忌み数

私誰 待文

忌み数

「この世には〈なぜかきらわれている数字〉ってあるよね」

「どうしたの急に」

 休み時間。つかの小休止を得た生徒たちが心の保養を得る時間。明るい喧騒けんそうが包み始めるクラス内のかたわららで、二人の女子生徒の他愛ない会話が始まった。


「例えば〈13〉。西洋じゃ相当嫌われてる数だよねっ」

 前の席に座っていた女子生徒が、椅子のく形で体を相手に向ける。その顔はなぜか自慢げだった。

「ユウちゃんは知ってる? 〈13〉が嫌われてる理由」

 ユウと呼ばれた黒髪の少女は幼馴染おさななじみの期待を受け、しばし思考する。

「あー……確か調和を表す〈12〉を超えた不調和を表す数だとか、キリストが磔刑たっけいにされた日が〈13〉日だからとか、タロットカードの大アルカナにおける〈13〉番目は"死"であり不吉だからとか、色々と理由はある」

「さっすがー! 物知りだね」

「まぁ、レイよりは」

 ユウの向かい、レイと呼ばれた金髪の少女は爛々らんらんひとみかがやかせ砕けた笑顔を友人に見せる。その様子をユウは慣れきった態度で扱っていた。

 レイがこのたぐいの笑顔で話しかけてきた時は、どこかから仕入れてきた彼女なりの"面白い話"を聞いてほしい時だ。ユウはしぶしぶと理解しながらも、結局こばむことはないのだった。


「じゃあこれは知ってる? イタリアだと〈17〉が忌み数なんだってさ」

 何で? とユウが興味を示すと、レイは待ってましたとばかりに胸を張り高々と語りだした。

「〈17〉をローマ数字にえるとXVIIエックスワイアイアイって言うんだよ。でね、それをアナグラムみたいに並び替えると、なんと?」

 そこでレイの語り口は止まった。私が正解できるか試しているのか、それに気づいたユウは〈17〉がなぜ忌み数なのかについて推理し始めた。

「ふっふーん。こればかりは流石のユウちゃんでも分からな」

「あっ、VIXIヴィクシィか」

 推理は見事的中してしまった。

 レイの勝ち誇った笑顔は、瞬時にこの世の終わりへ直面したかのような悲嘆ひたんれた表情へ早変わりした。こんな悲しみに満ちた表情は、たとえ肉親が目の前でされたとしても見れないだろう。

「あっ、ごめん……」

「ひ、ひどいよ……ユウちゃん」

「あー! あああー! ホントーにごめん!」

「VIXIはラテン語で『私は死んでいる』をす言葉だから不吉だ、って言おうとしたのに……」

 高々と上げた鼻っ柱をられ、完全に意気消沈してしまったレイ。ユウは何とかして元気な彼女にもどってほしいと、おろおろと気を配る。

「ほ、ほら! 他に忌み数についての雑学、あるでしょ?! 私も知らないとっておきの雑学、レイから聞きたいな~、なんて!」

「……ほんと?」

 れた子犬じみた瞳で見つめられ、ユウはさらに必死になる。

「ほんとほんと! 期待してるから!」

「それじゃあしょうがないなー!」

 ユウのはからいが功をそうし、レイは数分前と同じ程度の意欲で新しい雑学を親友に披露した。


「あとあと。昔に言われてたのが――〈■〉が忌み数だった時代があったんだって」

「え!?」

 瞬間、クラス中が水を打ったようにしぃんと静まりかえった。周囲は何事かと、ユウたちを丸いまなこで見つめている。集めてしまった周囲の視線に対し、ユウは赤面しつつ愛想笑いを返すと、また空気はゆるやかに元の休み時間へ戻っていった。


「ははは……で、本当なの?」

「何が?」

「〈■〉が忌み数だったって話。自分で振っておいて忘れないでよ」

 周囲へ配慮した声量で、再度ユウはたしかかめる。

「本当だよ。私も初めて知った時はユウちゃんみたいに驚いたな」

「で、でも、でもさ。さっきまで話してくれた雑学は私も知ってたよ? 〈13〉とかよく聞くし、〈17〉は知らなかったけど理由を知ったら納得できたし。だけど〈■〉が忌み数になるのは、どう考えたっておかしい。レイ、その情報どこで知ったの?」

「えーとね、ユウちゃんをびっくりさせたいなーって思って、インターネットで『雑学 知らない 数字』で検索したら、そういうのをまとめてたサイトが出てきたんだよ」

「一応聞くけど、昨日は何時まで起きてた?」

「ん? 〈3〉時〈30〉分くらいまで調べてて、それからの記憶はないやー」

「……寝落ちしたんだ」

 いつの間にか寝てしまったという友人の証言により、ユウの心内における〈■〉忌み数論は、微睡まどろみみと夢現の間に幻視しただけの、信用に足らない珍説へと成り下がった。

「悪いけど、私はどうも信じきれない。私もむかし、そういう都市伝説とかオカルト話を見てた時期はある。でも〈■〉が忌み数として扱われていたって情報は見たことも聞いたこともない」


「えー? じゃあ寝ぼけてて見間違えたのかな。でもそのサイトには、理由もちゃんと書いてあったんだよ」

「理由?」

 ここで始めて、ユウの琴線きんせんが揺れ動いた。真偽不明の〈■〉は忌み数だったという雑学に対して、「それは根も葉もないうわさ話だ」と突っぱねる冷静さと、「もし本当なら何故〈■〉は忌み数とされていたのか」を追求する好奇心。

 友人としてせっするか、知識欲を求める個人として接するか。未知の情報に遭遇したとき、自分は今までどうしたか。ユウは数秒の間に脳内にて葛藤かっとうした末、結論を出す。


「サイトには、何て書いてあったの?」

「おっ、興味持ってくれてうれしいなー」

 レイは今度こそ胸を張って雑学を披露する。

「〈■〉が忌み数とされてた主な理由はね、音なんだって。〈■〉の読み方の〈1〉つに、日本語でいう"死"と同じ読み方をするものがあって、それが不吉だからけられてる、って書いてあった」

「それはおかしいんじゃない? 〈■〉が死を想起させるのなら、〈9〉だって"苦"って読めるじゃん。悪い意味を表すことばだっていうなら〈■〉だけが嫌われているのは論理的じゃない」

「知らないよー私が考えた訳じゃないし」

 腑抜ふぬけた態度のレイとは反対に、ユウは知識欲の傀儡かいらいと化していた。

「それに〈■〉ってよく使う数字じゃん。東とか西をす方角は全部でいくつ?」

「えーっと、〈■〉つ」

「犬とか猫とかぞうとかを総称して何足歩行って言う?」

「〈■〉足。さすがに知ってるよー」

「あと〈■〉で有名なのがあるじゃん。レイ、しあわせせのクローバーの葉っぱって何枚か知ってる?」

「〈■〉つ葉? あれ、〈6〉だっけ? 〈6〉つ、〈6〉つ葉!」

「〈■〉つ葉で合ってるよ……徳川家綱いえつなは第何代の将軍?」

「〈8〉代!」

「おいおい…………とにかく、こんなに頻出ひんしゅつする数字なのに都度々々つどつど忌み嫌っていたら、今の世界はやくまみれよ」

「そっかぁ」

 (こいつはどこまでアホなんだ)と内心あきれるユウとは反対に、レイは平和ボケそのものといった顔で笑っていた

「でも昔の人は大丈夫だったんじゃないかな。方角が〈■〉つなくても、犬とか猫を〈■〉足動物って呼ばなくても。クローバーは〈■〉つ葉じゃなくったって幸せだったし、数えるのだって〈■〉を飛ばしても平気だったんだよ。きっと」

「絶対ありえないって」

 いまいち信憑しんぴょうせい性のない友人の雑学に、ユウはまたしても自身の知の蝋燭ろうそくが徐々にその熱を失っていくのを実感していた。だが消え始めていた蝋のしんは、レイの

「でもね」

 という中継なかつぎの言葉でまた再点火させられた。


「〈■〉が忌み数なのは掛け言葉とかじゃないんだ」

「……どういうこと?」

 また彼女の言葉に意識が食いつく。我ながら単純な頭だと自嘲じちょうする半面、ユウはなぜか次に友人が発する言葉をらさぬよう、聴覚を研ぎ済ませていた。


「存在」


 存在。そう語った友人の双眸そうぼうは、まだ陽の差す時間帯にも関わらず、どこか満月に似た輝きを放っている。

「存在?」

「そう。〈■〉っていう数、それ自体がだから」

「何よ、急に」

 突飛な論を楽し気に話す目の前の人間は、どう見ても幼馴染みである。だがユウはレイの振舞ふるまいの端々に数点――具体的には〈■〉か所ほどの違和感を覚えていた。

「〈■〉については書くことはもちろん、口に出すのも禁止。それは〈数〉として存在しちゃだめ」

「レイ……?」

 ユウはレイの姿をじっと見つめる。確かに姿形や話の声色は長年った幼馴染みでしかない。だが心のどこかで、目の前の女性を友人とみとめられなくなっている自分がいることに気付いた途端、ユウの心は早鐘はやがねを打ち始める。

 私の前にいるのはレイなのか? 〈■〉歳の春に初めて知り合ってから、今日までずっととなりにいてくれた親友なのか?

「〈■〉を文字にして残そうとしたら、〈■〉は他のだれかに知られないように修正される。〈■〉を声に出そうとしたら、音は〈■〉というノイズにされる」

 ふうとレイが気息をととのえる。今のユウにとっては、その微妙な態度さえ不気味に映る。ただ話を聴いているだけなのに、彼女の心には、重くびた鉄扉を開こうと苦心惨憺しているような疲弊感がおそっていた。

「だ、大丈夫? ちゃんと聴こえてるよ……〈■〉って言ってるじゃん、ノイズになんて聴こえてないって……」

「ユウちゃんにだけだよ。ほら、皆を見てごらん」

 彼女ははっとして辺りを見回す。


 教室から音がしない。思春期の男女が大勢集まっているとは思えないほど景色は静まり帰り、つその場の全員がユウだけをじっと見つめていた。

「ユウちゃん。昔の人――というより、この世界に〈■〉なんて数は存在しないはずなんだよ」

 ユウはかわきかけた目でぎろりとレイを見る。彼女の振舞いは嬉々ききと〈13〉の話をしていた時と何も変わらない。

 どうして自分がこんなに疎外感そがいかんを覚えているのか、ユウには理解できなかった。〈■〉の存在を肯定しただけで、どうしてこんなに責め立てられるような気分にさせられるのか。理由のない不条理さに、自分の平常心がみ取られていくようで、ユウのたましいはすぐにでもこの場所から逃げだしたい気持ちであふれている。

「おかしいのは今のレイでしょ……?」

「ううん、だって〈■〉は無い数で」

「〈■■〉が無いとか本気で言ってるの?!」

 とうとうユウは弾かれたように立ち上がり、人目もはばからず怒鳴りだした。

「勉強できないにも程度があるって! 昔から〈■■〉は数だったでしょ!? 犬とか猫の足の数は〈■■〉つ、方角は全世界共通で〈■■〉方向、幸せを運ぶのは〈〉つ葉のクローバーだったし、人だって両手足をまとめて〈〉肢って言うでしょ! 有名なアメリカドラマに〈2■■■■〉って作品があるじゃない! 球の体積を求める数式にだって〈■■〉は使われてるし、卯月は旧暦の〈〉月! ほらこんなに〈■■〉って数字は使われてるじゃない! それを存在しないとか、ネットの見過ぎで頭おかしくなってるんだよ!」

 まくし立てぜいぜいと息を荒げるユウとは対照的に、レイはにこにこと大人しく主張に耳をかたむけていた。

「そう? じゃあ」

 やわらかな微笑をたたえていたレイの手がそっと、ユウの両手を包み込んだ。それから彼女は我が子をさとすように、はっきりと教えた。


かぞえてみて」

「え?」

「指を折り曲げて、〈1〉から」

 ユウはうながされるままに両手を広げ、そこで初めて自分の手が麻痺まひの重篤症状に似たふるえを起こしているのに気が付いた。にんしきした途端、ユウは自分の脈動が加速するのを感じながらじっと己の手を凝視する。そこには、薄っすらと汗がにじみだしたてのひらと〈5〉本揃った両手指がある。もちろん、指を折っていく途中で〈■〉も口に出すだろう。

「ほら」

 背筋をつたう冷や汗を感じながら、ユウは右手の親指からしっかりと折り始めた。


「い、〈1〉」

「いいね、次」

 ちらりと他の指に目をる。まさか指の数が減ったりしてないかを確かめるが、もちろん全ての指は確固として在った。


「……〈2〉」

「よし、次」

 ユウは視線をやけに多く感じていた。レイのみならず、教室にいる別の人間の視線。それに、すような視線に彼女の心がこわされていく。


「さ、〈3〉…………」

「次」

 ユウはもはや正気で物を考えられなかった。このまま数を数え進めれば、絶対に〈■〉を数えることになる。それは正しい行為、常識のはず。


「ねぇ、もういいでしょ……? 何回やったって、指の数は変わらないって」

「指の数じゃないよ。〈■〉がないってことを知るの」

「知るって……〈■〉は、あ、あるよ…………」


 本当に?

 ユウは〈3〉本の指を折ったまま、過去をかえりみる。

 今までの人生で〈■〉と発言した瞬間、ふと違和感を覚えたことはないだろうか?  

 この世界で〈■〉をもちいた時、不安がぎらなかっただろうか?

 仮に〈■〉がないとしたら、なぜ〈■〉は存在するのか?

 〈■〉は在る数なのか?


「……いや」

 違う。

 〈■〉があるのではなく、元々あった数が〈■〉へわっていたとしたら?

「はやく。おって」

 もしかしたら、〈■〉という数は。

 その答えを確かめるかのように、ユウは〈3〉の次の指を折り。



 キーンコーンカーンコーン



 甲高いかねの音がユウたちに鳴り響いた。始業をげるチャイムである。

「うぇっ、もうこんな時間!? やっばい、授業の用意してないって!」

 レイはばばっとユウに背中を向けると、大慌てで学生カバンの中身をひっくり返した。

 一方、ユウは先ほどの一部始終を脳内で反芻はんすうしていた。

「この世の、忌み数……」

 彼女は小刻みにふるえる自分の両手を広げ、もう一度最初から指を折り数えてみる。

「1、2、3、4、5、■、6、7、8、9、10……」

 変わりようのない自分の指の本数を数え、ふうと深い吐息がれる。全身が不快な汗でれていた。

「……変なの」

 小声で彼女は悪態をついた。それからは忌み数の話など忘れ、ユウもせっせと数学の教科書を取り出すのだった。


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