第3話 ふたりの姉妹

「いつ聞いても辛気臭い話よね」

「お、お姉さま……そんな身も蓋もない」


 ミアはため息をつきながら、ぱたっと本を閉じた。持ち主のマデリーンは困り顔で、ミアから本を受け取る。


 冒頭に語られているのは、この国の物語だ。民ならだれでも知っている、有名なおとぎばなし。


 しかし、これはただのおとぎ話では終わらない。


 以降、新しい王が即位すると、時を同じくして、聖女の内ひとりを『竜の聖女』と決めて、神殿に捧げるのが慣習となった。

 捧げると言っても、実際に殺される訳ではない。ただ、聖女の力が衰えるまでずっと神殿で暮らすのだ。ひたすら国のため祈りを捧げながら。


 ミアは浮かない顔で、肩を落とした。

 ティーカップの中でゆらりと揺れるお茶を見つめて――好きな紅茶のはずなのに、今日は何だか味気ない。心配ごとがあるからだ。


「……マデリーン」

「はい、お姉さま」

「面倒くさいわ」

「……だ、駄目ですわよ? そんな目で見ないでくださいまし」

「だってー」

「今回ばかりは無理がありますわ。お姉さまの身代わりは、流石に……」

「そうよねえ……マデリーンにもきっと、これ届くわよね……ああ……」


 ミアは嘆息するが、その憂鬱な表情も美しい。

 その物憂げな表情は儚く消えてしまいそうで、きっと誰しも彼女を守りたくなるに違いない。


 マデリーンは、労わるように口元に微笑をうかべた。


「お姉さま、そう気を落とさずに……クッキーはいかがですか?」

「食べるわ! マデリーンの手作りだもの。……あー、美味しい……」

「よかった。お姉さまに褒められるのが私、いちばん嬉しいです」


 もくもくとクッキーを頬張るミアの顔は、もう明るい。姉の様子を見て、マデリーンは安堵の表情を浮かべた。ようやく、自分もティーカップに手を伸ばす。


 秋の空の下、それは切り取られた絵画のような光景だった。

 姉妹は美しかった。何もかもが対照的ではあったが。


 ミアは、母譲りの太陽のような金色の髪とパッチリした緑の目を持ち、顔だちも母に似て優しい。

 マデリーンは、父譲りの夜のような黒の巻き毛に切れ長の青い瞳。そして肝心の顔だちは、強面な父に似ていた。


 清楚で天使のような美しさを持つミアと、鮮烈で悪魔のような美しさを持つマデリーン。


 白薔薇と黒薔薇。


 二人をよく知らない者たちの間では、姉妹はそんな風に評価されているという。

 父母をそっくりそのまま姉妹にうつしたような、四人家族。幸いと言って良い事に、家族の仲はとても良かった。


「聖女候補ねえ……」


 仰々しく届いた封書を、ミアはつまらなさそうにヒラヒラと振っている。自然に破れてどこかに飛んでいってしまえばいいのに。


「あああ、マデリーンのクッキーが食べられない生活なんて……想像しただけで嫌すぎるわ……」


 マデリーンは隣でハラハラしながら姉の様子を見守っているが、見守るだけに留めて口にはしない。

 何せ、今この部屋はミアとマデリーンの二人だけなのだ。誰に見られるわけでもないお茶会は、リラックスムードが漂っている。いま、二人は自由だった。


「……薔薇が綺麗ね」

「そうですわね、お姉さま」


 花瓶に活けられた薔薇は瑞々しく、部屋全体に芳醇な香りを漂わせている。


 珍しい薄荷色の薔薇は、ノイマン家でしか咲かないといわれている貴重な薔薇だった。どうやらその昔、先祖が竜に賜ったらしい。

 本当かどうか怪しい、とミアは半信半疑であるのだが。聖女ひとりの対価として、薔薇一本で釣り合ってたまるか。


 しかし、ミアの愛するマデリーンはその伝説を信じて、丁寧に薔薇の世話に励んでいる。やはり世話をする者の心が伝わるのか、今年の薔薇もとても美しく咲いた。


 この穏やかで優しい時間が、いつまでも続けばいいのに。


「……聖女候補ね……」


 そんな平穏をぶち壊すように届いたのが、この手紙だ。なんて憎たらしい。

 両親や家の者は国からの従者様に接待をしていて忙しいらしいが(そういう慣習らしい)、そんなの二人には知ったこっちゃない。


 マデリーンの表情が曇る。

 憂鬱そうなマデリーンも、ミアにとっては世界一可愛い。


「……形式上の返答は求められておりますが、事実……」

「選択肢ないものね」

「そうですわね……」


 はあ、と互いに深くためいきをつく。

 『聖女』を輩出した家門は、その対価として国から厚遇を受けることができる。選ばれることは家にとって名誉でもあり、けして悪い話ではない。本人以外にとっては。


「……喜んでる人なんているのかしらね、これ」

「それが……喜ばしい事のようですわよ。家門の正統な血筋、という証明にもなるとか。名誉なことらしいですわ」


 かつて『聖女』を輩出してきた家門の娘たちは皆、少なからず聖属性の力を持っていた。

 逆に言えば、聖属性の力を持たぬ娘は、過去に誰一人としていなかった。正当な血筋であれば、発現するはずだからだ。必ず。

 そして、ごく稀ではあるが、平民の娘に聖属性の力があることが露見した時――それはそれは醜い争いが巻き起こるのだ。


「……。まあ、そこは私も完全否定はしないわ……安心した部分も、ちょっとあるもの」

「ええっ!? ミアお姉さま、何か不安を抱えていらっしゃったのです……?」


 ぽろりと零れた本音は、ばっちり聞こえていたらしい。マデリーンは青ざめた。


「違う違う、そう深刻なものじゃないのよ。ほら、私ってあまりお嬢様らしくないから。ちゃんと力が発現するのかなーって、ぼんやりとね」


 軽いことのように、ミアはひらひらと手を振った。


 ミアとマデリーンの父、ルーファスは元・勇者である。そして、ノイマン家の一人娘だったディーは、かつて聖女であった。


 その母が竜に攫われた際に救出に赴き、その功績を認められ、例外的に結婚を許された二人である。

 そんな竜殺しの異名を持つ父は、今や愛妻家としても有名だ。

 父母の絆は岩のように堅牢で、浮気の可能性は無い。砂粒ひとつでさえ、彼らの間には割り込めないだろう。


 ただの、よくある――漠然とした不安感を覚える時が、根っからの楽天家であるミアにもあった。それだけの話だ。


「候補が大勢いる中の一人だけど……あああ、やっていける気がしない……」


 ミアの頭痛の種は、そこにある。

 あまたの正統な令嬢たちの輪に、うまく溶け込めるだろうか。


 正直なところ、ミアは人づきあいが得意な方ではなかった。興味があることといえば、乗馬に木登り、弓術に――と、男勝りなものばかりである。

 いつだったか見た目詐欺だ、と言われた事があるが、それが誰だったのかまでは覚えていない。


「……普通の令嬢って、何を話すのかしら? 木登りなんかはしないわよね?」

「おそらく……」


 うーん、とマデリーンは真剣に考え込んでいる。


 こんな軽口にも真面目につきあってくれるところが、マデリーンの良い所だ。姉としては、もう少し肩の力を抜いても良いのではないかと思う。

 だが、そうなればマデリーンの可愛さに皆が気づいてしまう。となれば、ミアに構ってくれなくなるかもしれない。それは寂しすぎる。

 しかし、狭量だとマデリーンに嫌われたくないし――ああ、さじ加減が難しい。


「……刺繍とかお茶とか……よね」

「ええ、おそらくは」

「……わー、楽しみすぎるわー……」

「……お姉さま、声が死んでますわよ」


 冷静なマデリーンに突っ込まれてしまったが、仕方がないではないか。どれもこれもミアにとっては苦手なものなのだから。はっきり言って苦行である。


「わかってる。……やってやるわ」


 自分がしっかりしないと、マデリーンの評価にまで響くからだ。

 可愛い妹に苦労をさせるくらいなら、自分が切り開いてみせる。ごく普通の令嬢に擬態してみせようではないか。


 ふわりと冷たい風が吹き抜ける。

 木の葉がハラハラと落ちるさまは綺麗だが、どこか物悲しい。


「春から……わたくしたち、離れてしまうのですね」

「……そうね、マデリーン」


 資質があるとされる少女たちは、国が管理する学園に集められ、学業の傍らで己の力を磨くことを義務付けられている。

 普通の――貴族たちが通っている学園と、何ら変わりはない。


 ただ、ひとつだけ変わった事があるとしたら――毎年、学園を『卒業』する時だ。

 卒業する者のうち、ひとりだけが『聖女』として選ばれる。

 同じ『卒業』をする同級生たちの聖なる力はすべて、その選ばれた一人だけに集約される。それ以降は聖属性を失うのだ。


 だから毎年毎年、聖女がひとりは誕生する。

 聖女の役割を命じられた令嬢は、王宮に隣接する神殿へ週に一度赴いて、祈りを捧げる。それ以外に拘束はされないし、結婚も自由だ。名前よりも、ずっと軽い。

 聖女の称号を持つ令嬢には、良い縁談が舞い込むという。王宮へ出入りする騎士団に見初められることもあるらしい。


(いやー、週一回でも面倒だわ……家から遠いのよね~)


 ノイマン家は、王都からかなり離れている。

 馬で通って良いのなら考えなくもないが、馬を乗り回す聖女は前代未聞だろうし、とても民には受け入れられないだろう。

 だから絶対、ミアは聖女になりたくないのだ。外面だけなら取り繕えるだろうが、心身が持たない。


「無難に卒業して、普通に戻ってきたいわ……」


 目下の目標は決まった。

 卒業までの辛抱だ。何てことはない。そこから先の人生の方が、きっとずっと長い筈だから。


「春がくるまで、思いきり遊びましょうね! もちろん、休暇になれば帰ってくるし、手紙だって書くわ」

「はい、お姉さま。私も、たくさん手紙を書きます」


 マデリーンは嬉しそうに笑う。

 マデリーンは、きりっとした顔だちなこともあって笑顔が怖いと噂されている。しかし、ミアに言わせれば皆の目が節穴なだけだ。

 その証拠に、心から穏やかに笑っている時のマデリーンは、こんなにも愛らしい。まるでしなやかな猫のようだ。


「……って、受け入れちゃってるけど……強制招集なのよね、これ。暖炉の火にくべたらまずいかしらね?」

「それは……一応、やめておいた方が良いと思いますわ」


 マデリーンはやんわりと制止する。

 ミアは肩を落とすと、盛大にテーブルに突っ伏した。


「面倒だわ……癒しの力よりも、私は火を極めたいのに」

「素敵ですね。私、お姉さまが火の魔法を使っているところが、とても好きです」


 聖属性だけの力を持っている人間は稀で、たいてい他の属性をあわせ持っていることがほとんどだ。

 ミアもマデリーンも例外ではなかった。十五のミアは強い火属性を持ち、十三のマデリーンは水属性持ちである。


 マデリーンが褒めると、ミアは顔を綻ばせた。春の花のような笑顔だった。


「私も、マデリーンの水魔法が大好き! キラキラして、とても綺麗だもの」

「あっ……ありがとうございます、お姉さま」


 ほんのり頬を染め喜ぶマデリーンが、とても愛おしい。ミアは目を細めた。


 マデリーンが産まれた日の朝を、今でも鮮明に覚えている。


 なんて愛らしい妹。

 何があろうと、マデリーンだけは守り抜くと誓った日。


 辺境と呼ばれるこの地で、二人はいつでも一緒だった。共に自由に、あるがままに育った。


 だから――窮屈な学園生活など、想像するだけでも耐えられそうにない。

 令嬢としての教育をされてこなかった訳ではない。

 一応、ひと通りは教わって、身についている。おそらくは。

 元来の性格がいまいち不真面目な姉の自分に比べ、このマデリーンは真面目で頭がよく、いっぱしの令嬢としても非の打ち所がない自慢の妹だ。同じ教育を受けたはずなのに、この差は一体何だろう。


(生まれるところを間違えたんじゃないかしら、私)


 そう思わなくもないが、そうだとしたらこの可愛い妹と家族ではなかったという話になる。それだけは絶対に嫌だ。


 ミアは妹を溺愛していた。目に入れても痛くないほどに。


「学園で火の魔法も学べますわよ、きっと」

「そうよね、それに賭けるわ……私、聖属性の魔法は苦手なのよね……向いてないと思う」


 ミアは本日何度目かになる、大きな溜息をこぼした。


 特別に力が強いわけではないし、聖女に選ばれるはずもない。

 どちらかといえば、マデリーンだろう。マデリーンは聖魔法まで上手いのだ。母に教えられて、簡単な回復魔法ならお手の物である。さすがは私の妹だ。


 ミアも、魔法自体が嫌いな訳ではない。聖属性は吸収されてスッキリさっぱり手放したい側、というだけで。学園では少数派であろう事は確かだ。


 マデリーンはもじもじと照れながら、控えめに微笑んだ。


「そうでしょうか……私、ミアお姉さまが選ばれたら、とても嬉しいですわ。私のお姉さまは凄いのよ、って……でも……離れてしまうのは、寂しいですけれど」


 マデリーンの語尾が、次第に小さくなる。

 想像だけでしゅんとしてしまった妹を見ると、たまらなく愛しくなってくる。


「……ああ、もうっ! マデリーンってば! 可愛いんだから!」


 がたんと席を立つと、思わずマデリーンに抱きついた。マデリーンは嬉しそうに笑って抱きとめてくれる。

 こうして抱きしめあっていると、例えようもない幸福感に包まれる。


「大好きよ、マデリーン」

「私もです。ミアお姉さま」


 願わくは、ずっと一緒に暮らせたらいい。心からそう願っていた。

 ミアもマデリーンも、互いが居れば幸せだった。

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