04 家族愛



 私は一言も家族に話しかけることなく、静かに家を出た。


 気分が重いのは、ランドセルにつまった教科書やノートのせいじゃない。


 学校が終わったら、また家に帰らなくちゃいけない事実のせいだ。








 朝、学校に登校するために道を歩いていると、元気な声が聞こえてきた。


「行ってきまーすっ!」


 近くの家の玄関から、同じ年くらいの女の子が飛び出してきた。


 走り去る女の子は振り返らずまっすぐ、学校のある方向へ向かっていく。


 何か学校で楽しみな事があるのかもしれない。


 ぼんやりと見つめていたら、さきほど女の子が出てきた玄関から女性が顔を出した。


「まったく、玄関から飛び出たら危ないって言ってるのに。ミユキ! 今日は家族でお出かけするから寄り道しないで帰ってくるのよ」


 女の子の母親らしい。


 その女性は困った顔で、先ほど走り去っていったミユキという女の子に叫んでいた。


 もうはるか遠くにいってしまったミユキに、果たしてその声が届いているのか。


 ミユキは最後まで振り返らずに走って、角を曲がってしまった。


 母親はやれやれと肩をすくめて、家の中に戻っていく。


 珍しくもない光景だ。


 当たり前の景色。


 どこの家庭にもあるもの。


 でも私にとっては、ひどくうらやましいものだった。






 仲良し家族を見ると、いつも良いなって思ってしまう。


 だって私の家族は、険悪だから。


 もっと優しい家族がほしかった。


 目の前で見た、あの家族みたいに。







 学校が終わった後、家に帰らず公園で時間を潰していた。


 家に帰りたくないからだ。


 母はヒステリックに怒鳴って、色んな物を投げつけてくるし、父だって拳をふるってくる。


 悪い事したとか、そういう事関係なしに、暴力をふるってくるから嫌いだ。


 しかも、服で隠れる場所ばかり狙って。


 彼等は、自分に反抗しない弱者をいたぶって、憂さ晴らししてるのだ。


 他の大人に助けを求める?


 無駄だ。


 大人は皆、頭の悪い事しかしない。


 だって前に大人に向かって、「家族が私に暴力をふるってきます」って言ったら、母と父にその事をチクったからだ。


 それで、両親が、


「ちょっとケンカしただけで、すねてるんですよ。ねぇあなた」

「悪戯すきな娘なもんで、大目に見てやってください」


 って感じで言ったら、相手はころっと騙されていた。


 後はどうなったかって?


 そんなの私が語らなくても分かるでしょ?


 だから、誰かに助けを求めるのは却下。


 自分一人で、何とかやっていくしかない。


 とりあえず一番出来る事は、家にいる時間を短くする事で、公園とか学校にいる時間を長くする事だ。


 そういうわけで、私は公園で延々と暇をつぶしていたのだった。








 でも、問題点は飽きるという事。


 何時間も同じ場所にいたら、普通そうなる。


 ただぼうっとしてるのも苦痛だった。


 他の公園を探した方がいいかもしれない。


 そう思って公園を出ようとしたら、あやしいおじさんが声をかけてきた。


 公園の隅に、風呂敷を広げておもちゃみたいなのをたくさん並べている。


 こんな人、ここにいたっけ?


「お嬢ちゃん、商品の試作品は要らんかね。つまり、無料で使えるという事だよ」


 関わらないほうがいいと思っていたのに、つい無料の言葉に反応してしまった。


 だって、あの両親は勉強道具とか服とか以外は何も買ってくれないから。


 外面だけはいいからね。


「そう無料。なんでも好きなのを選んで、三日間使ってみておくれ」

「何でも? 本当にお金は要らないの?」

「ああ、嘘はつかないよ」


 迷ったけれど私は、風呂敷の上に並べられているものを眺めることにした。


 でも、あんまり良い物はなかった。


 かけた茶碗とか、折れた木の枝とか、どこにでもありそうな石ころとかばかりだったから。


 この人、どういうつもりでこんな物を並べてるんだろう。


 文句を言いかけた時、私の目に入った物があった。


 人形だ。


 なぜかこれだけ、普通の品物だ。


 大人の女性と男性の人形。


 汚れもついてない、どこか壊れてるわけでもない。


「じゃあ、おじさん。これ私に頂戴!」

「おお、いいよお。優しい人があたるといいねえ」


 意味が分からない言葉をかけられて首をかしげていると、いつの間にかおじさんは風呂敷をたたんで店じまいしていた。


「三日後にまたここに来るから、感想を聞かせておくれ」


 そして、それだけ言って公園から去っていく。


 変なおじさんだったな。






「まあ、どこで道草食ってたの、心配したじゃない!」

「まったくたまたま会社が早く終わったから、お父さんが探しに行こうかと思ったんだぞ」

「え……?」


 家に帰ると、全然知らない女の人と男の人がいた。


「誰?」

「誰ってあなたのお母さんとお父さんでしょ? そんな事も忘れたの?」

「大丈夫か? 熱でもあるんじゃないのか」


 その人たちはまるで本当の両親がみたいに話しかけてくる。


 困惑してると、家の中に引っ張られて、居間につれていかれてしまう。


 そこで見た光景は、信じられないものだった。


 物が散らかってぐちゃぐちゃだった部屋は綺麗に掃除されてて、テーブルの上には美味しそうなご飯がのっていた。


 久しぶりの、給食以外で見るまともなご飯にのどがなった。


「帰ってきたなら早く手を洗って、着替えてきなさい。一緒にご飯を食べましょう」


 何が何だか分からず、言われるままにして食卓につく。


 いただきますをする家族を目の前で見るなんて、記憶にある限り初めてだ。


 はしをつけて口に入れたご飯はとても美味しくて、コンビニで買ってきた賞味期限ぎりぎりのおにぎりとか、パチンコとかの景品でもらってきたお菓子では味わえない味だった。


 その後は、あたたかいお風呂にも入れた。


 ふわっとした清潔なタオルで体を拭いた時はもう、夢でも現実でも何でもいい気持ちになっていた。







 翌日、学校に登校した私は、今日が授業参観だと気づいた。


 いつも来ないから、すっかり気にしなくなっていたのだ。


 他のクラスメイトの親が続々やってくる。


 どきどきしながら見守っていたら、あの人達も来た。


 母だと名乗る女の人も、父だと名乗る男の人も。


 目が合ったら、手を振ってきたので、なぜだか少し恥ずかしくなった。


 チャイムがなって授業が始まる。


 こんなに緊張する授業なんて初めてだ。


 先生に当てられた時、間違えてしまわないかすごくヒヤヒヤした。


 放課になるとあの人達が話しかけてきた。


「授業をきちんと聞いていて偉いわ」

「先生に当てられた時も、ちゃんと答えられてすごいじゃないか。この日のために有休をとったかいがあるよ」


 どうしてだか、嬉しいのに少し泣きたくなった。








 それからも、その人達は私の両親であり続けた。


 最初は不気味に思っていたけど、もうほとんど抵抗感はなくなっていた。


 二人は本当に、母親のように、父親のように私に接し続けていたから。


 三日後、学校を終えた私は、ランドセルを部屋に置くために家に帰った。


 おやつのジュースとドーナツを用意してくれた、母親役の人に学校であった他愛のないことを話しながら、夕方になるまで家でゴロゴロしていた。


 やがて夕日で空が真っ赤になる頃、私は家をこっそり出ていく。


 音を立てないように、靴を履いてゆっくりと玄関をあける。


 そうしているち前の生活を思い出す。


 本当の家族は、私がうるさく音を立てると怒鳴ったり、殴ったりしてきた。


 たった三日なのに、ずっと昔の事のように思える。


 玄関を開けて出ていこうとすると、強い力で腕をつかまれた。


 背後に誰かいる。


 誰か、なんてそんなの分かりきっている。


 母親役の女の人だ。


 その人は、おそらく私が外に出ていかないようにしたいのだ。


 三日が終わったから、きっと私があのおじさんに人形に返したら、人間でいられなくなるから。


「は……」


 離してとそう叫ぼうとしたとき、拘束は解かれた。


「えっ? どうして?」


 振り返ると、その女の人はなぜか泣いていた。


「学校に忘れものでもしたの? 暗くなったら危なくなるから早く帰ってくるのよ」

「うっ、うん」


 さっきのは一体何だったんだろう?


 疑問に思いつつも、引き留められないようにするために、その場を離れようとしたけど。


「元気でね」


 背後から聞こえてきたその言葉に、私は振り返った。


 そしてその母親役の人に抱きついていた。


 自然と涙と言葉があふれてくる。


「お母さんっ、お母さんっ!」

「どうしたの? そんなちっちゃな子供みたいに泣いて、早くいかないと駄目じゃないの」

「嫌だっ! 元の生活になんて戻りたくない! ずっとこのままがいい!」


 前の地獄のような生活に戻るくらいなら、ずっとこの生活を続けていたかった。


 目の前の人が誰かなんて、もうどうでもよかった。


 私には本当の母親よりも、この人が必要なのだ。


 私はそれからお父さんが帰ってくるまで泣き続けていた。


 けれど二人に強く言われて、公園に向かう事にしたのだ。






 公園に向かうと、あの時のおじさんが風呂敷を広げて待っていた。


 石ころとか木の枝とか。あいかわらず変な物しか並んでない。


 私は、三日間試した人形をかえす。


「使い心地はどうだったかい?」

「ぐすっ、使い心地とか言うな」

「じゃあ、感想は?」

「……」

「ああ、その表情でだいたい分かった。お役に立てて良かったよ」


 私は家から持ってきた貯金箱をおじさんに見せる。


「それ、買うから私に売って」

「そうしたいのは山々だけど、試作品は一度しか使えないんだよねぇ。三日以上使うと色々危ないことが起こるから」


 脳裏にさっきの家での出来事が蘇る。

 だから、あの人達は私を公園に行かせたんだ。


「おじさんは、またここに来る?」

「もう来ないかもしれないよ。全国を気ままに旅しながら商売してる身なもんで」


 人形を包んで風呂敷きを畳んだおじさんは公園から去っていった。







 家に帰ると、玄関の向こうから物が壊れる音がした。


 戻ってきたのだ、あの最悪な日常に。


 でも、何もせずに戻ってやるつもりはない。


 頭の中に再生されるのは「お母さん」の元気でねという言葉。


 だから、


 私は隣の家のチャイムを鳴らした。


 外れでもいい。


 今回もロクデモナイ大人に出会ったとしても、当たりが出るまで戦い続けてやるんだ。


「すみません、電話を貸してくださいませんか」



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