、あーん」
「あーん」
遠慮なくがぶりと真ん中のいちごに噛み付く鴉羽。
「わぁ強欲♪」
「むごっ……そりゃ遠慮しないよ、だって蜂蜜入りなんだから」
自分のペットでも見るかのような、うっとりした目で半分くらい欠けたクレープを見た。ミズーリもそれに口を運び、鴉羽の方を満足そうに見る。
「ふふ、素直でよろしい♪」
「……ふん。やっぱクレープなんかより焼き鳥がいい」
そう言ってそっぽを向く鴉羽。
「それじゃあ次はどこ行こっか」
「……んー、特に決めてないかな。電車乗ってみる?」
「いいけど、お金、まだどれくらい残ってる?」
「んー、蜂蜜クレープ十個分くらい」
「……例えがアレだけど、そうね。電車乗れなくないけど、計画無しだとちょっと難しそうね」
「お姉ちゃん」
ミズーリの手をぐいっと引っ張る鴉羽。
「ん?なぁに」
「街ぶら、しよ」
そう言いながら靴で地面のタイルをなぞる鴉羽。ちょっと物足りなそうな顔をしていた。
靴は新品で、鬼なら山道歩いてもそこまで靴を汚さない(元々靴なしの鬼も多くいた)はずだが、それでも人里に入る時にはミズーリに頼んで、浄化魔法を使わせてもらった。
ヘアピンもお出かけ仕様で、過去にミズーリがあげた誕生日プレゼントをつけている。
さらに服もいつもと違い、ミズーリ好みだ。随分前のお出かけの時にショッピングモールで見かけて、ミズーリが「鴉羽ちゃん、あれ着たら絶対似合う〜♡」と目を輝かせていた。それをバッチリ覚えていた鴉羽だった。その場でも嫌がったし、普段なら「そんなの似合わないし、もごもごするし……」と言い訳を並べるのだが……。
──今日を余程楽しみにしていたのね。
ミズーリは心の中で、自然と湧いてきた温かいものを握りしめた。「それなら、これも不要ね」と自分しか聞こえない音量で囁き、そっとバッグを撫でた。
「んー、街ぶらね。どういうとこがいいの?」
「あっちの歩道をずっと真っ直ぐ進む、とか」
そう言って適当に繁華街の先を指さす鴉羽。とにかくなにかしたい、という顔をしている。
「いいわね、そうしましょ」
立ち上がって、思い立ったが吉日とばかりに鴉羽の手を取って駆け出すミズーリ。
「ちょっと、なにしてんの〜っ!!」と叫ぶ鴉羽だが、ミズーリはこれが正解だと知っている。たまには強引な方がいい。特にこういう時の鴉羽は、ちょっとした牽引が必要なのだ────。
ミズーリはしばらくの間、昔のことを思い出していた。
「……混んでいるね」
「うん……ちょっとミスっちゃったね。鴉羽ちゃん、手、ちゃんと繋いでてね」
「わぁってる。言われなくとも……うわっ」
鴉羽がテキトーに言った通りに、道なりに進んだ二人は、いつの間に駅の中にやってきていた。駅の中は広く、○○線の表示が並ぶ先に、大きなショッピングモールと、広場と、駐車場まである上はガラス張りの高い天井で、時計塔も遠くにそびえ立っているのが見える。街ぶらするには、これ以上にない、いい場所だ。
ただ残念なところは、そう、人が多すぎるのだ。ミズーリ曰く、エルフもハーフエルフも結構いるそうだが、今はそんなことどうでもいい。はぐれてしまっては、連絡手段もないからバラバラになって帰るしかなくなる。
オマケにあちこちで冬の限定購買をやっているところも多く、駅の中にでも出店が並んでいた。当然、人も多くなる。
そして何度も体当を食らって、二人はよれよれになっていた。ふらつきそうになりながらも腰掛ける所を探すが、見つからない。どこも家族が座っているか、カップルが座っているか、おじいさんが一人で横たわって占領している。
「……どうしよ……これじゃあ、まわれないよ」
「中入ろ。ショッピングモールのなか……うわっ!?」
そんな時。
遠くでカランカランと鐘が鳴って、『焼きたての限定パン!あの伝説のはちみつパンが焼き上がりましたぁああ!!今しか売ってませんよぉーー!!さぁあいらっしゃい、いらっしゃい!!』と聞こえてきて、人々の動きが変わった。怒涛のように流れ込んでくる人たち。もはや手を繋いではいられず、思わず手を離してしまう二人。
そして鴉羽は後悔した。
集合場所を聞いていない。どうしよう。待ち合わせは、基本的にミズーリの家の前。他のところでは洋服屋からトイレまで基本的にミズーリにくっついていくので、待ち合わせを考えたこともなかった。
徐々に遠くなっていくミズーリの姿を何とか手でつかもうとするが、ついに向かってくる「じゃまだぁ、どけぃ!!」「邪魔よ!」という声にびっくりして怖気ついてしまい、大人しく流されるままに流れて行った。
そして気がつくと、知らないところにいた。駅の中なのは間違いない。人も多い。向かってきた方向も、分からない。どこも似たりよったりで、わかりにくい。
体力もそろそろ限界だった。いや、本当ならそこまで疲れる道のりじゃないはず。鬼だ。しかもその中でも、鴉羽は強い。だけど。
彼女は、精神的に疲れていた。
カフェのお持ち帰りの売店コーナーに寄って、そのそばの壁にぐったりと寄りかかった。
服を見る。
来た時の、薄ピンクのベレー帽に、中は丸シャツで外は白いフリルのリボンが飾られたもこもこのセーター、下は黒と薄ピンクのチェックのスカートに暖かロングタイツ、靴はピカピカの白い厚底ふわふわブーツという格好。
(ミズーリの方が似合う格好だ、と鴉羽は思っている。自分に似合うはずもない。今日は、仕方なく……。)
しかし、それは台無しになってしまっていた。誰かにぶつかった時にこぼされたのか、胸元にコーヒーかなにかの茶色いシミが垂れていた。ベレー帽も気づいたら無く、途中で踏まれて靴も汚れていた。
だから、精神的に疲れていた。
せっかくのお出かけだったはず。
ミズーリと一緒に、楽しくお出かけ。
それなのに。
それなのに。
「……お姉ちゃんとはぐれるし。……服も汚れるし」
だが、彼女は大声で騒がなかった。助けを呼ばなかった。
どうやら心の中に、誰かの、一言が残っているようだった。
──……には……が……よ───。
歯を食いしばった。
「お姉ちゃん……まってて!」
向かってきたはずの方向に向かって、鴉羽は駆け出した。
「……はあ……はあ……お姉っ……ちゃん」
両膝に手をついて、息継ぎをする鴉羽。限界だった。
向かった場所が、違かった。方向音痴では、決してない。方向音痴は、ミズーリのことを言う。
ただ、頭が回らなかった。闇雲に探し回った。
今は、ただ広い駅が鬱陶しかった。
外はもう暗い。イルミネーションがぼんやりと商店街を照らす。楽しげな音楽が流れている。クリスマスの準備を始めているお店もある。シャッターを締め始めているお店もあった。
その外れの、居酒屋の煙汚い壁に、鴉羽は力無く寄りかかっていた。あちこちを走り回って、お姉ちゃんはどこ。ミズーリはどこ。こんな女の子は知りませんか。と、聞いて回った。
何度も転んで服を汚し、せっかくのオシャレはもうない。
じわじわと、右の額に、角が浮かび上がった。
────ガラガラッ。
「……お姉ちゃん!?」
顔を上げる鴉羽。左を向く。
ちょうど、居酒屋から、酔っ払って肥えたおじさんが五六人、躍り出た。耳に刺さるような、豪快で不快な笑い声。
「……じゃないんだ」
崩壊しそうになって、しゃがみこむ鴉羽。
人影がぞろぞろと寄ってくるのが、地面を見てわかった。
「あれぇええ、誰だぁあ……?ヒック……」
「おうおうおう、可愛ええ娘がおるねぇ。オジサンと飲まねぇかいい?」
「やめとけよ、お前みたいなオッサンを好くわけねぇだろガハハハっ」
「……っ」
思わず身を引いて、少し涙を浮かべた。
そうだ。お姉ちゃん。お姉ちゃんを探さないと。
なんとか、自分を奮い立たせる鴉羽。
頭の中に、ミズーリの顔が思い浮かんだ。
「ちょっと来なぁ」と毛むくじゃらのまんじゅうのような手を伸ばしてくるオジサン。
一息吸って、気持ちを落ち着かせる。そして、彼の手をパシッとはたいて、横にズレた。そのまま逃げよう。
「……!?」
しかし意外と行動も暴動も切り替えが早い男たち。一緒になって「おおぁ!?」「ぶち殺すぞ」「捕まえろぁ」と舞いながら追っかけてきた。
髪を、掴んできた。
と、同時に。
鴉羽のコンディションはひっくり返って、良くなっていた。
正確には、イラついていたのだ。
次の一瞬。オジサンの懐に潜り込み、
「……っ?」
オジサンは訳も分からず、よろけて倒れてしまった。それから床にへばりついたままクカァと鼾かいて寝てしまった。
「何!?」と目をぱちくりさせる他の男たち。そのまた次の一瞬には全員、コンクリートの地面の上で寝ていた。
「……ごめんなさい」
鴉羽は右手の人差し指と中指の二本指をたてて、後ろで眠っているオジサンたちを寂しげにみた。
───急所。
急所を、ついたのだ。
さすがに、殺す訳にはいかないので、突っつけば眠る急所をついた。
「……っ」
それでもなんだか罪悪感を覚える鴉羽。右手を左手で抑えて、胸の前で祈るポーズをする。
「……お姉ちゃん」
駆け出す。
そして、駅に戻ってきた。
人は、ほとんど誰もいなかった。
それもそのはず。深夜が、近いのだから。
時計塔の下のベンチに、鴉羽は腰をかけた。
「……お姉ちゃん」
早く、帰りたい。
お姉ちゃんと一緒に帰りたい。
帰って、暖かいお湯に浸りたい。
嫌な気持ちを流してしまいたい。
でも。
一人で帰ってもいいけど、もしかしたら、ミズーリはまだ探してくれているかもしれない。
俯いたまま、鴉羽は震えていた。
「……寂しいよ」
目を瞑った。
まぶたの裏に、温かい記憶が流れていく。
鴉羽はしばらくの間、昔のことを思い出していた。
昔、昔(六年前)。
人里に、黒鬼の子と、エルフの子がいました。
二人は出会って、すぐに仲良くなりました。
違う種族でも、嫌いになったりせず、楽しく遊びました。
黒鬼の子は頑固で、素直じゃなく、エルフの子はのんびりしていて、人当たりがいい子でした。
そんなある日、黒鬼の子は森の中で迷子になりました。
黒鬼の子は、泣きました。小声で泣きました。
なぜ、大声をあげないのでしょう。
それは、エルフの子に言われたからです。
「森の中にはね、沢山のエルフが寝ているよ」と。
だから、大声をあげないのです。
大声を出すと、エルフたちを起こしてしまうかもしれない。
黒鬼の子は素直じゃないけど、いい子でした。
やがて、夜になりました。
誰も、迎えの来てくれません。黒鬼の子は、木の下で丸まりました。
夜の森が、怖かったのです。
周りからきこえる、色んな音。クークー。フクロウの鳴き声。ジリジリ。虫の歌声。
黒鬼の子は、寂しいよ、と呟きました。
すると突然─────。
「……!」
はっと目を開ける鴉羽。なにかの、音が聞こえる。……音楽?
ハープ。トロンボーン。鉄琴。分からない音も、沢山。
なんだか、聞いていると温かくなる音楽。それでいて、神聖ななにかに導かれるような気持ち。それから、懐かしい気もする。
周りを見渡す。誰も気づいていない。もしかして、自分宛?ということは。そもそもそんなことができるのは。
「……お姉ちゃん?……あれは!」
遠くから、ふわっと光が浮遊してくるのが見えた。ふたつの、人影を象った光。鴉羽のそばにやってくると、光は次第に弱くなっていき、中から───。
「お姉ちゃん!……と、あっ朝の!」
鴉羽の目の前に、二人の少女が立っていた。一人は、大好きなお姉ちゃん。そしてもうひとりは───朝、ミズーリが手を振って、ふり返してくれた、ハーフエルフの女の子だった。
彼女は鴉羽を見ると、えへへと笑った。まさかこんな小さい子だったなんて。とからかって言う。見つかってよかったね、お姉ちゃん、とミズーリの肩をぽんと叩いた。
それからどこかへ消えていった。同時に、遠くで光っていた無数のひかりも消えていった。
「みぃつけた」
お礼もいえずに去っていかれて、ぼうとしている鴉羽の頭を、ミズーリが優しく撫でてあげる。
「……ありがとう」
「それは、ほかのエルフたちに言ってね」
ハーフエルフを含む、全てのエルフ。
彼ら彼女らは、迷子を助ける習性があった。ほかの種族の子が森などに迷い込むと、ひとりが見つけて自持ちの楽器を吹き始める。それを聞いて、近くのエルフがそれに続く。次々とそれは伝わっていき、やがて繋がりを見つける。
繋がりの相手がエルフ以外なら、光で導き、エルフなら、音楽の旋律で導く。
そうやって昔からの習性が、エルフにはあった。
───そう、これだ。
鴉羽は、思い出す。昔もこうやって、森の中から助け出された覚えがある。その時も、どこかのエルフと一緒に迎えに来たっけ。
とにかく、今は感謝だ。
出会いに感謝。
繋がりに、感謝。
「……うん。───ありがと」
もう姿も見えなくなったエルフたちの後を目で追うように、鴉羽はそう呟いた。
全身に、なにか温かいものが流れた。
ミズーリは鴉羽のそばに座った。
「帰ったら、一緒にお風呂入ろうね」
バッグからトイレットペーパーを取り出し、多めにちぎって鴉羽の鼻に当てる。「はい、鼻チーンして」と言う。
「……子供じゃないんだから……ふーっ」
口でそう言いながら、その通りにする鴉羽。
「もう、素直じゃないなぁ───あ、服も洗おうね」
「それはお願い」
結局、使っちゃった。
ミズーリはポンポンと、トートバッグを叩いた。中には、トイレットペーパーと、それからスポンジで包まれた、オカリナがひとつ入っている。
ミズーリは方向音痴。
鴉羽は迷子になりがち。
時と場合によっては使うこともあるので、出かける時の常備品となっている。
「鴉羽ちゃん、はい」
「なにこれ」
「買っておいたんだー、はちみつパン!最後の一個だったんだよ、危なかったよぉ」
「なっ、人が泣きそーになっていた時にぃっ!!」
「でも嬉しいでしょ」
「……うん、嬉しい。……あ、服、浄化してほしいんだけど……別に今がいいわけじゃないよ?」
「はいはい、今がいいのね」
「……ありがとう」
ベレー帽は無くしたけど、それだけだ。服もすぐ綺麗になったし、後で洗い直せる。憎きはちみつパンも買えた。
「……お出かけ、どうだった?」
「楽しかった」
「良かった」
「……お姉ちゃんは?」
「楽しかった!」
二人の少女の、明るい笑い声。
更けていく夜。
まんまるの月が、帰り道をいつまでも照らしていた。
森の中。女神像の上。一人の少女が、黙ったまま、遠くの月明かりを見つめていた。
「……お?」
近くを通る足音。その行方を探るようにして、音の源をながめた。
「────楽しいことに、なりそうね」
そういうと、パッと消えて、花びらと蝶を深夜の森に残した。
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