3. ココロのアリカ(i)
今年のクリスマスイブは木曜日と重なった。
ひとまずシングルの身の上である私には、クリスマスイブが週末であろうが、平日になろうが関係ない。クリスマスも然りである。
クリスマスイブの夜空は雪を降らそうかどうしようか迷っているような色で、そこを通る冷え切った空気が切りつけるように頰を撫でる。
クリスマス仕様のリースが掛けられたドアを開けると、カランカランと軽やかにドアベルが鳴る。
入ってすぐに目に飛び込んでくるのは家庭用のものよりも少し大きめのクリスマスツリー。
チカチカと点滅するツリーの光がいつもとは少し違った特別感を演出する。
吊るしてある飾りの中に、目つきの悪いクマのぬいぐるみとか変てこな魚のオブジェが混ざっているのは店主の遊び心らしい。
私の来る時間帯にお客さんはほとんどいない。今日もまだ店内は穏やかで、聞こえてくる音と言えば、ずっと流れている洋楽のBGMとカチャカチャという食器の音くらいだ。
いつもの流れでカウンター席の端っこに向かおうとしたら、すでに先客がいた。正確には、端っこの席を一つ空けて、見慣れないスーツ姿の男性が座っている。
私の予約席というわけではないし、文句は言えない。コートを脱ぎながら、仕方なく真ん中より少しずれた辺りに座ろうとしたら、カウンターの中でグラスを拭いていた慶ちゃんがすごく不思議そうな顔をした。
「今日はそこなの? 」
そう言われても、席はほとんど空いてるんだから、わざわざあっちに座る必要はないんじゃないかな。隣の人もきっといい気はしないだろうし。
「ああ、彼ね、あなたを待ってたの 」
私の怪訝そうな顔に慶ちゃんが答える。けれど余計に意味が分からない。
そのスーツ姿の男性は、私が慶ちゃんと話している時からこちらに気が付いていたようで、私が近くに行くとにっこりと微笑んだ。
すっきりとした顔立ちの、パリッと綺麗に着慣れたスーツがいかにもできる男という感じの人だ。笑うと少し目尻に幼さが垣間見える。
「私達、どういったお知り合いでしょうか?」と、私が尋ねる前に彼の方が正体を告げた。
「初めまして。有川
こういう者です、と名刺でも差し出されそうな言い方だ。
「ありぃちゃんに紹介するために来てもらったの。あなた、いつも木曜日に来るから今日も来るだろうって思って 」
いきなりの、いつもとは違う状況に私は戸惑いを覚える。
慶ちゃんの紹介は、慶ちゃんを通して日時と場所を指定され、そこで初めてその相手に会うというのがいつもの流れだった。
「有川さん、そこの角の銀行にお勤めなの 」
と慶ちゃんが得意げに紹介すると、有川さんは少し照れたように笑った。
壁に掛かっているハンガーにコートをかけ、温まるまではと、マフラーだけは首元にかけたままいつもの席に滑り込んだ。
カウンター席のスツールの間隔は結構狭くて、たった今会ったばかりの人とこの距離は少し落ち着かない。
「いつものでいい? 」
お酒のボトルを選びながら、こちらに聞いてくる慶ちゃんに私は大きく頷く。
「いつものって? 」
有川さんが興味ありげに首を傾げて尋ねてきた。
「私にも分かりません 」
そう、出てくるまでは分からない。
有川さんににこっと微笑むと、有川さんは解せないという風な表情をした。ふと、なんだか秘密の暗号みたいだな、なんて思ってしまい噴き出しそうになる。
今日の「いつもの 」は、紅茶のリキュールにオレンジジュースを加えたカクテル。確か、少し前にも同じものを作ってくれた。
慶ちゃんの調合は相変わらずのどストライクだ。暖かいオレンジ色と優しい紅茶の風味が少しざわついた気持ちを落ち着かせてくれた。
慶ちゃんは、こちらに気を利かせたのかドリンクを置くと、「じゃ、ごゆっくり 」と言ってキッチンの方に入って行ってしまった。
なんだか、その言い方が少しよそよそしい感じがして置いてけぼりをくらったような気になってしまう。
「とりあえず、何か食べますか? 」
有川さんがメニューを開く。
「じゃ、ナポリタンを 」と、言いそうになってすんでのところで飲み込んだ。
まずは、サラダ。ミモザサラダがいいかな。あとは、スペイン風オムレツとカラマリフリット。それから、アヒージョも食べてみたかった。
希望を一通り伝えると、そこに有川さんが数品プラスして慶ちゃんにオーダーしてくれた。
いつもは頼まない料理たちが目の前に並ぶ。
慶ちゃんの料理の腕がいいのは知っているけれど、一人じゃそんなに食べられないし、あれこれ考えても結局はナポリタンを頼んでしまう。
有川さんとの時間は、会話を追うごとに、いつしか敬語も外れていて、素直に楽しいと思えた。
有川さんはとても気さくで、相手に気を使わせないようにできる人なんだと思う。
話題も豊富で、私の分かりそうな話題を選んでは話を振ってくれているようだった。
ただ、慶ちゃんに声が届く距離で、有川さんと話していることになんとなく居心地の悪さを覚え、声が気持ちワントーン下がる。
その感じは、例えば、友達のいる前で、その友達の友達と話す感じに似ている。友達に対する態度と、友達の友達に対する態度とは必ずしも同じではない。その差異を友達に知られてしまう気まずさがそこにある。
まぁ、慶ちゃんは、話の内容など聞こえてても全く気にしてはいないと思うけど。
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