10.かつての英雄達〈後編〉
「こちらは業火の魔女アン。隣国ヴェルフロイトとの確執をなくし、戦争を未然に防ぐことで数多くの命を救ったと考えられています」
「考えられています?」
曖昧なマナの言葉に紅葉は首を傾げる。
「当時ヴェルフロイトとリィンはかなり関係が悪く、戦争一歩手前の状態にありました。それを対話のみで国交を回復し戦争を回避したのですが、何も起こらないよう尽力したからこそ、彼女の活躍は憶測で語ることしかできないのですよ」
もしも織田信長が本能寺の変で死んでいなければ。もしも坂本龍馬が暗殺されていなければ。
歴史上の人物達の行いにもしもはつきものだ。それがより大きな事を成した人物ならばなおさらのこと。
だがアンはその逆で、何も起こさないことでその名を残すこととなった。だからこそ、彼女の英雄譚には他の誰よりももしもが付き纏うのだろう。
「ちなみに、当時周辺諸国の二大国家となっていたリィンとヴェルフロイトの戦争が本当に起きていた場合、周辺諸国も巻き込んで泥沼化、最悪の場合リィンどころかこの大陸全土が焦土と化していたかもしれないと、歴史家の間で議論されています」
「世界大戦かよ……」
歴史の授業で見ただけの単語を呟いて、ふと紅葉はマナの言葉を思い出す。
「そういえばさっきアンのことを業火の魔女って呼んでたっけ。ってことは、アンはマナみたいな炎を操る能力を持ってたのか?」
「……そうですね。彼女の能力は『邪なるものを燃やす聖なる炎』。ヴェルフロイトでは、今も彼女の灯した火が消えることなく保管されていますよ」
少しの間を開けてから、彼女がアンについての話を続ける。
「ずいぶん破天荒な人で、弱いくせに毎晩のように酒場に入り浸っては朝帰りするようなどうしようもない人でした。だからこそでしょうか。ジョッキ片手に誰とでもすぐに打ち解ける彼女は、両国の人々からとても愛され、慕われていました。……と、文献に残されています」
「ジョッキ片手にって、なんかものすごく人間味あるな……。ちなみに、それは何年前の話?」
「今からおよそ六百年ほど前のことですね」
短く言葉を返すマナに、紅葉はため息で答えた。
人一人分の寿命ではどうしようもないくらい大昔の人に、やはり見覚えも心当たりもない。
だが、ワンピースのような布の服をまとう彼女の話の中で、一つだけ安心できるものがあった。
どうやら英雄が国を救うために、戦闘は絶対条件ではないらしいということ。
もしかしたら、あの蛇のような、それ以上の怪物と戦わなくて済むかもしれない。
そう思うと、気分が少しは軽くなった。
紅葉がそう思っている間にも、マナは銅像の間をすり抜けていくように進んでいく。
そのまま城に入っていくのかと思いきや、ふとマナは、城に一番近い場所に置かれた銅像の前で足を止めた。
それは髪の長い女性の銅像だった。年齢は二十代前半といったところだろうか。数ある銅像の中でも彼女のものは特に古びていた。
「この人は?」
「カロッジの構築した英雄システムによって、千年前に呼び出された最初の人、時を操る大英雄、セレナ」
端的に答えるマナの言葉が詰まる。
彼女は身につけている服の首の穴に手を突っ込むと、服の下をまさぐり始め、中からネックレスを取り出した。月と星をかたどったそれはぼろぼろになってはいるものの、大層大事に扱われているのだろう、銀色の鈍い輝きを失ってはいなかった。
手のひらに置かれたネックレスを物憂げな顔で見つめるマナは、一瞬言葉にするのを躊躇ってから、再び口を開く。
「……千年間、数多いる歴代の英雄の中で唯一、元の世界に帰ることなくこの世界で命を落とした英雄です」
言いながら、マナはネックレスをぎゅっと握りしめる。今の彼女の表情は、もはや物憂げなどという生易しいものではない。
「これから先、この世界に訪れる英雄達を守り通せ。元いた世界に帰るまで、己の意志により彼らの行く末を見届けろ。それが、黒魔女が黒魔女に与える使命であり、責任であり、誓いである」
千年前に残した黒魔女の言葉ですと、最後にマナは俯きながら付け足した。
「……マナはこの英雄が好きなのか?」
暗く影を落とすマナを見て、紅葉は思わず言葉が漏れ出た。
聞くだけ野暮だったかもしれないとすぐに思った。
驚いて彼の方を向くマナだったが、すぐにまたセレナの像に向き直り、深く息を吐き出した。ふと、セレナの像が首に掛けた、星と月をかたどったネックレスが陽の光に照らされちかりと光る。
「……そうですね」
黒魔女として、メイヘルン家の末裔として、生まれながらに持つ役割を背負い続ける彼女にも思うことはあるのだろう。
だが、それはそれとして、マナ自身はセレナという人物に強く惹かれていることは明らかだった。
彼女の表情が言葉以上に物語っているのだから。
「大好きです。今でも、ずっと」
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