第2話 北極星
話は三日前にさかのぼります。
場所は、ぼくのアパートメント。
「ロイヤル・カマナ」
という名がついた建物ですが、ロイヤルと呼べたものじゃありません。
建物は、二階建てのコンクリート製。ひび割れや変色もあり、くたびれた建物だけど、いい点もあります。広い屋上があって、住人はだれでも利用できる。
ぼくはこの屋上で望遠鏡を見ながら週末をすごすのが日課です。
週末にひとりで望遠鏡。やっぱり天文学部にかようヤツなんて、ということは思わないでほしい。ぼくだって彼女でもいれば、そっちを優先する。
でも、ぼくの見た目は、やはりその天文オタクという分類になるでしょう。とくに髪のくせ毛がひどい。ぐりぐりした黒髪は、どんな髪型にしようとそれほど意味はない。おまけに眼鏡もかけている。早い話が、ぼくの見た目はクールじゃない。
三日前の夜も、その屋上で望遠鏡をながめていた。デッキチェアも用意していて、寝ころがって夜空をながめたりもする。ラジオを聞きながら星を数えたりと楽しい時間をすごしていた。
気分がよくなりライトビールを飲んだときだ。思わずビールをふきだした。
星が、点滅したからだ。
待って。言いたいことはわかる。夜空の星はまたたくものだ。それは大気のゆらぎのせい。ぼくは天文学部、星の専門家だ。
ぼくが見ていたのは北極星。それが規則的な点滅をした。
おかしなリズムというのは、すぐにわかるだろう。きみの心臓が急に「ドン・ドン・ドドドン!」と打てばおどろくだろう。そんな感じだ。
規則的な点滅は数回あった。
見まちがいだろうか。いやちがうと思う。でも、ぼくしか見ていない。
こうなると研究者のはしくれとして、やるべきことはひとつ。「再検証」だ。
次の日、朝から準備を始めた。
まず必要な機材の買い物をすませ、天体望遠鏡を改造する。
この天体望遠鏡の改造は、正直、タイミングがよかった。
すこしまえに、かなり苦労して画像データを撮れるように改造したからだ。それにくらべれば簡単だった。
北極星の点滅を「0」と「1」の信号としてPCに落としこむ。そのための改造は手早く完了した。
日が暮れると、今度は力仕事だ。部屋から屋上へ、ひとり用の小さな木のダイニングテーブルとイスを持ってあがる。
次に改造した望遠鏡、さらにはノートPCを持ってあがる。ここで息が切れ、一回休憩した。
すこし休むと、テーブルの上に置いたノートPCをひらき、望遠鏡は北極星へとむけた。
望遠鏡とノートPCを接続し、それぞれの電源をオン。
ランダムな信号のなかから規則性を見つける。このソフトウェアはイギリスだったか、どこかの大学の研究室で作られたフリーソフトだ。
フリーソフトといっても設定はこまかい。レンジの
作業中、だれも屋上へこなかったので助かった。真夜中の屋上で、イスに座り、小さなテーブルの上にあるノートPCを見つめる東洋人。ほかの住人が見たら、さぞや不気味で腰をぬかすだろう。
それから何時間もデータを取りつづけた。
だけど、法則性のある信号は取れなかった。二進数を八進数、または一六進数と、いろいろ変換してみても結果はおなじ。
光の点滅で送れる信号とすれば、0と1の二進数ぐらいしかない。
規則的な発光は、昨日だけだったのか。または見まちがいだったのか。
結論はでず、ぼくは気晴らしにラジオをつけた。ついでに持ってきていた小さな携帯ラジオだ。
そしてラジオをつけて思いだした。光の点滅で送れる信号がある。古い古い通信手段。そう「モールス信号」だ!
本来のモールス信号は、短い音と長い音の組み合わせだ。
「・(トン)-(ツー)」ならA、「-・・・(ツートントントン)」ならB、というように。これを光の点滅に置きかえて読み取る。
01信号だけではだめだ。ぼくは光が消えたときを「0」短く光ったのを「1」長く光ったときを「2」としてデータを吐きだすように書きかえた。
ネット上を探すと、数値をモールス信号に変換するソフトウェアはすぐに見つかった。
さきほどの規則性を探すソフトは不要だ。おそらく、ほとんどはランダム。つまり、めちゃくちゃなアルファベットのならびになるだろう。そのなかから意味のある単語を読み取るなど、人間の頭じゃないとできない。
設定が終わり、測定を開始した。
PCの画面を見つめる。
すこしのタイムラグがあり、でたらめな配列のアルファベットがでてきた。
「kahgfyenmdoogkcbxvgrtwokfhnzshtukbm・・・・・・」
星のまたたきはランダムだ。これはこれでいい。いまのところ単語と呼べそうなものはない。
次々にアルフェベットはでてくる。それをじっと見つめた。
それから一時間たったころだ。
思わずソフトウェアを一時停止にした。そしてぼく自身も画面を見て固まっている。
画面には、でたらめにアルファベットがならぶ。その最後の行。
「dpgyauvbxmslfoqmwnebrvtcuxiizoapsldkfjghknockknockqoiwueyrtlaksjdhfgmz」
あきらかに作為的な文字ではないのか。このならびは変だ。
その文字は
「knockknock」
これをまんなかで割ると
「knock knock(ノック・ノック)」
となる。
二回の繰りかえし。もしランダムでアルファベットをならべ、偶然でこうなる確立は
しかし、ノックノックなのか。
これがおもに使用されるのはトイレだ。
「コンコン、だれかいますか」
日本語で言えば、こんな意味あいになる。
「Hello」
などのあいさつではないのか。
だけど、正しい気もする。だれかいますか、むこうはそう聞いている。ならばどうするか。返事だ!
ぼくはそれから朝を待ち、さらにホームセンターが開店するのを待った。
買ってきたのは巨大なサーチライトだ。
じつは「開店するのを待った」と書いたが、待っていない。返事をするための準備をどうするかと考えていた。PCへ打ちこんだアルファベットを、どうやってサーチライトに連動させるか。
サーチライトの電源スイッチ部分へ、制御パネルを差しこむことになるのだろうか。でも、そこまで工学的なことは知識がない。
ここに何時間も悩んだのだが、ぼくはバカだ。そんなことは手動でしたほうが早い。
それから大きなサーチライトだけでなく、長い延長コードも買った。屋上まで引っぱるので、電圧降下が起きないようにドラムに巻かれた太いコードを買った。
そこからの準備は簡単だ。昨晩とおなじように北極星に望遠鏡をむけ、その望遠鏡とPCをつなげる。返事をするためのサーチライトも、北極星へとむけて置いた。テストで一度点灯させ、問題がないことも確認する。
ほか用意するのは、モールス信号の一覧表だ。これは「Morse code chart」で検索すれば、いくらでもでてくる。自分の部屋にあるプリンターから、見やすそうな一覧表をプリントアウトしておいた。
あとは夜を待つだけ。苦ではなかった。正直、そわそわしすぎていて、食事をするのも忘れていた。
そして太陽が、街のむこうへ沈んでいくのを屋上から見つめた。
「沈むのが遅い!」と怒るような気持ちでながめ、ようやく夜がきた。
PCをひらき、ふたつのソフトウェアを起動させる。ひとつが点滅を0、1、2、の数字にするもの。もうひとつは、それをモールス信号に変換するもの。
それほど大きくないノートPCの画面だ。アルファベットの出力部分を全画面表示させた。背景が黒になり、そこに白文字でアルファベットが吐きだされていく。
文字がでてくるスピードは、かなり早い。左から右に自動で打たれ、はしまでいくと一行さがる。
あっというまに、でたらめなアルファベットで画面はいっぱいになった。それでも文字は吐きだされつづける。
右下のすみまで文字がいくと一行さがった。すると全体があがる。つまり画面の一番上にあった一行は、画面の外へと消えていく。
じっと待った。どれほど待ったかわからないほど、ランダムにでてくる画面のアルファベットを見つめた。
夜中の0時をすぎても、ぼくは夢中で画面を見つづけた。
だけど単語らしき文字列はでてこない。
いよいよ四時ごろになったころ。ぼくは、ひどく自分が馬鹿をしていると思い始めた。
かれらは地球などより、はるかにすぐれたテクノロジーを持っているはずだ。それなのにモールス信号など使用するだろうか。
いやそもそも、かれらってなんだ。ぼくは正気なのだろうか。
PCの画面には、アルファベットが吐きだされつづけていた。
データは保存するように設定してある。のちほど確認だけはしてみるか。そう思いPCを止めようとしたときだ!
上に消えた文字のなかに昨晩とおなじ文字があった気がする。
「knockknock(ノック・ノック)」
ランダムな文字のなかに、そのならびがあったように見えた。
ソフトを走らせたままでは過去のデータが見れない。止めて確認しようか迷った。でもソフトを止めると、このあと信号がきたらどうする。
「ちがう、とりあえず返事だ!」
確認など、あとでもできる。
ポケットからモールス信号の一覧表を取りだした。
サーチライトに近づき、後部にあるスイッチに手をかける。
「YES」
がちゃがちゃとONとOFFを繰りかえし、モールス信号で返信した。あまり長文だと、正確に伝わるのかわからない。
むこうは「ノック・ノック」つまり「だれかいますか?」と聞いている。こちらが返すのは「イエス」だ。
もういちど。
「YES」
打ち終えて小さなテーブルへ駆けもどった。イスには座らず、しゃがんでノートPCの画面をのぞきこむ。でている文字は、でたらめなランダムだ。
五分待った。それらしい単語も、文章もない。
もういちどサーチライトへ走る。
「YES」
もういちど打った。
それからまたノートPCのまえにもどり、ひたすら待つ。結果は変わらない。画面には、でたらめな文字がたれ流されているだけ。
気のせいなのか。さきほどノックノックと見た気がするが、気のせいだったのか。確認したいが、ソフトを止めたくない。
しまいには、ランダムなアルファベットすら表示されなくなった。アラーム音も鳴っている。
望遠鏡が動いてしまったか。目標をはずれ入力信号がこないと、アラームが鳴る設定にしてある。
ふり返り、ぞっとした。
北極星がない。
ぼくは天文学部だ。北極星の位置をまちがえることなどない。
あるはずの位置には、宇宙の闇が見えるだけだった。雲ではない。まわりの星は見えている。
ぼくは怖くなり、周囲を見まわした。いつもとおなじ光景だ。灰色のコンクリートの床。へりにある黒い鉄の柵。
ふいにアラーム音が止まった。また北極星が光りだしたのか。PC画面をのぞきこんだ。
画面にならぶアルファベットの文字列。さきほどの最後から、何文字かがあらたに表示されている。
「declarationofbattle」
なにかの文章だ!
どこで単語を切ればよいのかを考えた。まんなかが「of」なのか。
「declaration of battle」
あまりなじみのない単語だ。「declaration」とは宣告するとかだろうか。
戦いの宣告。いや、宣戦布告だ!
このときから、ぼくは自分でどういう行動をしたのか、あまりおぼえていない。
うっすらとした記憶では、夜明けの街を走っていた。でも朝早く、だれもいなかった。
そしてスーパーストアーズに着き、早朝のだれもいない駐車場で、やっと歩く人影を見つけた。
「宇宙人だ、宇宙人が攻めてくる!」
そう詰めよった相手が、目のまえにいる灰色の制服を着た警備員だ。
これを読んでわかってもらえたら、ぼくはうれしい。うれしいし、あやまりたい。ぼくはとんでもないことをしてしまった。返事をしてしまった。
とりあえずこれを、ハワイ観光局のフリースペース。それからハワイ大学の学生が使用できるページに残しておく。
ぼくのせいだ。宣戦布告というメッセージを受け取ってしまった。どう考えても、返事をした場所に攻撃をかけてくる。
だからみんな、いますぐハワイ島から逃げて!
ぼくの警告が、みんなに届きますように!
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