4. ココロのアリカ(ii)
「じゃ、明後日」
有川さんは明日は朝が早いからと、土曜日の約束だけを置いて先に帰ってしまった。とりあえず、年内の内にもう一度会おうということになったのだ。
一人取り残された私は、ちびちびといつものホットサングリアを舐めている。
クリスマスイブのせいなのか、お客さんは一番奥のテーブル席に女の子が二人いるだけだ。周りのことなんて見えていないかのように、話に花を咲かせている。
きっと、いつもここに集っているサラリーマンのお父さん達は、今頃プレゼントを抱えて家路を急いでいるのだろう。
「ありぃちゃんも飲む? 」
と、慶ちゃんがマグカップを揚げて聞いてくるのでお言葉に甘えることにした。
二人分のマグカップを置き、慶ちゃんはカウンターの中で丸椅子に座る。長さを持て余した足をどうしようか悩んだ挙句、組むという結論に落ち着いたらしい。
「お子様は眠れなくなっちゃわないか心配だけど 」
なんて笑いながら言うものだから、悪態をつきたくなる。
コーヒーに砂糖は入れない。でも、思いっきりミルクをいれる。まぁ、これを見てお子様と言われれば、ブラックで飲む慶ちゃんに反論はできないけど。
「それで、どうだった? 有川さん 」
コーヒーをすすりながら慶ちゃんが本題に入る。
「まだ分からないよ。会ったばかりだし」
「お買い得物件だと思うわよ。出世街道進んでるんじゃないかな。それに、性格もいい 」
慶ちゃんが、親指を立てながら少年っぽく白い歯を見せてニカッと笑う。
「加えて、顔も良い 」
と、言いながら人差し指も立てた。
一瞬の沈黙が降る。
ふと、魔が差したように言葉が出ていた。
「慶ちゃんは彼女とかいないの? 」
自分でも、なぜ今日に限ってこんな事を聞いてしまったのか分からない。
「いたら、クリスマスイブにお子様の相手なんかしてないわよね」
と、慶ちゃんはどこか本筋を外すような言い方をした。
「じゃ、好きなタイプとか? 」
「どしたの、急に 」
慶ちゃんが笑い混じりに聞き返してくる。
実を言うと、自分でも良く分からないのだ。クリスマスイブの空気がそうさせたのか、珍しく慶ちゃんとゆっくり話せる感じだったからなのか。
でも、なんとなく気になったというのが一番近いように思える。
だから、私は正直に答えた。
「なんとなく 」
慶ちゃんは思案顔をする。
「しろちゃんかな 」
佐伯さん? そうなの⁈
「冗談よ、じょ・う・だん 」
とクスクス笑う。いや、冗談に聞こえないんだけど。
不意に慶ちゃんの指の長い、骨ばった大きな手が私の顔の方に伸びて来て、私は反射的に目を瞑る。
次の瞬間、
おでこに、
激痛が走った。
すぐに、指で額を弾かれたのだと分かる。
「何か期待しちゃった? 」
目を開けると、慶ちゃんが堪えた笑いを漏らしている。
私は、熱を伴った痛みでジンジンするおでこを押さえながら、慶ちゃんを上目遣いに睨み返した。
たぶん、私は期待していた。
激痛ではない、もっと他の、温かな、何か。
それに気づいて私は私を疑った。
散らばっていたすべての違和感のかけらが、まるでパズルのピースをはめ込むように、すとんと私の中で収まってしまった。
感情の収拾がつかなくなった私は、時計を見るふりをした。そこに、木曜の夜だということを完全に忘れてしまっている自分がいた。
「そろそろ帰るね 」
焦っているのがバレていなければいいなと祈りながら、そそくさと慶ちゃんの顔をよく見もせずにお店を出た。
吐く息が白く漂う。
冷たいひとひらが頰に落ちる。
冬の空は、とうとう雪を降らすことに決めたらしい。
今はまだ、ひとつまたひとつと、小さな粉雪の粒が躊躇いがちに落ちてきているだけだけれど、日付が変わる頃には本降りに変わると朝の天気予報が伝えていた。
耳が熱くなる。
顔が火照る。
私はその熱を振り払うかのように歩くスピードを上げた。
とてもじゃないけど、もう一日がんばろうなんて思う余裕はこれっぽちも残ってはいなかった。
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