第9話 ノエル=クロウリー
二人でたわいもない話をした後、ノエルはゆったりと伸びをした。
あれからずいぶんと時間が経っているように思うが、チェスターが訪れる気配がない。
「それにしても、父さんは遅いな……つもる話でもあるのかもしれないね。ちょっと本を見てみる?」
「うん」
マデリーンは素直に頷いた。お喋りをするのも楽しいけれど、実は本の中身にも興味があった。
「えーと、まずはこれ」
はい、と渡された本は分厚く、ずしりとした重みがあった。表紙は擦り切れていて、文字がかすんでしまっている。
「……この本は? 初めて見るわ」
「魔法の基礎知識が書かれている本だよ。まずここから始めるといい、って父さんが。父さんを待っていたら時間がかかりそうだから、今日は僕が話をするね」
「お願いします!」
マデリーンは改めて、背筋を伸ばした。ノエルは微笑むと、椅子から立ち上がった。
「マデリーンは、水属性だったね」
ノエルは、マデリーンに語って聞かせた。聖女の話と、その役割を。
「それで……この世界には、火風水土の属性がある。同じ系統の資質を持つ者が続くと、世界のバランスを欠いてしまうと考えられていてね」
公にはされていないが、基本的な選考基準になっている、という。だから推測はある程度できるらしい。
マデリーンの年に選ばれるのは、水の聖女であるという。
「つまり、君は立派な聖女候補ってことだね」
マデリーンは愕然としていた。
さっそく知らない事だらけで、頭が追いつかない。重たいもので殴られたような衝撃があった。
「……初めて聞いたわ、そんな……ミアお姉さまの年は?」
「火属性。つまり、君ら姉妹は運良く周期に当てはまる」
静かに、ノエルは言い切った。
嘘だと思いたかったが、ノエルがマデリーンに嘘を言う理由がない。頭がぐるぐるする。
「でも、これも確実じゃないよ。聖属性が抜きんでている女の子がいれば、そちらが優先されるからさ」
「そうなのね」
マデリーンは少しホッとしたが、それでも油断ならない。他に優れた令嬢が居れば、などという不確実な要素に賭ける訳にもいかない。
「それに、同じ家の娘を二人とも神殿送りに……って訳にもいかないだろうから。でも、前例はある」
「前例?」
「君の母上だよ。一人っ子でしょう? それでも聖女に選ばれた」
「そっか……そうね」
マデリーンは密かに唇を噛んだ。
これは、密かにお姉さまに教えて差し上げなくては。
(火の魔法が……誰よりも秀でていたら、選ばれる可能性があるって事かしら)
もしミアの年代が、みんな聖属性の強さが同じくらいであれば。
ミアが選ばれる事はマデリーンとしては誇らしいのだけれど、ミア本人は絶対に嫌がる。回避する事ができるのなら、逃げ道は作っておいた方が良い。
しかし、早くも有益な情報を得ることができた。ノエルには感謝しなければならない。
姉に伝えて、ちゃんと作戦を練ろう。
ノエルは困っていた。
話をすればするほど、マデリーンの顔は難しくなっていく。
何故だろう、とノエルは不思議がった。聖女に選ばれることは喜ばしいことで、どうにか自分の娘が選ばれようとして、密かに細工を依頼する者も多いというのに。
喜ぶどころか青ざめるマデリーンを見て、ノエルは首を捻っていた。
何故マデリーンは喜ばないのだろうか――いや、彼女は真面目だと聞いたから、聖女の重圧を想像しては不安になっているだけかもしれない。
(ひょっとして……お姉さんかな? 意識してるのかも)
姉が先に選ばれてしまえば、自分が選ばれる可能性が低くなることを危惧しているのかもしれない。
そう最初は思ったのだが、どうも違う。何を言っても、マデリーンの反応は芳しくない。
「……マデリーン、大丈夫?」
すっかり表情を硬くした彼女のことが、心底心配になってきた。
ノエルが彼女の顔を覗き込むと、マデリーンはハッと顔を上げた。今まさに、現実世界に引き戻されたように。
「……だい、大丈夫。ちょっと驚いただけ」
マデリーンは気丈にも微笑むが、ノエルは誤魔化されない。驚いたと言うが、それにしてはいささか反応が強すぎる。
「そう? 顔色がよくないよ。……今日はこれくらいにしようか。疲れただろ?」
優しい言葉で慰めると、マデリーンはこくりと頷いた。
これは一体どういう事だ、とノエルの好奇心が疼いている。マデリーンが何を考えているのか、さっぱりわからない。
ノエルは人一倍、探求心が強かった。
特に、未知のものに出会うと、どうにか解き明かそうとする癖があった。それが人でも物でも、熱意は同じ。
(マデリーンって、面白いな……)
人形のように綺麗な女の子。
ちゃんとした家の、ちゃんとした令嬢だ。
それなのに、想像していた反応とは違う表情を見せた、不思議な子。
知りたい、と素直に思った。
もっとマデリーンの事が知りたい。
閉じられた世界の中で、新しい輝きを見つけた高揚感でノエルの胸はひそかに躍る。
けれど今はまだ、深く追求することは難しいだろう。踏み込むのは彼女の信頼を得てから、だ。
そうしなければ、繋ごうとしている絆も呆気なく千切れてしまうだろう。
「ありがとう、ノエル。お父様たちのところへ戻りましょう」
ノエルとマデリーンは、書斎を後にした。廊下を歩きながら、ぽつりぽつり言葉を交わす。
「もっと勉強しなくちゃ……」
「そうだね。でもマデリーン、焦らないでね」
「ええ」
すっかり元通りのように見せているが、マデリーンの表情は少し暗い。
いつのまにか、空は暗くなり始めていた。
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