第4話 別れの春

 秋は過ぎ去り、冬を賑やかに過ごし――そうして、別れの春が来る。


 三日三晩嫌だ嫌だとごねていたミアも、流石に逃げ出しはしなかった。

 長期の休みには必ず帰るから、とミアはマデリーンに固く約束をし、馬車に揺られていった。


 出立した日の夜、どうやって眠ったのかマデリーンは覚えていない。

 ただぼんやりと目を閉じて――開けた時には、いつのまにか朝になっていた。


(……お姉さまがいない)


 何故だろう。ひどく心細かった。

 屋敷に変わらず父や母は居るのに、ミアだけが居ない。大切な何かが欠けてしまったようで、そわそわと終始落ち着かなかった。


 昼を過ぎて――二階のバルコニーから、マデリーンは遠く景色を眺めていた。


 この場所で、いつもミアとお茶会を開いていたのに。

 平静を装っていても、どこか動揺している自分がいる。


「お嬢様……」


 背後から、控えめな声がする。


「ケイト」

「お茶はいかがですか? 落ちつきますよ」


 メイドのケイトが、ティーセットを準備してくれていた。


 赤毛とそばかすが愛らしい彼女は、いつもマデリーンの味方だった。

 ミアとも仲が良く、ミアが居なくなってケイトも寂しがっているようだった。ケイトだけではなく、家全体どことなく覇気がない。


 カップに注がれる真っ赤な紅茶はあたたかく揺らめき、良い香りを漂わせている。ケイトが淹れてくれる紅茶が美味しいのはわかっている。

 しかし。


「……今は、いいわ。そんな気になれないの」

「そうですか……いつでもお呼びくださいね」


 ケイトは残念そうにカップを引っ込めると、静かに部屋から下がっていった。


(ごめんね)


 気遣ってくれている、という事はわかる。

 しかし、ケイトには申し訳ないが、今は一人で居たかった。


 春のやわらかな新緑の息吹も、あたたかく香る風も、マデリーンの寂しさを募らせるだけだ。


(……お姉さま……)


 ただ、寂しい。マデリーンの胸に、ぽっかりと穴が開いたようだった。胸に残る穴の形は、くっきりと姉の形をしていた。


 それでもマデリーンは、別れ際に涙は見せなかった。そうしないと、ミアが心配するからだ。勅命であることも忘れて、マデリーンの傍に残ろうとしてくれるだろうから。


 愛する姉の旅立ちを、自分の我儘で引き留めることなどできない。


(どうか、元気でいて欲しい……)


 願うのはそれだけだ。

 それ以外、心配はしていない。ミアなら、何処でも上手くやっていけるだろう。


 ミアは人に好かれるのだ。それは外見の美しさが抜きんでている――という理由も勿論あるが、曲がったことが大嫌いで真っすぐな心を持っているからだ。その眩しさに、すぐ皆も気づくだろう。


(……そうしたら、きっと……)


 美しく華やかなミアは、きっと人々の中心になる。

 マデリーンとは、もう遊んでくれなくなるかもしれない。ミアには変わらずにいて欲しいと願うのは、傲慢だろうか。


 かちゃり、と部屋のドアが開く音がした。またケイトが来たのだろうか、と振り返る。


「お母様……」

「おいで」


 入ってきたのは、母ディーだった。マデリーンは思わず、母のもとへ駆け寄っていく。

 そのまま抱き着くと、ふわりと甘い香りがした。


「マデリーン……大丈夫?」


 悲しげな眼をしていたのだろう。母が気遣うように、マデリーンの肩を抱く。


「……お母様。お姉さまが……いなくて、私……」

「そうね、寂しいわよね~。……ミアなら大丈夫よ、私の娘ですもの」


 ガッツはあるのよ、と母ディーは穏やかに微笑む。「だからそんなに心配しないで」と優しく髪を撫でられ、マデリーンは目を潤ませた。

 こらえきれず零れる涙を、母の細い手が優しく拭ってくれる。


「寂しいと思うけれど、夏には一度戻ってくるからね。私と一緒に待ちましょうね~」

「はい、お母様」


 のんびりとした口調の母と会話をしていると、悲しい気持ちが薄れていく。ディーには不思議な力があるのかもしれない。


「マデリーン、愛しているわ。勿論、ミアもね」


 マデリーンが嬉しそうに小さく頷いたのを見て、ディーも笑みを深めた。ミアもマデリーンも、我が子ながらとても良い子に育ったとしみじみ思う。


 ミアはマデリーンを、マデリーンはミアを、とても大事にしていた。

 仲違いをする兄弟姉妹も多い世で、その稀有な縁は大切に守っていて欲しい。


「そうね、刺繍をしましょうか~。ミアに贈るハンカチを作りましょう~あの子、きっと喜ぶわよ~」


 ミアが喜ぶ姿を頭の中で空想して――マデリーンは笑顔になった。

 ディーはマデリーンの手を取ると、部屋の中へ戻って行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る