第4楽章 星光の魔女は秘密でできている
「長い話になるわ」
魔女は少し自信なさげに微笑んだ。迷子の子どものような途方に暮れた顔だ。
「聞いてくれるかしら? 星光の魔女の物語を」
手を差し出しながら、その手を取ってもらえる自信がないようだった。その手を取ってもらえなかったことがあるみたいに。
少女は聞きたいと答えた。
「それじゃあ、話すね。星光の魔女の本当の役目を。──この世界の真実を」
第4楽章
遠い遠い昔に紡がれた物語。星光の魔女と少女が出会った話。
──出会ってしまった話。
シェロはアーゼロッテとたくさん話をした。星光の魔女はシェロの憧れで、いつだって空想をしている。女の子同士で空想を繰り広げるのは楽しそうだが、シェロはそうしなかった。
女の子の空想はいつだって星屑を詰めたようなきらきらで胸踊るような魅力に溢れている。けれど、人の数だけ空想があり、他人の空想を受け入れられるかどうか、というのは人に課された永遠の課題だ。
シェロは自分の空想が受け入れてもらえないかもしれないことはわかっていた。そのこと自体は別にどうだっていいのだ。問題は「受け入れられない空想に出会ったとき、揉め事になってしまう」ということだ。
論争をするのはかまわない。けれど、後々の関係に尾を引くような揉め事になるのはシェロが勘弁願いたい、数少ない事柄だ。それで捻れて、依れて、壊れていった女の子たちを何人も見た。そういうものになりたくなかった。
本当は自分も輪の中で話せたら、と思うけれど、そうやって関係が捩れて切れるのなら、どうせなくなるのなら、最初から持ちたくないのだ。
それなら、アーゼロッテには何故話すのか。それはアーゼロッテが本物の星光の魔女だからだ。流れ星が流れるたびに聴いている声をシェロが間違えるはずがない。
シェロは真実が知りたかった。他の誰も知らない秘密。星光の魔女の真実なんて、その筆頭だ。もちろん、他の子に話すなんて野暮なことはしない。秘密は秘密だからこそ魅力的で、秘密だからこそ憧れるのだ。
「シェロは星光の魔女をどんな存在だと思ってた?」
「星光の魔女は、救世主じゃないと思っていたわ。それに、魔法を使えるとも思ってなかった」
「魔女なのに?」
まあ、よくよく考えると、箒で空を飛んでいるのである。おとぎ話で出てくる魔女そのものだ。魔法が使えない、というのはシェロの考えすぎだろう。
「でも、箒で空を飛ぶ以外の魔法は使えるの?」
すると、アーゼロッテはうーん、と唸った。
「星光の魔女は空を飛ぶ魔法と、幻惑の魔法が使えるわね」
「げんわく!」
響きだけでも罪深いような楽しいような魔法だ。アーゼロッテによると、箒を見えなくしたり、自分の姿や住処を見つからないようにしたりするために使うのが幻惑の魔法らしい。
「けれど、そうね、それ以外に魔法らしいものはないかもしれないわ」
「そうなの?」
「ええ。きっと必要がないからね」
星光の魔女の役目は星に唄うこと。そのために空を飛ぶことと幻惑の魔法以外は必要がないらしい。魔法が使えるのなら一体どんな魔法を、と内心期待していたこともあり、シェロは残念に思った。
そんなシェロを覗き込み、アーゼロッテが問いかける。
「失望した?」
「そんなわけない!」
シェロは思わず身を乗り出した。
「空を飛べるだけでもすごい! 唄もやっぱり綺麗だし、幻惑魔法なんて素敵な響きじゃない! 失望なんてしないわ。もっと教えて、魔女のこと」
むしろ、空を飛ぶのが魔法だったことに、シェロは興奮している。
人智を超えた不思議の力。謎めいていて知らなかった頃よりも夢が膨らんでいく。
「それでね、私はみんなとは考えが違うから、誰にも話したことがなかったの。
魔女が魔法を使えないとか、救世主なんかじゃないとか言ったら、きっとみんなに嫌われちゃうわ」
「シェロは嫌われるのが怖いの?」
「いいえ!」
即答のシェロにアーゼロッテは目を丸くする。嫌われてひとりぼっちになるのは、普通は怖いものであるはずなのに、普遍性など関係ないようにシェロの瞳は強く輝いていた。
きょとんとするアーゼロッテを見て、シェロはにこりと笑う。
「私が嫌われるのは、なんでもないことなの。それよりもっと怖いのは、みんなが夢を失うこと。私は納得してもらいたくてこの説を考えたんじゃないし、みんなが夢見るありとあらゆる『星光の魔女』のことが知りたいから話さなかったの。
否定的な意見は議論を凍らせてしまうでしょう?」
それはそうなのだが。アーゼロッテは感心した。シェロは不思議な女の子だ。無垢で無邪気で旺盛そうなのに、周りがきちんと見えている。独り善がりにならない。本当に不思議な女の子だ。
アーゼロッテは噛みしめるように目を閉じた。
「私があなたを見つけたのは、偶然だったのよ、シェロ」
「うん?」
「でも、あなたを見つけてよかった、と思える」
今度はシェロがきょとんとする番だった。
「私も、ロティに会えて嬉しいわ」
「ロティ?」
「アーゼロッテだと長いでしょう? だからロティ。友達みたいでいいと思ったのだけれど」
シェロはもうアーゼロッテのことを友達だと思っていた。星光の魔女だということももちろんあるけれど、自分を選んで降りてきてくれたのが、とても嬉しかったのだ。
星光に導かれた女の子。正にその通りだと思った。
「偶然で巡り会ったからこそ、運命を強く感じるものじゃない?」
そういう「運命」という言葉にシェロは胸をときめかせる。たまたま出会った、偶然だった、気紛れだった。ほんの些細な「魔」が射して、「運命」になるなんて、これ以上素敵なことがあるかしら、とシェロは思う。
だから、シェロにとって、アーゼロッテは特別なのだ。学校に通う女の子たちにはそういうものを感じたことがない。それは「学校に通う」という必然的行動により出会ったからだ。必然からも運命は生まれるかもしれないが、シェロにはそういう出会いはなかった。
踊り出したくなるような、真っ白なキャンバスに絵の具をぶちまけるような鮮烈さ。それをずっとシェロは求めていた。
そんなシェロの瞳は今日も流れる星たちを映してきらきらと煌めいていた。アーゼロッテはそれを見て、ああ、やはりこの子が星光に導かれた女の子なのだ、と嬉しいような、寂しいような気持ちになる。
「……ふふ、友達ができるなんて、随分久しぶりだわ」
「そうなの?」
「ええ。星光の魔女は不老長寿なの。私が星光の魔女になったのは、何百年前の話かしらね」
「他の女の子には話しかけに行かないの?」
シェロからの疑問に、アーゼロッテは唇に人差し指を当てた。夜色のルージュを指先が微かになぞる。
「星光の魔女は住処を隠したり、時には姿を隠したりするものよ。魔女はね、女の子の大好きな『秘密』でできているの」
それは納得すると同時に大変魅惑的な言葉の羅列だった。魔女は女の子の大好きな秘密でできている。確かに神秘のヴェールに包まれていなければ、星光の魔女にこんなに心惹かれなかっただろう。謎は謎だからこそ、人の心を掴んで離さないのだ。
けれど、そんな「星光の魔女」である自分を明かしてくれたことをシェロは嬉しく思った。選ばれたのがただの偶然だったとしても、それは後にも先にも得難く尊い出会いだ。
アーゼロッテは夜空を見上げて語る。
「私は、星光の魔女になったとき、とても嬉しかったわ。だって、みんなの憧れですもの。箒に乗って空を飛べるの。星を特等席で見上げながらあの唄を唄う。そんな誰もが憧れる役割が私のものになったんだって、みんなに自慢して回りたかったわ」
「自慢しなかったの?」
ちらり、ちらり、星が落ちていくたび、照らされたアーゼロッテのベージュの髪は流れ星と同じ色をした。
アーゼロッテを覗き込むシェロにアーゼロッテは優しく微笑む。
「できなかったのよ」
被っている帽子に触れ、アーゼロッテは告げた。
「星光の魔女の決まりなの。……幻惑の魔法が使える、と言ったでしょう? 星光の魔女が最初に使う魔法は、家族や友人、自分の周りの人から、自分の存在を忘れてもらう幻惑魔法なのよ」
シェロは目を見開いた。が、驚いたのは一瞬だ。
よくよく考えれば、そうでなければおかしい。星光の魔女の正体──つまりはどこの家の子どもか、誰と親しかったか、などがわかっていれば、「この家は星光の魔女を輩出した家です」やら「私の友人が星光の魔女になるまでの本」やらが世に出回って、星光の魔女は神秘の存在ではなくなっていた可能性がある。
もし、そうして秘匿されていなかった場合、シェロは星光の魔女というものに魅力を感じなかっただろう。家族や友人との別れはつらいものかもしれないが、そうでなければ、星光の魔女を受け継いでいくことはできなかっただろう。
「じゃあ私は実質、ロティの初めての友達みたいなものね」
「……そうなるのかしら?」
「そういうことにしてよ」
星光の魔女の初めての友達。それはとても特別な秘密の肩書きだ。もちろんシェロは言い触らしたりなんてしない。空気を読んだ秘め事は淑女の嗜みだ。
「それじゃあ、そういうことにしようかしら」
「やった」
シェロはこのときまだ知らなかった。アーゼロッテが、星光の魔女が何を背負っているか。どんな思いで自分に声をかけて、重要な秘密を共有しているのか、なんて。
想像もしていなかったのだ。星光の魔女が何故「世界の救世主」だのと仰々しい肩書きを持つか、なんて。
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