05 絵画と美術室



 我が校の美術室には、おかしな噂がある。


 それは、とある絵が変化するというものだ。


 口が動いたり、体勢が変わったりと、いろいろ動くらしい。


 そんなまさかな事が、起きるわけがない。


 我々教師はそう思っているが、生徒達は不安がっているようだ。


 ならば仕方ない。


 噂はただの噂に過ぎないと証明しなければ。







 夜の学校で、教師である俺は見回りをしていた。


 本職の警備員にお願いして、一緒にまわらせてもらっているのだ。


 噂など信じていないが、怯える生徒のためだ。


 仕方ない。


 きっと、俺が証明してみせれば、生徒からの人気はうなぎ登り。


「先生、かっこいい」「すてき!」「さすが!」となるに違いない!


 きっとその後は、ちょっとやんちゃな生徒が多いあのクラスを、上手くまとめていけるようになるだろう。


 あいつらたまに、俺の言うこと聞かない時があるからな。


 学級崩壊なんて、恐ろしい事になったらたまらん!


 そういうわけで、噂の調査へと乗り出したのだ。


 警備員さんの見回りにくっついて、真相を確かめるぞ!






 ただいま夜の0時。


 警備員さんの巡回の時間になったから、俺は「よろしくおねがいします」と言って、引っ付いていくぞ。


 こんな夜遅くになる前にも巡回についてくチャンスはあったけど、その時は色々仕事がたまっててな。


 あれこれやってるうちに、こんな時間だ。


「先生方も大変そうですね」

「いえいえ、それほどでも」


 世間話をしながら、警備員さんと夜の校舎の中を歩いていく。


 真っ暗でよく見えないが、一人じゃないと思うと安心するな。


 いい年の大人で男でも怖いものは怖い。


 情けないとか言うな。


 こればっかりは治らないからしょうがない!


 むしろ無理はよくないんだ。


 昔、無理矢理なおそうとしたオトンが、俺をお化け屋敷に何度も放り込んだせいで、トラウマが悪化しちゃったんだからな。


 しかし美術室って遠いな。


 いつもと違う環境のせいか、やけに遠くに感じる。


 と、そんな事を考えていたら……。


 突然大きな音がした。


 ゴトンっ。


「ひいっ!」


 いきなりの事でつい悲鳴を上げてしまった。


 大の大人のか弱い悲鳴。生徒達には聞かせられないな。


 周囲を見回すと、懐中電灯が廊下に落ちているのが見えた。


 どうやら警備員さんが、持っていた懐中電灯を落としてしまったらしい。


 ほっとしてしまう。


「驚かさないでくださいよ」


 文句を言ってそちらの方を見る。


 けれど、そこには誰もいなかった。


 現実感がなさすぎる状況に、脳が理解を拒否した。


 数秒くらいフリーズして、やっと出てきた言葉が、


「え?」


 これだけ。


 驚きのあまり、夢でも見ているのかと思った。


 しかし、夢などではないようだ。


 頬をつねってみても、目が覚める気配はない。


 痛みを感じる、現実だ。


「いったい、何が起こったんだ?」


 さっきまで俺の横には人がいた。


 それなのに、一瞬で消えてしまうなんて。


 これはひょっとしたらやばい状況なのではないだろうか。


 うろたえていた俺は、助けを求めてあちこち見回した。


 人なんているはずないけれど、冷静ではなかったから。


 だから気づいたのだろう。


 偶然振り返った時に、こっちに向かって無音で飛んでくる絵画があった。


 あれは、美術室にあった絵画だ。


 でもここは、美術室ではない。


「はっ、話が」


 違う。


 と、言いきる事はできずに、俺はその絵画に吸い込まれていった。






「うわああああ! って、あれ? ここどこだ?」


 目が覚めると不思議な空間に倒れていた。


 いろいろな色がマーブル状になって混ざり合っている。


 どこが床でどこが天井かはっきりしないから、空間感覚がおかしくなりそうだった。


「あら~、あなた素敵な紳士ね! あたしと結婚しなーい!」


 声をかけられて、ふりむくと、そこに目を光らせた中年女性がいた。


 どこかで見たことある、と思ったら美術室に飾られていた絵の人物だ。


「ウマそうな、ニンゲンだ。クワせろ」


 次いで右からまた新たな声。


 カタコトっぽい様子で喋るその声の主は、よく分からない黒と茶色の固まり。


 これも見たことがある。


 同じく美術室に飾られていた抽象画だ。


「罪人には罰を! 有罪!」


 で、左からも声が聞こえてきたと思ったら、そこには格式高そうな制服を着た高齢の男性がいた。


 これも見た。


 美術室で飾られていた裁判官の画で。


 俺は夢を見ているんだろうか。


 混乱していると、そいつらが一斉に襲いかかってきたので、慌てて逃げ出した。


 何だここは。


 ひょっとして絵画の中の世界なのか!


 無我夢中で走っていると、途中でわんこにかみつかれている警備員さんを発見。


「だっ、大丈夫ですか!」


 気絶していて、一人では動けそうになさそうだったので、担ごうとしたけど重くて断念。


 背後から追いかけてくる元絵画の群れ(?)を見て、その場を離れざるをえなかった。


「素敵な紳士様、めっちゃ好みよ~! 結婚して~!」

「ニンゲン、くいたい」

「有罪、有罪。罪を償いたまえ!」


 俺はそいつらに「好みじゃないんで!」とか、「ニンゲン、しょくりょう、ちがウ!」とか、「存在する事が罪なの!?」とか言いながら走った。


 途中でほかの絵が具現化したみたいなやつが、「何やってんだあいつら」みたいな視線を送ってきたが、特にそれ以上こっちに干渉してくる事はなかった。


 化け物でも、人間に厳しい連中とかどうでもいい連中とか、色々いるんだな。


 新発見だ。


 だからどうなるというわけでもないが。


 地面に転がってる喋る野菜とか踊る肉とか、弾むパンとかの間を縫いながら走る。


 そうやっていると、ときどき辺りになにも描かれていない絵画が浮かんでいる事に気がついた。


 その絵画にはそれぞれ、「物憂げな女性」、「渇望」、「裁きの人」というタイトルがついていた。


 間違いない、それらは夫募集中の女性と、なんだかよくわからん生物と、裁判官の絵があったやつだ。


 よく見つめてみると、すりガラスみたいに見えてきて、向こう側にぼんやり学校の景色が見える。


 もしかして、と思った俺はその絵画に手をあててみた。


 すると、向こう側にすうっと通り抜けていった。


 もしかしてここに飛び込めば出られるのでは?


 そう思った俺は、背後をちらり。


 絵画のばけもの達が追いかけてきていた。


 一瞬一人で逃げようかと思ったけど、警備員さんの事を思い出してUターン。


 地面の上で踊っていた肉を掴んで、気絶している警備員さんの元へ。


 相変わらず警備員さんに甘噛みしいていたわんこに「へい、そこの犬! こいつがほしいか? なら俺の言うことを聞くんだ」と指示を出して、警備員さんを引きず……、いや運んでもらった。


 そして、何も書かれてない絵画の前で、名誉ある労働犬わんこに肉を与えた後、ど根性をはっきして警備員さんを持ち上げる。


 そして何も描かれていない絵画の中に、警備員さんを突っ込んだ。


 絵画のサイズが成人男性が入るくらいでよかった。


 さあ、俺も額縁に足をかけておさらばだ。


 背後から追いかけてくる絵画の化け物に振り返って、「ちくしょー! 学級崩壊したらお前らを恨むからな」と文句を言った後、脱出した。


 一瞬世界がぐわんと捻じ曲がるような感じになり、次に瞬間には美術室の前に立っていた。


 廊下じゃない。


 俺たちを捕まえた後、絵画達は元の美術室に帰ろうとしてたんだな。


 警備員さんもちゃんと足元に倒れている。


 背後を振り返ると、中年女性が描かれた「物憂げな女性」が残念そうな顔して、目の前の美術室の中に逃げていくところだった。


 それは、新しい人間がこの場にやってきたためだった。


「あの、大丈夫ですか。なかなか戻ってこないので様子を身に来たのですが」


 懐中電灯を持った別の警備員さんが、そう声をかけてくる。


 別の場所を見回っていた人だ。


 集合場所に俺たちが戻ってこなかったので、様子を見に来てくれたのだろう。


 俺は、ほっとするあまりその場にしりもちをついてしまった。








 その後、なぜか俺は生徒達の人気者になっていた。


 やけくそ気味に語った怪談体験談が受けたようだ。


 ユーモアのある面白い先生として、距離が縮まった。


 それで、生徒達からいろんな話をしてくれるようになったのだが……。


「先生! 聞いた事ある? 理科室の人体模型が」

「あーあー、聞こえない聞こえなーい」


 その手の話だけは、今後は一切ごめんだ。


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