第9楽章 死神と呼ばれた少女

 流れ星には、願いを叶える力があると言われている。

 それは星が死の瞬間を「看取ってくれて、ありがとう」という気持ちを抱くからこそ起こる奇跡だ。

 星は命だ。命を燃やして生き、燃え尽きるときに落ちていく。命あるもの須らくに心があるとは言わないが、星は命ある者たちが燃えた集合体だ。言葉にできなくたって、無数の心を宿している。人間だけの物差しでは測れないような奇跡で神秘なのだ。

 だから星は願い事に耳を傾ける。「見つけてくれて、ありがとう」と。



 第9楽章



「死神様!!」

 その呼び声に、アイシアはす、と立ち上がる。黒いローブがふわりと揺れるさまはどこか輪郭が朧気で、幽霊のようでもあった。携えている大鎌の印象もあって、死神の名に相応しい出で立ちだ。

 その紫の冷えた眼差しは、口々にアイシアを死神様と呼ぶ人々に向けられていた。冷酷で無慈悲な感情の感じられない瞳。血の色を宿しているのに、温度がない。

 それでも人々は、彼女にすがりつく。

「お願いします、死神様。我々を助けてください!! このままでは世界が滅んでしまいます!!」

「裏切り者の魔女に死を!!」

「死神様、私たちを守ってください!!」

 アイシアは、血が流れていないのではないかと思うほど真白な唇で紡ぐ。

「何故?」

「し、死神様?」

「何故、僕があなたたちのために力を振るわないといけないの?」

「そ、それは……」

 紫の目からの強い問いかけに、人々は言い淀む。そんな中、一人の少女が前に出た。

「私たちに、力がないからです」

 その少女は淡いベージュの髪をおさげにし、真っ直ぐなオリーブ色の眼差しをアイシアに投げかけた。

「私たちには星光の魔女のような力も、あなたのような星を砕く力もありません。星光の魔女があてにならない今、力のない私たちが頼れるのはあなただけなんです」

 アイシアは目を据わらせた。これはよくないな、と思った。

 淡いベージュの髪、オリーブの瞳。それはシェロから聞いた、シェロが慕った星光の魔女のアーゼロッテと同じ特徴だ。細かい目鼻立ちまでは知らないが、シェロがもしこの子と出会ったら、と思った。

 ──きっと、シェロは自分の千年を水の泡にしてでも、この世界を守るだろう。守れなかったとしたら、シェロは死んでもそれを悔い続けるだろう。

 アイシアはシェロのことが好きだ。シェロがどう思っているかは知らないが、友達みたいにあんなに話したのは、生まれて初めてだった。あんなに心が動いたのは、生まれて初めてだったのだ。

 帰る場所をなくしたときでさえ、動かなかった心が動いた。それはかけがえのないことかもしれない、と思っている。シェロのために、世界を滅ぼそうとすら思うほどに、アイシアはシェロに心惹かれていた。

 元々、アイシアの力も、シェロの力も、同じ世界の一部だからかもしれない。世界は世界を嫌いになれない。

 けれど。


「あなた、名前は?」

「え……名前? ええと、アーゼロッテです」

「……そう」


 次の瞬間起こったことは、誰にも理解できなかった。アーゼロッテと名乗った少女が一瞬にして消えたのだ。血肉すら残さず。髪の毛一筋さえもなく。

 わかったのは、アイシアの鎌が振られたこと。それで起こったつむじ風が、人々の背筋から悪寒を伝えるように走っていく。


「それで?」


 アイシアの目には何の感情も宿っていなかった。

 少女を消したのは、アイシアの力だ。刹那のうちに塵も残らぬほどに少女を消した。殺さなければならなかった。

 シェロが報われるために。世界が滅ぶために。

「確かに僕は力を持ってる。その力をたちは『死神』と呼ぶ。僕は死神と呼ばれることを特に疎んでいない。それでいいと思っているから。

 ──ねえ」

 アイシアは水平に大鎌を構えた。

「どうして命ある者を厭う死神が、きみたちを救うと思うの?」

 ちゃき、という音に人々は敏感に反応する。自分たちは「死神」の前に立っている。……その意味を理解するには遅すぎた。

 アイシアの蘇芳の瞳孔は、光を映さない。紫の光彩も、星を失った宵闇のように広がるだけ。

「意見があるなら言ってごらんよ。死神に命の決定権があるとわかっているのなら」

 その目は、毎夜流れ星に照らされて、人々が知らなかった暗闇の恐ろしさの体現だった。

「わからないのなら、大人しく死んで」

 ひゅん、と風が駆け抜ける。その音一つで、数十人の首が飛んだ。

 ごめんね、シェロ、と駆け抜けながらアイシアは思う。

 きっと、アーゼロッテに会わせてやれれば、シェロの心は救われたかもしれない。報われないというのはアイシアの思い込みだ。

 アイシアは世界に滅んでほしかった。これ以上、星光の魔女という無為の犠牲を出してほしくなかった。

 シェロがアーゼロッテへの継承を決意したとして、アイシアはその決断を受け入れられるかわからない。

 アイシアはずっと願ってきたことがある。女の子が星光の魔女に憧れるように、人々が流れ星に願うように、世界が星光の魔女に託すように。

 この世界がいつか、滅ぶことを、ずっとずっと願ってきた。

 アイシアは世界を滅ぼせる。けれど、シェロとアーゼロッテが出会ってしまったら、それはできない。シェロがアーゼロッテへの継承を決意してしまったら、アイシアはシェロの復讐を無に帰しただけでなく、未来への希望をも断ち切ってしまうことになるのだ。

 他のやつのことなんか、どうでもよかった。シェロが傷つくのだけは駄目だった。ただそれだけである。

 アーゼロッテとシェロを出会わせないようにするという方法もあった。けれど、その一番手っ取り早い方法をアイシアは選んでしまった。

 星光の魔女の資格のある少女は、星光の魔女を魅了する力を持つ。だから、シェロはきっとアーゼロッテを見つけてしまう。

 それなら、アイシアにできるのは「アーゼロッテなんていなかった」ことにすること。それでシェロは傷つくことなく、世界を滅ぼすことができる。アイシアもそれを見守ることができる。

 独り善がりと後ろ指を指されようと、かまわなかった。アイシアはそもそもこの世界で好かれたことなんてない。

 ひゅん。また無数の命がなくなっていく。


「ねえ、シェロ」


 血塗れになりながら、アイシアは語りかけた。


「どうか、あなたの願いが叶いますように」


 その呟きを押し潰すように。


「きゃあああ! 星が!!」


 星がたくさん降ってきた。


 星が、世界を包み込むように、降り注いだ。

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