第8話 勇者の娘・賢者の息子

「……君は綺麗だね」

「え」


 ノエルがしみじみと言うので、マデリーンはドキリとした。本当にそう思ってくれているのだろう、と――会って間もない筈なのに、何故かそう感じる。


 マデリーンは目を伏せた。恥ずかしくて、ノエルの目が見られない。


「お姉さまの方が、ずっと綺麗よ」


 マデリーンは、ここから走り去ってしまいたくなった。


 照れ隠しにしろ、もう少し言い方があったろうに。どうしてこんな可愛げのない事を言ってしまうのだろう。言うに事欠いて、これか。


 マデリーンの葛藤をよそに、ノエルは不思議そうに首を捻った。


「そうなの?」

「そうなの」

「へえ」


 ノエルとマデリーンは、再び歩き始めた。


「お姉さんって、どんな人?」

「素敵な人よ。いつも笑顔で、守ってくれて、とても強くて素敵なの。私、お姉さまの為なら何でもするわ」

「そっか……」


 マデリーンは力説する。

 話の流れで聞いてはみたものの、ノエルにあまり興味はなさそうだった。もっとミアの魅力を語るべきだろうか。


「ノエルは、ひとりっこ?」

「ううん、四人兄弟の四番目だよ。上は全部、兄ばっかり」

「わあ、賑やかそうね」

「賑やか通りこして、うるさくてたまんないよ……でも、良い兄さん達だよ」


 ノエルは呆れたように言うが、屈託のない笑顔だった。ノエルの家も、きっと兄弟仲が良いのだろう。父母の雰囲気から、家族仲がわかるような気がする。


 二人はようやく書斎までたどり着いた。マデリーンは、古びたドアノブに手をかけた。


「ここ?」

「うん」


 ぎい、と重たい音をたてて、ドアが開かれる。長く使われていなかった部屋らしいが、昨日までに丁寧に掃除はしておいた。


 ノエルは机の上に本を置くと、手早く仕分け始めた。どれも使い込まれていて、表紙は色あせている。

 きっと長く大切にされてきたのだろうな、とマデリーンは思った。


「これは君の、これが僕の分」

「ありがとう、ノエル。……初めて見るものばかりだわ。どうしよう、ついていけなかったら……」

「わからなくっても大丈夫だよ、僕もいるから。それに今日は顔合わせみたいなものだから、勉強は次からってことで。お互いの話でもしない?」

「そうね!」


 それは良い考えだ。何せ、初めての友人なのだから。


 マデリーンはお茶の準備をしながら、何を話そうか頭を巡らせた。

 しかし、語る内容というと――ミアの事くらいしか思いつかない。対人関係の経験が不足しているマデリーンでも、さすがに――会ったばかりの友人に語って聞かせることではない気がする。


「私、ノエルの家の話が聞きたいわ」


 喋る側はあまり得意ではないし、知りたいことが沢山ある。マデリーンがねだると、ノエルは穏やかに受け入れてくれた。


 これが年上の余裕というやつだろうか。ノエルは、やけに落ち着いている――ミアに比べて、だけれど。


「うん? そうだね……一番上の兄は、父の手伝いをしてる。二番目と三番目の兄は、母様に似てて武術の道に進んだ。僕は、まだまだ勉強中ってとこ」

「一緒に暮らしてるの?」


 質問をすると、ノエルは頷いた。


「うん。僕の家は、フェルタの森の近くにあるんだ。結界が維持できているか、見張る役割を与えられているからね、なかなか離れられなくて」


 だから、ノエルの兄達は今回留守番しているのだという。ノエルは悪戯っぽく笑ってみせた。


「残念がってたよ。あの勇者ルーファスに会える機会なんて、そうそうないからさ」

「勇者……あまり想像できないわ。あのお父様が、勇者なのよね……」

「ふふ」


 まだ耳が慣れないのか、やっぱり不思議な感じがする。お話の中の勇者というものは勇敢で、もっと格好いいもののようだった気がするのだが。


(お父様のイメージとはちょっと……)


 確かに父は鍛錬を今もなお欠かさず続けていて、何かあれば真っ先に先陣を切るタイプではある。

 自慢の父ではあるが、きりっと凛々しい顔というよりも、笑顔の方がまず浮かぶから困る。


 そういえば。


「ノエルのお父様は……賢者様よね。ノエルも魔法が使えるの?」


 聞くと、ノエルは困ったように頭を掻いた。


「うん。土属性だから、地味だけどね」


 言葉の端々には、恥ずかしさのようなものを感じる。何故そんな風に言うのだろう、とマデリーンは首を傾げた。


「え? 全然地味じゃないわ、凄いじゃないの。土って大事よ」


 マデリーンが素直に感想を伝えると、ノエルは面食らった。目をぱちぱちと不思議そうに瞬かせている。


「……そう思う?」

「思うわ。土がなかったら食べ物も育たないから、皆が困るもの」


 真剣にそう思っている。火も水も土も風も、どれもが世界に不可欠なものだ。それこそ、土は最も重要視されて良いとマデリーンは思う。


 不意打ちだったのか、ノエルは噴き出した。


「あはは、それもそうだね!」


 けらけらと声をあげて笑うので、マデリーンは恥ずかしくなってきた。答えを間違えたのだろうか。


「……ごめんなさい、変なことを言ったのかも」

「ううん、面白いなって。確かに、前向きに考えるべきだね」


 吹っ切れたような彼の笑顔は、空のように晴れやかだった。

 ひとしきり笑って満足したのか、ノエルは目じりに浮かんだ涙を指でぬぐった。


「今度は、マデリーンの話を聞かせて? お姉さんが好きなんだね?」

「ええ! ミアお姉さまのことが大好き。ノエルと同じ年だっていうけど……どうしてかしら、ノエルの方が大人っぽく見えるわ」

「僕? 大人っぽいかな? ありがとう。お姉さんは、どんな性格? 君に似てる?」

「全然ちがうわ。お姉さまは……」


 いかにミアが素晴らしいか、マデリーンは長時間にわたって熱弁を振るった。こんなに言葉が溢れてくるなんて、と自分でも驚きを隠せない。


「そっか、そんなに元気なお姉さんなら、居なくなると寂しくなるよねえ。僕も、兄さんたちが全員外出して家をあけたら……静かすぎて、逆に怖いかも」

「そうよね!」


 ノエルが同意してくれたので、ミアは嬉しくなった。


 そう、ミアのいない家というものが、少しだけ――ほんの少しだけ怖かったのだ。ミアが欠けた事で、何かが変わってしまうのではないか、という漠然とした不安だ。


 マデリーンは、変わることが怖かった。


 父もいるし、母もいる。ケイト達だって、変わりなくマデリーンに優しい。優しい人々に囲まれているのに、恵まれているのに、怖いだなんて言えなかったけれど。


「お姉さんって寮に入っているの? 普通は……」

「そうね、普通は家から通うわね。ここからは少し遠いから……」


 貴族令嬢は大抵、家から通うのが一般的ではある。ミア一人だけではないだろうが、寮を選ぶ令嬢はごく少数だろう。

 ミアには、馬車で通うことができない個人的な事情があった。


「馬車が苦手なのよ、お姉さま」

「え。そうなの?」

「ええ。馬で通えるのなら、そうしていたでしょうけど」


 昔から酔いやすい体質のせいで、馬車移動はしたがらなかった。ミアが乗馬を覚えてからは、馬車にはディーとマデリーンが、ルーファスとミアは馬で移動するようになったのだけれど。


 マデリーンも一応乗馬はできるが、ミアほど上手くはない。颯爽と駆けまわるミアは自然と風景に溶け込んでいて、まるで女神のように美しかった。


 しかし、さすがに学園に馬で通う令嬢はいないから、と断念したのだった。


「でも、君もきっと通うようになるよね。拠点を移したら……って、そうか。そう簡単にはできないよね」

「そうなのよ」

「ノイマン家は特殊だものね……」


 父と母が結婚した際に、出された条件がひとつあった。竜が住む、フェルタの森を守る事。


 王国は竜を警戒している。

 フェルタの森に隣接するように、ノイマン家はあった。クロウリー家もまた、竜の警戒を命じられた一族である。


「長く家をあけることもできないし。言われてみたら、ちょっと不便かもしれないわね」


 辺境の地にある、ともいえる。

 そんなノイマン家と積極的に交流しようという奇特な貴族はいない。竜を恐れているのか、ノイマン家など歯牙にかけていないのか。


「そうだね。僕らが森を見張っておけば大丈夫だと思うけど……まあ、変に動いて嫌なことを言われるよりは、大人しくしておいた方がいいよ」

「ええ、私もそう思うわ」


 互いに苦労する。

 ノエルとマデリーンは、しみじみと頷きあった。

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