第10話 特訓!

 ノエルとマデリーンが不在の間に、両親たちは今後の方針を話し合っていたらしい。両親やチェスター夫妻の様子はすっかり元通りで、マデリーンが感じた小さな胸騒ぎは、きっと気のせいだったのだろう。

 結果、週に三度ほどチェスターが指導に来てくれることになった。


「……で、理論はわかったかな? 今日はこれでおしまい。おつかれさま」

「あ、ありがとうございました……」


 みっちり座学をした後は、実戦が待っている。

 マデリーンは本を閉じた。脳が、全力疾走した後のように疲弊している。


 急いで飲めるように、ケイトが温めの紅茶を用意してくれていた。一杯だけの休息だ。これが何よりも美味しい。

 紅茶を一気に飲み干すと、マデリーンはよろりと立ち上がった。令嬢としてはあるまじき振る舞いだが、そんな些末なことは気にしていられない。チェスターやノエルの前ではあるが、もう取り繕う必要はない。



「ありがとう、ケイト……」

「いえ、お嬢様……気をつけてくださいね」

「ええ。大丈夫よ」



 小さく励ましてくれたケイトに、マデリーンは答える。

 ケイトは、心配そうにマデリーンを見つめていた。そんなに心配しなくても、と思わなくもないが――何度も倒れてケイトには迷惑をかけているから、仕方のないことかもしれない。

 マデリーン自身、口では大丈夫と言えたが、本当のところ大丈夫な自信がなかった。


 チェスターは、マデリーンの限界ぎりぎりを見極めるのがとても上手だった。さすが賢者といわれるだけのことはある。


(吐きそう……)


 与えられる情報量が多すぎる。

 若輩者のマデリーンが一度に脳内処理できる筈もなく、ただ一方的に詰め込まれては、何とか飲み込んでいる状態だ。


(気持ちを切り替えなきゃ)


 マデリーンは、深呼吸を繰り返した。

 今日学んだことは、まず横に置いといて。


 一度、頭を空にするのだ。

 そうでなければ、実技に集中できない。思考の切り替えが何よりも大切だった。


「今日は何をしますか?」

「んー? そうだね……ま、外に行ってから決めよう」


 マデリーンがたずねると、チェスターはスッと目を細めた。

 

 何か嫌な予感がする、とマデリーンは内心警戒を強めた。

 これは地味にきつい事を課してくる時の顔だ、と――まだ付き合いは浅いが、既にマデリーンは痛感していた。


 チェスターの指導は、さすがに的確で丁寧だった。

 制御できず暴走してしまうと大惨事にも繋がるため、魔法の練り上げ方や制御の仕方を、まずは徹底的に叩き込まれた。

 厳しい訓練のおかげで、マデリーンは初級の水魔法は完璧に習得することができているのだが――あまり過程は思い出したくない。


 語弊ではなく、吐くまで訓練は続けられた。


 今更、彼らの前で格好つける必要がなくなった理由も、そこにある。あのような醜態を晒してしまうなんて、と自己嫌悪に陥ったものだが、チェスターやノエルの態度は全く変わらなかった。


「いい? 前回も、集中の仕方は良かったよ。はじけ飛びそうなら、無理をせず魔法を解除すること。力不足なのに無茶をしようとすると、暴走するからね」

「はい!」


 チェスターとマデリーン、ノエルは連れ立って庭園へと移動した。晴れた庭園は緑も眩しく、今日は風もない。練習には良い日だ。


 はい、とチェスターから杖を渡され、マデリーンは受け取った。

 杖がなくても魔法は使うことはできるが、杖を介する方がコツを掴みやすい。チェスターはそう言いながら、お古の杖をマデリーンにくれた。

 たくさん魔法が扱えるようになったら、マデリーンに合う杖をプレゼントしてくれるらしい。


「じゃあ、今日はこの水を全部使おうか」


 チェスターはニッコリと微笑む。マデリーンの顔は引きつった。

 この水、とチェスターが指をさしたのは、大きな噴水である。当然、中にはたっぷりと水が満たされている。


 マデリーンの何倍もの重量がある、水。


「ぜ……全部ですか?」

「そう、全部。浮かせて、維持してみて。ノエルはこっち」


 簡単でしょう、と軽く言いながら、チェスターはノエルにも指示を出しに行った。

 距離があるので会話は聞こえないが、ノエルも顔色が悪い。悪いどころか、土気色だ。きっとノエルも、無茶なことを言われているに違いない。


(ぜんぶ……全部?)


 動揺してはいけない。


 マデリーンは深呼吸を繰り返した。この前も、動揺してしまったから水は散じてしてしまったのだから。同じ失敗は、二度と繰り返したくない。気持ちだけは。


 覚えたての呪文を、口の中で小さく唱える。体中の気が、ぶわりと浮遊するような感覚があった。


(今ね……!)


 マデリーンが呪文を唱え終わると、噴水の水はキラキラと空中に踊り始めた。


「魔法はイメージが大切だよ。ほら、ひとつの大きな塊にしてごらん? 集中して」


 いつのまにか、チェスターが隣に立っていた。

 チェスターの囁く声は、マデリーンの頭の中に直接響く。じわりと水が染みわたるような、何ともいえない不思議な感覚がある。


「……あつまる」


 小さい水の球が、ぷわりぷわりとくっついていく。弾みながら大きくなっていくと、何だか生き物のように見えて、可愛くなってきた。


「そう、いい調子……っと」


 マデリーンよりも大きな水の球が、宙にぷかりと浮かんでいた。意識して、綺麗な球体を作る。噴水は、半分ほどに水かさを減らしている。


「そろそろ重たくなってきたかな? ギリギリまで、そのまま維持して」


 マデリーンはこくりと頷いた。


 チェスターは一切、子供たちの手助けをしない。本当に危ない時は助けるから、と言われているが、今まで介入してきたことはなかった。


「お……っ」


 重い。物理的に重い。

 絶対に気のせいじゃない。


「う……!」


 杖を持つ手が、ぶるぶると震えてきた。

 同時に、浮かぶ水の球もゆらりと形を崩し始める。ぐにぐにと不安げに形を変える水は、マデリーンの心を反映しているのだとチェスターは言った。


「はい、もう少し加算~頑張れマデリーン!」


 チェスターはのんびり言いながら、素早く呪文を紡ぐ。

 チェスターは自由自在に水を操ることができる。噴水の水は軽々と動き始め、宙に浮かぶ水球に次々と加わっていった。見れば、噴水は底が露わになっている。


(!!!)


 声にならない叫びが、マデリーンの胸に木霊する。今にも腕が千切れそうだ。

 「ノエルにもゴーレム追加してこよっかな」と聞こえた気がするが、マデリーンに反応できる余裕はない。歯を食いしばって、何とか持ち堪える。


 マデリーンの体感では、五分くらいは耐えたと思うのだが。


 ばちんっと派手な音を立てて水の球は崩れ、噴水へと落下してしまった。

 落下の勢いで、水は四方八方に盛大に飛び散った。マデリーンも全身で水を浴びる羽目になった。


「つめた……」

「やあ、お疲れさま。派手に濡れたね」


 はあはあ肩で息をするマデリーンの頭を、チェスターは撫でる。何処から取り出したのか、タオルでマデリーンの体をくるむ。

 ちゃっかり防御していたのか、同じ距離にいた筈のチェスターは一切衣服を濡らしていない。


「これが今の君の限界。僕がいない時は魔法禁止だけど、イメージトレーニングは毎日するように。次はできる筈だよ」

「はい……」


 マデリーンは息を整えながら、やっとのことで頷いたのだった。


「……お、お疲れ、マデリーン……」

「ノエルも……ノエル?」

「うん、僕だよ……けほっ」


 何がどうなったのか見ていないからわからないが、土まみれのノエルがそこに居た。肩で息をしている―ーということは、ノエルもぎりぎりを攻められたようだ。


 鍛錬を課すと決めたからには、ぎっちり厳しく指導してくる。賢者チェスターの柔和に見える笑顔が、今のマデリーンには空恐ろしく見えた。

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