5. キモチのユクエ(i)
そもそも天気予報が騒ぎ過ぎなのだ。
一昨日の夜に降り始めた雪は、昨日の朝まで降り続けたけれど、うっすらと地面を覆っただけで昼過ぎには綺麗さっぱり消えてしまっていた。
クリスマスイブの夜に見つけてしまった気持ちは、まだ心の隅っこで燻ったまま、依然としてこれと言った答えは見つけられてはいない。
有川さんとの待ち合わせは、少し早めにランチをしようということで駅前に十一時半になった。
少し早めに着いたので付近を散策してから待ち合わせ場所に向かうことにする。
この辺りは、自分では滅多に足を踏み入れることのないエリアで、高級なブティックや、高級食材店、いかにも高そうなレストランやカフェが立ち並んでいる。
待ち合わせ時間が迫っていることを確認して駅の方に引き返すと、ちょうど有川さんもこっちへ向かって来るところだった。
「じゃ、行こうか 」
週末の有川さんは平日のスーツ姿のようなきっちり感はなく、髪も少し崩してはいるけれど、ジーンズでもスマートに着こなしていて、どことなくそつがない感じは変わらない。
一日遅れのクリスマスランチにしよう、と有川さんが予約をしておいてくれたのは、駅前の表通りから少し入った所にあるおしゃれなフレンチビストロだった。
店内は、ガラス張りになっていてとても開放的な空間になっている。吹き抜けの天井からは陽の光が差し込み、全体的に柔らかな光に包まれていた。
コースのメニューには、聞きなれない言葉が並んでいて、結局は料理が出てくるまで分からない。
色鮮やかな野菜が可愛らしく盛り付けられた前菜は崩すのが勿体無くて、ちびちび食べていたら有川さんに笑われた。
メインはお肉をチョイス。フィレ肉のグリルにはバルサミコの甘酸っぱいソースがかかっている。それに合わせて有川さんが赤ワインをオーダーしてくれた。ふと心に浮かびかけたものがあって慌てて掻き消した。
綺麗に盛り付けられた料理を載せたお皿が消えては現れ、現れては消えを繰り返し、お腹もそれに合わせて満たされていく。
有川さんとの会話は相変わらず楽しくて、今日会った本来の目的を忘れそうになってしまう。
デザートを食べ終えた頃、有川さんが、「では本題に入ります 」とでも言い出しそうな雰囲気で私の方に向き直った。
「改めて、お付き合いして頂けませんか? 」
有川さんが少し真面目な顔になる。
以前の私なら、間違いなくここで「よろしくお願いします 」と言っていた。
イブの日から私の中で燻っている気持ちが私を揺さぶる。
コノママデイイノ?
必死に問いかけてくる。
ダレトイタイノ?
黙ったままの私に有川さんがヒントをくれる。
「他に気になる人がいる、とか 」
私はすぐには答えられない。優柔不断な本心が答えを渋っている。
「慶吾さん、かな 」
私はハッとして視線を上げる。
「なんとなくそうかなって思ってたから 」
きっと、私の表情がすべてを伝えたのだろう。その代わりに有川さんの表情が私たちの関係に終止符が打たれたことを告げた。
私は有川さんに謝ってその場を離れた。
***
こんな気持ちのまま家に帰る気にはなれなくて、馴染みのない街の中をあてもなく歩く。
クリスマスが過ぎた街は、それまでの華やかさが嘘だったかのように、急速に膨らんだお祭りムードがいきなり萎んでしまったようでどこか虚しささえ感じてしまう。
隣駅までの途中にあるカフェに寄ることにしたのは、ちょっとした気まぐれだった。少し前に慶ちゃんが話していたのを思い出したのだ。
数年前にできた商業施設の、開放的な公園の片隅にあるそのカフェは、夕方まではカフェ、それ以降はアルコールも出すバータイムになる。
ドリンクもおいしいけど、公園の中に点灯されたイルミネーションが他にはない感じで綺麗だと話してくれた。
バータイムが始まったばかりのカフェはまだ騒がしいという程ではないけれど、それなりに席は埋まっている。
誰かと一緒であればテラス席もありなのだろうけれど、今日はそんな気にはなれない。運良く公園のイルミネーションが見える窓際の席が空いていた。
体が冷たいものよりも温かいものを求めている気がして、アイリッシュコーヒーを注文した。カカオとバニラの香りに、独特のウィスキーの後味が残る。甘いミルク感が歩いて冷え切った体を少しずつ緩めてくれた。
体も温まったし、次は何にしようかとふと目線を上げた時だった。
出入り口の方に見覚えのあるシルエット。
チェスターコートの間からは、グレーのニットと黒のスキニーめのパンツが覗く。私服姿の慶ちゃんだった。
慶ちゃんの後ろから、少し遅れて入って来た女性が親しそうに慶ちゃんの腕に触れる。大人っぽさの中に可愛らしさが溶け込んだ、とても綺麗な人。
慶ちゃんがいつもと違った雰囲気を纏って見えるのは、きっと見慣れない私服のせいだけじゃない。
そういえば、週末はよくこの辺の輸入食材店に来るって言ってたっけ。自宅から歩けない距離ではないらしいし。
隣の女性は誰なんだろう。ただの友達っていう感じにも見えない。
彼女、なのだろうか。
変に詮索を始める自分が嫌になる。
席へと向かう慶ちゃんがこちらを向きそうになって慌てて顔を俯ける。気づかれていませんようにと必死で祈った。
慶ちゃん達の席はこちらからはほとんど見えないし、もちろん声も聞こえるはずはないのだけれど、それにも関わらず私の中の全神経がそちらに向かっているのを感じる。
できることならば、さっさとこの場を立ち去りたい。でも、困ったことに、お会計に向かうには慶ちゃん達のテーブルの横を通らなければならない。
仕方がなく二人が帰るまでここにいようと、すでに二杯目を空にした私は三杯目を注文した。
なんかヤバイ気がする。
三杯目の半分くらいに差しかかった時だった。ふと違和感を感じたかと思ったら、次の瞬間、ぐわんと頭を強く揺さぶられたような感覚が襲って来た。
そんなに飲んではいないはずなのに。ここのところあまり眠れていなかったからだろうか、それとも空腹だったのがいけなかったのかな。
アルコールが足早に体の中を駆け巡っているのが分かる。
血液が急激に冷やされるような感覚。目の前がクラクラし始めて、吐き気が襲ってくるような感じもする。
「あかり、…… 」
聞きなれた声。
でも、私の知っているその声は、私をそんな風には呼ばない。
きっと、これは夢だ。
プツンと何かが切れるように視界が遮断され、私は真っ暗な混沌とした意識の中に、うつろうつろと沈んでいった。
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