雑然とした整備室にて


Cyan/Fox/Giga




-エニグラドールが拠点とする建物は、小さな廃工場を改装したものである。建物の内部は細かい部屋に区切られている。どの部屋の壁にも、配管の通り道やドアをセメントで塞いだ痕跡がある。元は何をする工場だったのかは不明だった。何らかの化学製品を作っていたようにも見受けられる。例えば石鹸や、あるいは自然素材で染色した繊維だとか。エニグラドールはもちろん知らないし、最初にこの建物を選んだフォックスもよく知らないのだと言う。


-拠点は多くが空き部屋のままだが、元工場としては広くない。一般的な4人家族の住居が4つ連なった程度の面積しかなく、拠点のある地域にはそんな建造物が身を寄せ合って無数にある。広い合衆国で、どうしてそんな立地になるのか。それは2XXX年代のデトロイトの産業や歴史を紐解く必要があるため割愛する。


-その小さな工場の一室はいつも薄暗く、おそろしく雑然と散らかっている。部屋の主はフォックスである。ここにはまるで図書館のように金属のラックが林立している。ラックには部品や計測器や工具、ケーブルや得体のしれないパック詰めの何か、古いボトルに入った謎の液体などが詰め込まれている。端的に言えば、ここの法律には整理整頓という概念が存在しない。シアンを除くヒューマノイドには、どれが必需品でどれがガラクタなのか見分けがつかない。彼らは判別する能力が身に付かないようにふるまっている節もある。仮に刃物で彼らの人工皮膚を切り開いたとして、その下に腱や骨が現れる。臓物が現れる。この部屋にはきっと、そうした"部品"のスペアが置いてあるからだ。しげしげと観察したいような物でもない。


-エニグラドールは頑丈にできているが、メンテナンスを要する。これは人間や獣の定期健康診断と、SUVにガソリンを補給することを足して2で割ったような作業を指す。メンテナンスは順番に回ってくる。また、戦闘回数が多い機体は優先される。中でもギガの頻度はほとんど倍で、メンテナンスの範疇を超えた緊急処置が行われることも少なくない。


-雑然とした部屋にはいくつかの錆びたパイプ椅子があり、ひとつの大きな診察台がある。診察台にはギガが横たわっている。片腕の肘の辺りからチューブが伸び、蛍光色の体液が機器へと吸い込まれてゆく。彼はもう片方の手で口許を強く押さえ、震えるように呼吸していた。


C:「あと5分や。ほんま堪忍な、急性浄化は他に方法ないねん………」


-褐色の指先が、ギガのひどく汗ばんだ額をタオルで押さえる。首筋にも腕にも冷えた滴が浮いている。


F:「ハウセリンは」

C:「やっぱ、あんま効かへん」

F:「そうか……神経系は作用するが……」

C:「こっちはダメや、再生細胞が抜いてまうわ」

F:「眠らせてやりたい所だがね」

C:「再生機構のリスクさえ無ければ……」

F:「こればかりは仕方あるまい」


-その日のギガはキッチンに立っていて、ふと言葉もなく膝をつき、コンクリートの床へうずくまった。談話室からその様子を見たホノメの顔は、一向に無機質なホログラムの頬すら青ざめているようにも見えた。

-ギガは先の戦闘で、飛び散った破片が体外に排出されないまま再生していた。運の悪いことに、ほんの小さな破片は臓器の一部に巻き込まれ、臓器は正しい機能を失った。体液は正しく濾過されることなく、濁って淀み始めた。そして数日のうちに彼をひどく蝕んだ。


-ギガはいつも自身の苦痛を過小評価する。シアンはそれを叱ってやろうと思っているが、チャンスがない。彼は眉間に深い皺をきざみ、瞼をいっそう強く閉じる。目尻から涙がこぼれる。行く先の機器で浄化され、ギガの厚い筋肉の下に戻る血液。脳の淀みが身体と同じ程度に抜けるまで、彼は痺れたように動かない手足や、ひどい嘔気に苛まれる。


-ギガが激しく咳き込んだ。処置は5時間近く続いていて、彼にはもう吐き出せるものがない。少し血が滲んだ胃液が、口の端から診察台へ糸を引いている。激しい呼吸で波打つ胸。虚ろな眼差し。太い腕が診察台の端から力なく投げ出された。シアンはそれを支えて台の上に戻してやる。

-彼女はまたチャンスを見失った。今は叱る言葉が思い浮かばない。そうして、無限に続くかのような5分が過ぎた。


C:「ほら、もうおしまいや……ほんま、よう頑張ったわ。えらいで……」

F:「安静に……君の楽な姿勢で構わない」

C:「バスキュラーアクセス治癒開始。再生機構も問題なさそうや」

F:「局所麻酔も切れてきたか。ひとまずは安心だろう」


-シアンは手早く循環機器を操作し、しばらくの後にチューブを取り外した。アルコール綿で押さえながら、穿刺した針を肘から抜く――1本、2本。フォックスがバイタル測定器のモニターを観察し、いくつかの値を端末へ記録した。それから、湯で濡らしたタオルを絞り、汗で髪が張り付いた額や首筋を拭ってゆく。


C:「不均衡症状の出ぇが早い分、回復も早いとええけど」

F:「そうなるよう祈ろう。彼の場合は……輸血もひとつの手だろうな」

C:「うん、循環量増やした方がいくらかマシや。麻酔切れる前にやろか」

F:「3.1以前のストックは少し古いから、使うなら機器を介しなさい」

C:「オーケイ」

F:「明日は14時まで経過観察して、問題なければ移植を行おう」

C:「……まさか。スペアあるん?」

F:「伊達にこの部屋を散らかしてる訳じゃないのさ」


-フォックスは横たわる身体に毛布をかけ直し、腕に掌を重ねた。苦痛を労るように撫でる。ギガはうっすらと瞼を開け、わずかに口角を上げてみせた。


F:「私は明日の支度をしよう」

C:「フォックス、出るならついでに」

F:「なんだい」

C:「ホノメ呼んだって。しびれ切らしてるわ」


-軽く頷き、フォックスは整備室を後にする。シアンは1セットだけ深呼吸し、次の作業に取りかかった。

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