第3楽章 宵闇の中の星光の真実

 てらてらと星がよく輝く夜だった。

 星が何度も空を駆け抜けて、美しい空。そこからふよふよと雲のように漂いながら、魔女が降りてくる。宵闇に溶けるような色をした箒。不思議と闇に紛れない黒衣を身に纏った魔女は恭しくお辞儀をした。

「こんばんは。今日も星が綺麗ですね」

 そう言って手を差し出す彼女の背後で、星たちが瞬く。何かを競い合うかのように落ちていく。

「生き物の死を見るのは初めて?」

「……いいえ」

 魔女は少女に微笑んだ。

「ではもっと近くに見に行きましょう」

「もっと近く?」

「ええ。さあ、手を取って」

 差し伸べられた手を恐る恐る少女は握り返す。それを見ると魔女は、箒を片手で操りながら、ふわりと浮いた。

 初めて体験するような不思議な浮遊感に少女は目をぱちくりとする。ゆったりとワルツでも踊るようなテンポで魔女と少女は上昇していく。

 眼下にはさっきまで立っていた街。見上げれば、満天の星。近づいた分、ちらちらと、星の瞬きが明瞭になる。

 星が落ちていく。星が死んでいく。その様は美しくありながら、他の星をも巻き込む勢いで、畏怖を覚える。

「星が寿命を迎えて死んでいく姿が流れ星。流れ星が願いを叶えてくれるという話は知っている?」

「……聞いたことある」

 有名な話だ。流れ星が流れていく間に願い事をすると叶う。光が流れていく速度に人の思考が敵うわけがない。少女はそれを夢物語だと思っていた。

 しかし、魔女は言う。

「星は願いを叶えてくれるわ。星には不思議の力があるもの。星光の魔女わたしがここに存在するように」

 言われてみれば、それもそうだ。星光の魔女と呼ばれるくらいなのだから、星との繋がりが深いのだろう。星も魔女も、互いのことをわかり合っている。

 少女をひとり、取り残して。



 第3楽章



 声のする方を見たら、黒装束の少女がいた。髪はゆるく波打っており、夕焼けと夜の境目のような激しい色をしている。きっとどこにいたって彼女を見つけることは容易いだろう、派手な髪色だ。

 瞳は星のような色をしていた。茶色とか金色とか、そういうちゃちな表現で表したら失礼なのではないか、と思うくらい綺麗なぬくもりの色をしている。アイシアはそう感じた。

「……あなたは……?」

「あら失礼、ご挨拶が先ね。私はシェロ。星光の魔女と呼ばれているわ」

「星光……!?」

 昼間に聞いたばかりの名称である。こんな都合のいいことがあるのだろうか、とアイシアは目を瞬かせた。けれど無垢な星の瞳から、嘘や悪意は感じられない。からかっているわけでもないだろう。

 アイシアは気持ち小さな声でシェロに尋ねた。

「あの、宵闇に選ばれたって……?」

「ふふふ、知りたい?」

 シェロはスカーレットのルージュが艶めく唇に人差し指を当てる。その仕草は艶かしく、口説くために誘っているように見えた。

 魔女というくらいだ。安易に乗ってはいけない誘いかもしれない。が、アイシアの目にはシェロは生き物に見えた。人間とは違う底知れぬ何かを抱えた、けれど確かに命あるもの。それならば、アイシアに害が及ぶとしても、切ってしまえばいい話である。

 それに、アイシアは知りたかった。この世界に正しいことなんて一つもないと思っているアイシアに、この魔女はどんな真実を教えるのか。

「ねえ」

「ん?」

 シェロが箒をぎゅ、と握りしめ、目を爛々と輝かせて、アイシアに顔を近づけた。突然のこととその勢いにアイシアは一歩退く。

「えっと……あなた」

「……アイシア」

「じゃあ、シア。空中散歩しない?」

 空中散歩。箒はつまりそういうことだろう。この世界には星光の魔女以外、不思議の力を持つ存在はいない。アイシアは特例のような存在だ。

 人は力を持たない。故に憧れる。世の常であった。

 シェロの星光の瞳は、魔女に憧れる少女のような純粋な目で、アイシアは眩しく感じた。アイシアはそんな、それこそ星のようにきらきらした感情を抱いたことがないから、眩しくて、少し鬱陶しくて……ほんのちょっぴり羨ましい。自分が決して持てないものが他の人にあることを羨む、それは常人から離れたようなアイシアですら抱く感情なのだから、もしかしたら、人というのは無い物ねだりなのかもしれない。

 話に聞く限り、この目の前の星光の魔女が星光の魔女になったのは千年以上前の話であるはずである。星のよく降るこの世界で、何千回も空を飛んだはずなのに、何故こんなにも初めて飛ぶようなうきうきした表情ができるのだろう。少し不思議に思ったが、微笑ましくもあった。

「是非」

 アイシアは立ち上がり、フードを被り直す。その手をシェロが浚った。感触を確かめるように何度か手を握り直し、シェロは箒を軽く動かす。跨がったわけではないけれど、二人はふわりと宙に浮いた。

 足が地面についていない感覚は不思議だった。アイシアが慌てて引き寄せた大鎌にこもった思い出では、獲物を仕留めるために宙に跳び上がったことがあるくらいで、空を飛び、浮遊するのは初めての出来事だった。

「これが魔法……」

「ふふふ。まあ、星光の魔女ができるのは、空を飛ぶことと、唄うことと、目眩ましくらいだけれど。喜んでもらえたかしら?」

 アイシアは静かに頷いた。彼女は子どものように高揚することはないが、いつもより心が満たされていくのがわかった。

「すごい。僕は命を奪うことくらいしかできないから」

「あら、そんなに変わらないわよ、星光の魔女も。そうね、せいぜい散っていく命を見送ることくらいかしら、できるのは。まあ、それが役目だし」

 シェロが星のその向こうを見るように遠い目をする。

「私は、これまでの星光の魔女なんて、ロティくらいしか知らないけれど、星光の魔女はこれまで何人いたのかしら? 何百人? 何千人? 私たちは永い時間を与えられるから、思うより少ないのかしらね」

 星光の魔女は長命らしい。それはアイシアも知っていた。長い時を何百年と生き、その中で見つけた相応しいと思う者に星光の魔女という役目を継承していく存在らしい。今の魔女は千年以上魔女をやっている。つまりは継承をしていないのだ。それが最近の流星衝突の原因なのでは、と唱える声もある。

 星光の魔女の役目の一つが、継承することなのかもしれない、と。

 まあ、正直、昼間牧師に話した通り、アイシアは世界が滅ぼうがどうでもいい。アイシアはいつ死んでもいいと思っているし、機会がないから死んでいないだけだ。アイシアの力の唯一の欠点は、己の命だけは切れないことである。それができたら、アイシアはとうの昔に死んでいるのだ。

 人々には悪いが、世界が滅べば自動的に自分も死ぬため、むしろ滅んでくれてかまわないとさえ思っている。

 ……だから、死神なのだろう、と思う。

「シア、あなたは私と同じようで違うの」

「……え?」

 唐突な言葉に目を丸くするアイシアに、シェロは微笑んだ。

「あなたが宵闇に選ばれた、という話よ。夜に最も力を発揮することができる。それは星があなたを選んでくれて、得た力だから。星の力が高まる夜に力が発揮されるのはそういうことなの」

「星光の魔女は、星に選ばれるんじゃないの?」

 すると、シェロは苦笑のような微笑みを浮かべた。からからと笑う。

「星光の魔女は、星光の魔女が選ぶのよ」

「引き継ぎのために?」

「あら、その話ももう説が出てるのね。まあ、引き継ぐのはそうだけれど、魔女が選ぶ理由は違うわ」

 シェロは悪戯っぽく片目を瞑った。

「星光の魔女は与えられた永い時の中で、かけがえのない存在を探すの。この子には生きていてほしいっていうような……理由を探すの」

「理由? 何の?」

 シェロはふっと笑った。それは世界を嘲るようであり、何かを慈しむような、矛盾した感情が綯交ぜになった笑みだった。

 そうして、高らかに告げる。


「世界を滅ぼさない理由よ。星光の魔女は世界を滅ぼせるの」

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