第7楽章 宵闇に選ばれた死神

 流れ星が空から落ちてくる。

 これは何千年も何万年も変わらない、この世界の美しい景色。

 美しくて、残酷な景色。

 命が息づいて、やがて引き取るまで、脈動し続ける世界は、今日も星の命を看取りながら生きている。



 第7楽章



 アイシアはきょとんとした。

「え、……世界滅ぼすんじゃないの?」

 そう、アイシアは世界が滅んだところでどうでもいいのだ。それをわかって、シェロはアイシアにここまでの世界の秘密を話したのだと思っていた。

 シェロは世界を憎んでいる……までは行かなくとも、世界を愛してはいないだろう。守る義理がないと感じるくらいには。

「そう。私は世界を滅ぼすつもりよ。だからこの世界の防衛本能からできたあなたに話したの」

「? 話が飲み込めないんだけど」

 そうねえ、とシェロは指を口元に当てて考え込む。

「世界は星光の魔女がこの世界を守る気がないことを察して、防衛本能からあなたに力を授けた。命があると判断したものを殺す能力。これは世界にも有意義な実験よ。もしかしたら、その力で長年悩まされてきた魅了の力を消し去ることができるかもしれないから」

「待って。ただ魔女を殺したんじゃ、魅了の力は世界に還元されるんじゃ?」

「その通り」

 それだと以前と何も変わらない。そのことはシェロも理解しているらしい。

 シェロは続けた。

「でも、だからこそ、あなたの力があるの。例えば、もし、あなたが私を殺して、魅了の力が世界に戻ってしまったとしても、あなたの力は星をも切り裂く。世界の救世主の名前が変わるだけよ。それに、可能性は一つじゃないの。

 一つは、千年もの長きに渡り、私の体内を循環し続けた魅了の力が、私の肉体から離れなくなっている可能性。もしそうなら、私を殺してどこかに放り出すことができる。魅了の力からこの世界は解放されるの。

 もう一つは、あなたが魅了の力を命と判断して切り裂く可能性。まあ、魅了の力は元々この世界の一部だから、一つの命であると言えなくもないわ」

 アイシアの目が据わる。関心のなさそうだったアイシアの顔に感情が灯っていく。それを見てシェロは思わず笑った。

 見るからに、顔にでかでかと「面倒くさい」と書いてあるような表情なのだ。笑ってしまう。世界が生き延びるために必死になって作った力の持ち主がこれなのだ。つくづく見る目がない。

「僕は救世主になんかなる気はないよ。人から崇められるのは気持ち悪いし。そもそも世界のことなんかどうでもいいし」

「あらあら。なんであなたが選ばれたのかしら? 星光の魔女より不思議ね」

「選ばれたわけではないと思う」

「あらどうして?」

 シェロが首を傾げると、アイシアは持っていた大鎌をかちゃりと示す。

「僕が変な力を持ったのは、この子に出会ってから。だから、僕が世界の防衛本能の力とやらではなく、この子がそうなのかもしれない」

 アイシアはあまり語ったことのない自分の過去を訥々と語る。

 アイシアは孤児であった。親に捨てられ、路地裏で生活していた。誰が育ててくれたのかもわからない。右も左もわからず、街をさまよっていたら、孤児院に拾われた。

 人と交流しなければならないということは、苦痛まではいかないが、面倒くさくあった。特にアイシアは瞳孔の色が黒くない稀子だったから、奇異の視線に晒され、居心地のいい思いはしなかった。

 ただ、不思議と感情の発露はなかった。からかわれたり、水をかけられたり、地面に放り投げられたり。色々されたが、怒りや悲しみは沸いて来なかった。もちろん、喜んだわけでもない。人間というのは面倒くさい、と思っただけだった。

 そんなとき、流星が落ちてくる事件が頻発し始めて、たまたま孤児院に落ちてきたのだ。

 さして大きい星ではなかったが、建物一つを潰すには充分だった。アイシアは帰る場所を失った。

 元々なかったようなものだけれど、それでも喪失感はあった。アイシアは自分も人間なのだな、とぼんやり思った記憶がある。

 そのときだった。アイシアが潰れた孤児院を見ていたとき、それは流星の残骸の上にとん、と落ちてきた。建物を簡単にぺしゃんこにした流星に突き刺さるなんて、どんなものだろう、とアイシアは近づいた。

 そうしたら、手元にぱっと大鎌が現れたのだ。大きくて重そうなのに、不思議と手に馴染み、すぐに振り回せるようになった。

 それを物騒がって、人々はアイシアにあまり近づかなかったが、危ないから、とアイシアから大鎌を取り上げようとした大人がいた。

 来ないでほしい、と思っていたら、鎌がすとん、とその大人を切り裂いた。

 そこから、悪い大人に利用されたり、復讐の手伝いをさせられたりが続き、アイシアは日々の糧を得るためとして鎌を振るうようになった。

「思った通り、殺伐とした人生ね」

「……どうでもいいよ、自分の人生とか、在り方とか。人を殺すのは楽しくも悲しくもなかったし、頼みごとを聞いて感謝されても嬉しくもなんともなかった。……必要ないんだって思った。僕が、世界の歯車からずれている。いらない部品なんだって思うようになって」

「今はどうしているの?」

「収入で食べるのには困らなくなったんだけど、別に食べなくても眠らなくても生きていけるようになったから、路地裏で適当に過ごしたり、散歩したりしている」

「うーん、やっぱりそれって、選ばれたんじゃないの?」

 星光の魔女は誰でもなれるものではない。そもそも魔女であるからにして、男ではなれない。それに年若くないといけない。

「星光の魔女は星光に導かれた女の子がなるものってロティが言ってたときは、言い伝えとか伝承みたいなものだと思っていたのだけれど、魔女たちの手記を遡ると、魔女になる素質のある子どもっていうのは、魅了の力を持って生まれてくるらしいの。これは星光の魔女が持つ魅了の力ではなくて、星光の魔女を魅了する力で、魔女の力とは別個のものらしいんだけど……容姿的特徴として、星光に映える身体的特徴を持って生まれるみたいね」

 星光に映える特徴、と言われて、アイシアは自然とシェロの目を見た。星光のように煌めくどこか神秘的な琥珀色。それは「星光に映える」と称するに値する。

「ロティはベージュ色の髪が星の光が通るときらきらしていて綺麗だった。だから、この身体的特徴の説はあるわ。

 それを踏まえて考えると、シアの見た目は宵闇に溶け込むよう。もしかしたら、星が全部なくなって、夜空を照らすものがなくなれば、世界は滅ばないで済む、と考えているのかもしれないわね」

「ああ、だから『宵闇に選ばれた』だったんだ」

 世界から星が消えたら。アイシアはそんなこと、考えたことがなかった。星が消えたら、世界を照らすものがなくなって、夜は本当に真っ暗になってしまう。そうまでなって、生きたいのだろうか。

 ──生きたい?

「ねえ」

「なあに、シア」

「……僕にも、選ぶ権利はあるはずだよね」

 アイシアは眼下の地上をじっと見つめた。

「何を選ぶの? 真夜中の死神さん」

 やっぱり、二つ名を知っていたのか、とアイシアはシェロをちらりと見た。その琥珀の目には爛々と好奇心が灯っている。赤紫の髪までもが、高揚して脈打っているようだ。

 アイシアは大鎌を握り直した。


「この世界を、殺そうと思って」

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