第8楽章 流れ星に願いを
星には星の命が、人には人の命が、在ると云う。
第8楽章
この世界そのものが、一つの命であると判断するのなら、命を断つ能力を持つアイシアも世界を滅ぼすことができる。鎌のたった一振りで。
死神と呼ばれるこの力は、任意で世界を滅ぼすことができる。つまり、その力を手にしたアイシアの気分一つで、世界は救われたり、滅んだりするのだ。
──そんな、危険な賭け。それに世界は負けるかもしれない。その命でもって。
「……ふふ、あははは!」
シェロは笑った。だって、あまりにも滑稽だ。世界を守るために選んだ存在に殺されてしまう世界。哀れを通り越して面白すぎる。果たして星光の魔女に殺されるのとどちらがましなのだろうか。
アイシアの提案はとても手っ取り早い話だった。アイシアは世界が滅んでもいいと思っているし、シェロは世界を滅ぼすために生きている。完全なる利害の一致だ。
けれど、シェロはアイシアの唇をちょん、と人差し指で小突いた。
「だーめ」
アイシアは血の色を中央に宿した目をぱちくりとさせる。
「何故?」
アイシアの口から当然のように零れた疑問に、シェロはふ、と笑う。それは嘲りでもなんでもなく、慈しむような微笑みだった。
アイシアからすれば、世界が滅んでしまえばいいだけだから、この提案に欠陥はない。けれど、シェロは違うのだ。
「私は、ただ世界を滅ぼしたいのではないわ。私は世界に復讐をしたいの。救世主だの何だのと言って、
故に、世界を滅ぼすのはシェロでなくては、シェロが千年も生きた意味がないのだ。
千年、星光の魔女として生きて、世界への復讐を考え続けてきた。誰かに継承しようなんて考えなかった。アーゼロッテの死を見たその瞬間から、シェロの心は決まっていた。
そのためなら古語の文法を読み解く時間なんて瞬き一つ分のようなものだ。魔女たち全ての手記に目を通し、あらゆる事実を分析することなんて、苦にもならない。
そうして立ててきた復讐計画を、横取りされたくなかった。
「確かに、こんな世界、滅びてしまえばいいわ。でも結果より過程が大切なのよ。私の千年を思うなら、手出しはやめてちょうだい」
まあ、魔女の魔の手から逃れるために生み出した存在に滅ぼされる世界というのも、滑稽で仕方がないが。
アイシアは目を何度か瞬かせた。それから、構えていた大鎌からそっと力を抜く。
「僕は、あなたを軽んじたわけではないよ」
「わかっているわ」
「最期くらい、あなたに笑ってほしかった」
「……え?」
無表情な眼差しからぽろぽろと感情の花びらが零れていく。
「世界が滅んだら、たぶん、僕もあなたも死ぬ。あなたは自分の最期なんて全然気にしてないみたいだけど、心がずっと泣いているように聞こえた。上辺では笑っていても、心の奥底で泣き叫んでる。あなたが星光の魔女になった日から。あなたの大切な人が死んだ日から、千年なんて途方もない年数、あなたは泣き続けた。誰にも聞こえない叫びをこらえていた。それを世界への憎悪だとか、復讐だとか言って、あなたは自分の涙をなかったことにしようとしている。それでも……やっぱり、聞いてほしかったんでしょう? あなたの物語を。だから探したんじゃないの?」
……いや、零れていたのはアイシアの花びらではない。シェロが隠し続けてきたシェロの心が流す血だ。
シェロは心臓の辺りがずきりと痛んだ。こんな痛みは久しぶりだった。アーゼロッテが死んでからずっと、痛いことも悲しいこともなかった。ないと思っていた。
アイシアの言う通りだ。シェロは泣き叫びたかった。こんなに悲しいなら、魔女になんてなりたくなかった。アーゼロッテが、何故あんなにも、自分に話すことを恐れたのか、今ならわかる。
「僕は、好きだな、と思った人には、笑っていてほしいから」
アイシアが言う、そのままなのだろう。それなら、シェロだって同じだった。大好きな人には笑っていてほしい。生きていてほしい。幸せになってほしい。
魔女になる前のシェロはそんなこと、思ったことがなかった。他人なんて、どうでもよかったのだ。星光の魔女だけを見つめていた。もしかしたら、星光の魔女の魅了の力にかかっていたのかもしれない。
それ以上になる存在がいなかっただけだ。本当はそれがずうっと羨ましかった。妬ましかった。許せなかった。安寧に胡座をかいて、幸せを享受するだけの人々が。
人には人それぞれの幸せがあると同時に、それぞれの不幸せがあるというのに。
「私は、星光の魔女になれて、幸せだったわ」
シェロは噛みしめるように語る。
「でも、不思議ね。幸せと不幸せって同居するものなのね。星光の魔女になったから、私はたった一人の友達を失って、世界を呪って、滅ぼそうとしてる。世の中って、本当にわからないわ」
シェロはそっと、アイシアの頬を撫でた。
アイシアはシェロの手の温みに目を細める。かつて普通の人間だった人。永遠の少女となった星光の魔女。残酷な運命を享受するために、千年を生きた──ひと。
琥珀色の湖面が、向こう側の流れ星を映して煌めく。命たちの最期の煌めきが、赤紫の向こうにも揺れて消えていく。
たくさんの星が、世界に降り注ぐ。
「世界を祝福するようなこの光も、明日には世界を滅ぼすのかもしれないのね」
「明日? そんなに早いの?」
わからないわ、とシェロは肩を竦めた。
「千年も代替わりをしなかった星光の魔女なんて、私だけですもの。ただ、シアも知っているでしょうけれど、星は世界を壊し始めている。世界が崩壊する日は、確実に近づいてきているの」
遠くの方で、どごん、とものすごい音がなる。音がした方の空が朝焼けのように明らんだ。
「足音を立てて、ね」
それは何千と知れぬ死の音なのに、茶化すようにシェロはウィンクをした。それは非情なことのはずなのに、アイシアは親しみさえ覚えた。
アイシアはただ殺すことしかできない。けれど星光の魔女は違う。
唄うことができる。
「星には星の命が
人には人の命が
在ると云う
在ると云う
いつか共に眠り就く」
滅び逝く命に「お疲れさま、おやすみなさい」と労るように、唄を捧げる。
それがただの星光の魔女の慣習だとしても、ただ死ぬよりは救われるのではないだろうか。寂しくならないで済むではないか。
永い眠りを見届けてくれる人がいる。そんな星光の魔女だから、魅了の力を受容し、星たちに愛されるのだろう。世界を滅ぼすとしても。
「ねえ、シア。もしも、もしもよ。流れ星が本当に願いを叶えてくれるとしたら、あなたなら何を願う?」
赤紫の髪を夜風に揺らしながら、シェロが問いかけてくる。その目は子どものように旺盛な好奇心と、それに似合わぬ躊躇が混在していた。
アイシアは少し考える。願い事なんて、考えたことはない。願うようなこともなかったし、あったとして、誰もアイシアの願いなど聞き届けてはくれなかっただろう。
悲しいとは思わない。当たり前だと思う。アイシアは誰の願いも聞かなかった。自分のためだけに生きてきた。そんな者の話に、一体誰が耳を傾けてくれるというのだろう。
そもそも、人間も世界も身勝手なのだ。アイシアに星光の魔女を殺してほしいと願った牧師だって、星光の魔女を生み出した世界だって、自分が生き残りたい一心で行動している。それが誰かの犠牲の上に成り立っていることを、まるでわかっていない。
アイシアも、殺してきた人間の顔も名前も覚えていない、不義理な死神だ。一体いくつの命を生きるために切り捨てたのかわからない。
「そうだな……一つだけ。一つだけ、叶わないと知っているけれど、叶ってほしい願いはある」
「なあに?」
アイシアは、シェロの手に自分の手を重ねた。
「あなたに……シェロに、生きてほしい。シェロだけでも、生き延びてほしい」
からからとシェロは笑った。
「叶わないわよ。私も世界と一緒に死ぬわ。だって、『この世界』の生き物なんですもの」
理不尽よねえ、とけたけた笑う声が夜の静寂に落ちて、消えていく。
「でも、星に願うくらい、いいんじゃないかしら。どうせ迷信なのだし」
「……そう」
流れ星なら、次々と流れていく。夜なのに眩しくて仕方がない。
「シアがそう願うなら、生き延びた私はどうしようかしら。星たちの間を旅して唄おうかしら」
「この世界がなくなったら、もう星に唄う必要はなくない?」
「私がそうしたいの」
それで、とシェロは流れ星を見上げ、続ける。
「星に唄いながら旅をして、新しい世界を見つけたら、この世界の物語を誰かに聞いてもらいたいわ」
「他にも世界なんてあるかな」
アイシアがぽつりとこぼした疑問に、シェロは即答した。その目に星光を宿して。たくさんの希望のように。
「あるわよ。だって、星はこんなにもたくさんあるんですもの」
降り注ぐ星の中で笑うシェロという少女は、とても綺麗だった。
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