03 子弟愛
「はぁっ、また負けたぁーっ」
剣道の道場に寝転がって、思いっきり悔しがる。
今は休憩中。
道場に通っている他の生徒達は、それぞれ好きに過ごしている。
そんな中でも私の師匠、この道場を経営しているタツミ先生は剣を振り続けていた。
一時間前から休まずにずっとああしているけど、体力底なしなのかな。
普通の人間かどうか疑わしいレベルだよ。
人間離れした師匠を見つめていると、同じ道場の生徒が水筒を差し出してきた。
アユムという名の男の子だ。
道場の隅にある棚から、自分のをとってくるついでに、私のもとってきてくれたらしい。
「ほら、水分補給しとかないと倒れるぞ」
「ありがとー」
受け取った水筒をあけて、お茶を飲む。
氷で冷えた飲み物が、体を潤してくれた。
しばらく他愛のない話をしていると、話題は近所のことになった。
そう言えば、と今朝お母さんが言っていた事を思い出す。
「出かける時は注意するのよ」って言ってたな。
隣で同じようにお茶を飲んでるアユムに、訪ねたい事があった。
「最近物騒だって聞いたけど、近所大丈夫? なんか通り魔が出たんだってね」
「ああ、俺も母ちゃんから聞いた。薬物やってるような、やばい奴が徘徊してるんだとさ。まだ捕まってないんだってな」
「なんか怖いねー。今までこの辺でそんな事なかったのに」
話をしながら、ちょっと不安になる。
大丈夫だとは思うけど、帰る時は用心しておかなくちゃ。
私は、強くなるために剣道を習っている。
小さい頃に虐められている友達を見て、助けたいなって思ったのがきっかけ。
口で正しい事を言っても、そいつらは虐めをやめたりしなかったから……。
だから力をつけなくちゃって思ったの。
そういうきっかけがあったから、悪い事をする奴を見つけたら、剣でやっつけてやろうって思ってたんだけど……。
通り魔ってなると、やっぱりちょっと怖いな。
帰る時、師匠が外出用の服に着替えていた。
理由を尋ねると、自主的な防犯パトロールをするためだとか。
弟子が襲われたらたまらないからと、そう言って竹刀まで手にする。
もしかして、それを持って行くつもりなのかな?
師匠の方が不審者として通報されないか心配。
「タツミ先生ってどうやってあそこまで剣を極めたんだろうね」
帰り道、私はアユムと共に話をしながら歩いていた。
変える方向が一緒だし、一人で歩いててもつまらないから。
「さあな。昔、山の中で熊や猪相手に修業したとか聞いたぜ」
「えーっ、何それありえない」
いったい誰がそんな根も葉もない噂を流したんだか。
いくら師匠でもそんな事あるわけがない。
だけど、このあいだ小学校の防犯教室で剣術を披露した時は、凄かったな。
うちの学校、特別な講師を呼んで護身術を教えてくれるんだけど、去年は師匠だったんだよね。
もちろん、初心者用の剣術とか、何もなくても実践できる護身術も教えてくれたんだけど、最後のが凄かった。
すって動いたと思ったら、不審者役の先生がばたって倒れてたんだもん。
びっくりしたなぁ。
「ん、なんか後ろで変な奴が歩いてないか?」
「変な奴?」
振り返ると、挙動不審な男の人が歩いていた。
周囲をキョロキョロと見回していて、とても怪しい。
まさか例の通り魔?
お母さんから言われた言葉が脳裏に蘇る。
よくみるとその人は口から泡を吹きながら、聞き取れない声で何かをしゃべっていた。
「逃げるぞ」
アユムが小さな声でそう言いながら、私の手を握って走り出した。
すると、男の人が追いかけてきた。
「ねぇ、あいつこっち来る!」
「はぁ!? 嘘だろ!」
信じられないといった様子のアユムが振り返って、私の背後を見たらしい。
ぎょっとした表情になった。
直後、背後で物凄い音が発生。
思わず私も振り返ってしまう。
するとそこには、交通標識を引っこ抜いてる男の人がいた。
「はぁ!? 嘘でしょ!」
思わずアユムと同じような事を言ってしまった。
でも例の通り魔だったら、薬の影響とかがあるのかもしれない。
男の人はそれをぶんぶん振り回しながらこっちに向かってくる。
足が早いから、すぐに追いつかれてしまう。
「危ねぇ!」
「ぎゃあっ!」
アユムが強く手を引っ張ったら、思いっきりこけた。
だけどその直後、頭上で風の音がした。
何かが飛んできたみたいだ。
交通標識だ。それは、近くの家のコンクリート塀に重い音を立てて突き刺さった。
普通の人間の力じゃない!
青ざめてるばかりじゃいられない。
なおも近づいてくる男の姿を見て、すぐに立ち上がる。
逃げようとしたけど、足が震えてうまく進まない。
すぐにまたこけてしまった。
日影が落ちてきて、見上げれば男の人がすぐそばに。
恐怖で悲鳴も出ないでいると、アユムが男の人に体当たりした。
予想外の行動だったのか、男の人は倒れる。
「ぼさっとしてんな、逃げるぞ!」
「うん!」
けれど倒れた男の人がアユムの足をつかんでいた。
「うわっ」
男の人は、驚くアユムを持ち上げながら立ち上がる。
私は、とっさに近くを見回した。
すると、どこかから飛ばされてきた木の枝が落ちていることに気づいた。
それを持って、男の人に向ける。
悪い奴から人を守るために剣を習ってるんだから、ここで頑張らないと意味がない。
「アユム、今助けるから!」
私はその木の枝で相手に剣術を叩き込んだ。
がむしゃらに。
けれど相手に聞いているようには見えない。
くやしいけど、私はまだ未熟者なんだ。
やがて、男の人がアユムを地面にたたきつけようとする。
「アユム!」
「うわあああ」
空中に舞った知り合いの体を見つめて、せめて自分が下でクッションになろうかと思っていると。
「そこまでだ!」
駆け付けたタツミ先生が男の腕を木刀で打ち据えていた。
おっこちてきたアユムを受け止めた先生。
「二人とも、少し離れていろ」
先生はアユムを降ろして、男の人に向きなおる。
木刀を持った先生は、すごく安心感があって、まだ状況が落ち着いたわけでもないのに体から力が抜けそうだった。
「冷静さを欠けば、剣は鈍ると教えただろう。こうなったらしっかりと弟子に手本を見せてやらねばな」
タツミ先生は、目で追うのもやっとなスピードで木刀を閃かせた。
迷いなく、男の人の腕や足などをうちすえていく。
先生の動きが止まると、男の人はその場にどさっと倒れた。
しばらく、見つめてみるけど、全然動かない。
気絶しているようだ。
「師匠、助けてくれてありがとう!」
「弟子の面倒を見るのも、師の仕事のうちだからな」
私はようやく体から力を抜くことができた。
あのあと、通り魔はちゃんと警察の人に連れていかれ、私達は事情聴取を受けることになった。
木刀を持った先生の事が心配だったけど、正当防衛って判断されて一安心だ。
物騒な話もなくなって、これで私たちの住む地域に、平和が戻ってくるだろう。
でも、あれ以来道場でのしごきがきつくなったんだよね。
「もっと体勢を安定させろ! 雑念を抱くな!」
アユムと共に、毎回大変な思いをしてるよ。
「もうだめ。師匠、ちょっと休憩させてよ~っ」
「はぁ、鍛えなおしたいって行ったのはこっちだけど、ハードすぎだろっ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます