14.二人の追いかけっこ

「すいません。カレンさんは今どこにいますか……?」


 紅葉は恐る恐るカレンの居場所を二人に聞いた。


 こんなにも不名誉で恐ろしい誤解を、そのまま放置していいはずがない。


「今は訓練場で剣の稽古をやっていますね。窓の下を覗いてみてください」


 アッシュに促されるまま、紅葉は窓から顔を突き出して階下の景色を見下ろしてみる。


 どうやら医務室の真下に訓練場があったらしく、草地に立った木偶を相手に、カレンがブラウンの髪を揺らしながら木刀を振るっているのが見えた。


 腰に差した細剣に似た木刀を軽やかに振るう姿は、素人目に見ても見事なものだったが、同時に殺気立っているようにも映る。


 横目でちらと見たアッシュの顔がやたらとニヤニヤしている。そういう意味で彼女の居場所を聞いたわけでは断じてない。断じて。


「お、俺、謝ってきます!」


 いてもたってもいられずに、紅葉はベッドから跳ね起きた。


 顎の痛みもけだるさも、二人の説明を聞いているうちにどこかに吹っ飛んでしまっていた。ベッド脇に置かれた靴に足を突っ込んで、踏みつけたかかとを直しながら部屋の引き戸を勢いよく開いた。


「途中で倒れてもいけませんし、ゆっくり歩いた方がいいですよ。カレンはもうしばらくは訓練を続けているでしょうから、そう急がなくても声はかけられますかと思います」

「ありがとうございます。でも、そうも言ってられませんから!」


 言うが早いが、紅葉は医務室を飛び出した。


 すれ違う人達に軽く会釈をしながら訓練場に向かってひた走る。階段を数段飛ばしで駆け下り、訓練場の受付に早口で入場許可を申請し、転がり込むように訓練場に辿り着く。


 訓練場までそれなりの距離がある上に、早く彼女に謝らないといけないという焦りもあって、そのころには紅葉は肩で息をしていた。


 カレンの居場所はすぐに分かった。医務室で場所は確認していたし、何より、入り口からそう遠くない場所にいたから間違うはずもない。


 彼女は窓から覗いた時と変わらず、木偶を相手に剣を振るっていた。突き、払い、流し。まるで踊っているかのような彼女の剣舞に見惚れ、一瞬呼吸すら忘れそうになる。


 だが、このまま眺め続けるわけにもいかない。


「あ、あの、カレンさん……」


 自身を呼ぶ声に反応し、カレンの動きはぴたりと止まった。


「ああ、誰かと思えば、さっきの英雄様ですか」


 声のした方、紅葉に向かってカレンは振り返る。その表情は笑っていたが、それが好意的な感情からくるものではないことは明らかだ。


「その、さっきはすいま――」

「……話では、能力を使うのは今日が初めてだというではありませんか。初めての能力行使の際に想定外のことが起きるなどよくあることです」


 触れられそうなほどの怒気を当てられ、紅葉は反射的に頭を下げようとする。だが、食い気味に口を開くカレンの言葉に、今度は紅葉の動きが止まった。


 手にした木刀を握る力は今もなお込められ続けている。やや距離が離れているにも関わらず、柄を握りしめる音がここまで聞こえてきそうだ。


 カレンは紅葉を中心に、円を描くようにゆっくりと歩きながら話を続ける。


「あなたが気にすることはありません。失敗は次に活かせばいい」


 挨拶の時と同じ敬語であるはずなのに、徐々に強まっていく語気のせいで印象が明らかに違う。


「まあ、私は気にしますがね」


 そう言ってカレンが立ち止まると、くるりと体を反転させて木刀を構えた。


 今、カレンは紅葉と訓練場の出入り口との間に立っている。話の方に集中させて、いつの間にか逃げ道を潰していたのだ。


「あの、さっきから殺気を感じるんですが」

「生憎私は嘘をつくのが少々下手なものでね。兄上からも治した方がいいとは言われているのですが、まだ上手くはいっていません」


「さっきから木刀を構えてますけれど、まさかそれでぼこぼこに、なんてことないですよねー……」

「安心してください。ちゃんと後悔する暇くらいは与えますから」


 すがすがしいくらいの彼女の笑顔が逆に怖い。


 だが、その笑顔がふっと消え、無表情で冷たい視線を投げかける彼女の顔はより一層怖かった。


「ところで、最期に何か言い残すことはあるか?」

「俺まだ死にたくないです」

「すまない。ご期待には沿えられそうにない」

「いやそもそも殺そうとしないで!」

「待て、逃げるな!」

「待てと言われて待つ奴があるか!」


 まさかこのセリフを言う日がこようとは。


 そんなことを思いながら、紅葉は潰された逃げ道とは反対側、訓練場のさらに奥へと走っていく。そしてカレンも彼の後を追って走り始める。


 こうして、二人の追いかけっこが始まった。

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